インテリアスタイリストの草分け・吉本由美が振り返る、70年代の東京と雑誌文化 「いま思えば当時はとても自由だった」
62歳にして熊本へ、決心と苦労
――熊本に帰ると決め、東京の自宅で荷造りしている最中に、吉本さんはあの東日本大震災に遭遇します。これも図らずも象徴的なシーンです。62歳の時、44年住んだ東京を離れ、故郷の熊本の実家に帰る、その時の決心についてあらためて聞かせてください。
吉本:還暦ってやっぱり一つの区切りじゃないですか。だから60歳の時、「もうなんか終わりのような感じだな」と感じたんです。老いた両親の介護で東京―熊本を頻繁に行き来してましたから、お金も体力も気持ちもどんどんすり減ってくる。でもそう簡単に決心できないから、そこから決断まで2年かかりました。しかし、62歳の当時はまだ「仕事しなきゃ」と思ったり、荷造りする元気もあったから良かったんです。いま私73歳だけど、73ではやれなかったと思います。
――プロフィール写真がありますが、抱えてらっしゃる黄色い花は本に出てくるミモザですか?
吉本:そうです。ミモザ。
――今のご自宅は写真を拝見する限り、お庭がだいぶ広いですね。
吉本:広くて、しかもいろんな雑草がたくさん生えてるんです。手入れに体力、人にお願いするにはお金。若い時はもちろん貧乏だったけど、歳取ってまでこんなにお金で苦労するなんて思わなかった。まあ貯金してない自分が悪いのだけど。私、とにかく貯金ができないんです。貯金と日記だけはどうしてもできない!
――(笑)。 わかります!
吉本:これでも何回かトライしてるんです。でもダメ。だから本にも書いたけど個人年金ね。これをやっててほんとに良かったと思ってます。解約したら損することになるから、これが貯金の代わりになります。だから私みたいに意志が弱くて貯金できない人にピッタリ。払ってる最中は葛藤があるんですよ。「こんなのは払ってどうなる?」とブツブツ言ってました。でもいま、「やめなくてよかった!」と心から思ってます。
――いまこのインタビューを読んでくれている若い方には特に言いたいですね。ところで貯金ゼロの吉本さん、何にそんなにお金を使ったんですか?
吉本:私はとにかく家賃です。いつも都心に住んでいました。国立競技場のすぐ隣に住んでいた時もありました。Jリーグができた時(1993年)もいたので、もうたいへん。競技場に入れない人たちが千駄ヶ谷の駅からずーっと騒いでる。好きな部屋に住みたい欲望が強くて、私にはぜいたくかな? と思いつつあきらめられないから、いつも家賃のために仕事している感じでした。「貯金ほぼゼロ」といったら兄弟は腰が抜けるほど驚いてましたね。というのも私は相当稼いでいると思っていたらしいんです。「なにやってたんだ」と兄は怒ってました。
――読者だって驚いている方、多いと思いますよ。ずっと活躍していたインテリアスタイリストの吉本由美さんって、こんなにお金無い人だったの!? って。でも、そのことを悔やんでいるわけでもない?
吉本:うん。だって好きな部屋で楽しい時間が過ごせたのだから。タイプの違う部屋を転々としました。家賃が高くても、私には分不相応だと思っても、「この部屋に住みたい」という欲望がいつも勝ちます。
欲望にいつも忠実だった
――やりたい! という気持ちにいつもストレートなのが本からよく伝わってきます。本気でバーテンダーを本職にしようと思ってたんですよね?
吉本:本気でした。でも10年やって身につかない。まずお酒の名前がなかなか覚えられないんです。カクテルの作り方も覚えられない。お客さんの名前も顔もどうしても……さすがにこれは「合わないんじゃないか」と。そもそもバーは基本、お客さんが来るのを待つところじゃないですか。この「待つ」という行為がどうにもダメ。10時すぎても誰も来ないとイライラしてしまって、マスターと「もう閉めようよ、来ないよ」「ダメだよ、これから来るよ」なんて。私、とにかく受け身がイヤなのかな(笑)。
――バーテンダーになりたかったのは、あこがれから?
吉本:いろんなバーに行って「かっこいいな」と思ってました。だいたい男の人だけど、ある時、杉並だったかな? 古いバーに行ったらバーテンダーがおばあさんだった。着物着て。「わあ」と思って話を聞かせてもらったんです。「私にもやれるでしょうか。もうけっこういい歳なんですが」と言ったら、「あら、死ぬまでやれるわよ。足腰に来たら座ってやればいい」って。でもどうやら向いてないらしいと思い、それでも「お手伝いのプロ」でいいやと決めて10年続いたのは、賄いご飯がとにかくおいしいかったから。しかも居るあいだ飲み放題でしょ(笑)。
――しかしこうやってお話うかがってると、もちろんその時々でよくよく悩んだり考えたりされたと思いますが、失礼ながら行き当たりばったりとも言えますね(笑)。あるいはその時の欲望に忠実。
吉本:そう。欲望にいつも忠実だったと思います。
――この本でぼくがいちばん好きな章は「ヒルデガルドの長いお話」なんです。ほとんど顧みることもなく手放したチェロがまた戻ってくることになって、いまはそれを毎日熱心に練習されている。実に不思議な縁です。
吉本:東京にいる時、周囲の環境のこともあって夕方しか練習できなかったので、いまもその体質になってて、だいたい夕方に練習しています。ただ一つ問題が発生してしまいました。家まで教えに来てくださっていた先生が、お母さんの介護のために引っ越して、来られなくなったんです。家までわざわざ教えに来てくれる人なんてそうそういないから学校に行かなきゃいけないんだけど、私はクルマを持っていなくてタクシーで行かないといけない。大きなチェロを抱えてタクシーに乗るなんてイヤだなあ、と。で、誰に聴かせるわけでもないし、独学でいいかと思っています。あとね、私、手が小さくて弦の正しい位置に指が届かないんです。これは大きなダメージで、必ず音がズレてしまう。そのハンディがあり、しかも憶えが悪いからいつも譜面を見ていないといけない。良い音が出ない自分に腹が立つけど、次こそは出るかも、と思うからあきらめず、そしてやっぱり楽しいんです。集中すると2時間はやるけど、これがあっという間で、「いけない、もうこんな時間、夕飯の用意をしないと」って。
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今日のインタビューで、吉本さんはずっと、後悔しない生き方をしてきたのだな、と感じた。人はもちろん一人では生きられないから吉本さんも多くの人と親しく係わり、助けもあったはずだが、「やる/やらない」を決められるのは自分だけ。吉本さんと同世代、中高年の人ももちろんだが、いまいろいろ迷っている若い人にこそ、この『イン・マイ・ライフ』を読んでほしいとあらためて思った。
※注:リバースモーゲージ
自宅を担保に金融機関から借金をし、その借金を毎月など定期的に年金というカタチで受け取る仕組みのこと。自宅は持っているけどいまは現金収入が少ない、という高齢者が、自宅を手放さずに収入を確保できる。
■吉本由美(よしもと・ゆみ)プロフィール
1948年、熊本市生まれ。作家、エッセイスト。10代で東京に出て、セツ・モードセミナー卒業後、洋画雑誌『スクリーン』編集部に。大橋歩さんのアシスタントを経て、「アンアン」「クロワッサン」などで雑貨・インテリアスタイリストとして活躍する。やがて執筆活動に専念するようになり、2011年から故郷の熊本に在住。『吉本由美〔一人暮し〕術・ネコはいいなア』(晶文社)や『雑貨に夢中』(新潮文庫)、『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』(村上春樹、都築響一との共著、文春文庫)、『みちくさの名前。雑草図鑑』(NHK出版)、『キミに会いたい 動物園と水族館をめぐる旅』(新潮社)など著書多数。現在は熊本発の文芸誌『アルテリ』(橙書店アルテリ編集室)などに寄稿している。