『古見さんは、コミュ症です。』は人間関係の本質に触れている コントロールできないコミュニケーションの難しさ

『古見さん』は人間関係の本質に触れている

コミュニケーションを成立させるのは受け手

 古見さんは、相手に自分が近づくと、緊張されたり、逃げられたり、失神されたり、土下座されたりというリアクションを受けたことがあり、嫌われているのではないかと思い、話しかけることができなくなったと只野に黒板に書いて説明する。そういう気持ちが積もりに積もって「どうやって話しかけよう、拒否されたらどうしよう」と思ってしまうようになったという。

 コミュニケーションは発信者と受け手がいて初めて成り立つ。実は、コミュニケーションを成立させるためには、発信者以上に受け手が重要だ。

 前述した大澤真幸は、「文の意味」は辞書と文法に沿えば簡単に確定できるが、「発話の意味」はたくさんの解釈があり得ると語る。この「発話の意味」を受け手が適切に解釈できないとコミュニケーションは成立しないのだ。

 古見さんが話しかけようとすると、多くの受け手は「盛大な勘違い」をして、失神や土下座までしてしまうらしい。それを見た古見さんも「自分が悪いのか」と勘違いをする。こうしてコミュニケーションができなくなっていくわけだが、只野だけは古見さんが会話を苦手としていることを見抜いた。それは、「今までのリアクションでなんとなく」わかったと只野は言うが、これが適切な解釈だったために、古見さんとのコミュニケーションを始めることができたのだ。

 この「今までのリアクションで」気づいたという点も、コミュニケーションを考える上で重要だ。おそらく、只野が見ていた古見さんのリアクションは、会話が苦手だと気づいてほしくてやっていたものではないだろう。只野が勝手にそう「解釈した」だけだ。つまり、発信者が何の意図をしていなかったとしても、受け手が何らかの解釈をして受容すれば、コミュニケーションは成立するということだ。大澤真幸は、『コミュニケーション(弘文堂)』という本で、「コミュニケーションの成立にとって最も重要な選択は、発話者の伝達的意図に対応する受話者側の選択(P81)」と書いている。さらに、「発話者の方に、情報的意図も伝達的意図もなかったとしても、受話者が、そこに、伝達的意図を読み取り、受容してしまえば、客観的には、そこにコミュニケーションが成り立ってしまうのである(P81)」とも書いている。

 コミュニケーション成功の鍵を握るのは発信者よりも受け手なのだ。只野は受け手として非常に優秀だったがゆえに古見さんの最初の友達となれたと言える。

 なじみと古見さんが友達になったエピソードでも、やはり受け手が重要となっている。なじみに、前の学校の不良が絡んでくる。不良が鍵を落とす。古見さんはその鍵を渡そうとするも、しゃべることができないので勘違いさせてしまう。その一連のやり取りを見て、なじみは古見さんを面白い人だと思い、友達になる。古見さんは、ただ鍵を渡そうとしただけだが、そのやり取りを見ていたなじみには、何か別の解釈が生じたのだ。

 コミュニケーションは難しい。何しろ、発信者は、受け手が発話の意味をどう解釈するのか、コントロールすることができないのだから。コントロール不可能なことに乗り出すのは、誰だって怖い。古見さんの感じる恐怖は、何も特別なことではないのだ。

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