【最終回直前】『進撃の巨人』エレンはいかにして“真の主人公”となった? 転換点を考察

『進撃の巨人』の連載を振り返る

真の主人公となったエレンが示す自由の危うさ

 2013年に発売された公式ガイドブック『進撃の巨人 IN SIDE 抗』のなかで、諌山創はエレンについて「納得できない」キャラクターと語っていた。「人間として良い面ばかりを描いている」ためか「実在感をまだきちんと示せて」おらず「ストーリーに踊らされている」ようだと。

 それが一変するのが22巻で父グリシャの過去を知り、世界の謎を解いてからだ。それまで状況に翻弄されていたエレンが、23巻以降では大国マーレとの戦争の口火を切り、ジークを欺き、調査兵団に反旗を翻したうえ、始祖の巨人の力を行使してパラディ島以外の人類を駆逐する「地ならし」に乗り出すなど、次々と意表をついた行動を取り、物語を牽引するようになる。

 諌山創も、2019年発売の公式ガイドブック『1冊でわかる 進撃の巨人 ストーリーガイド』で「海を見るまでは「物語の奴隷」でしたね。海を見てからは、物語を引っ張っていくキャラクター」になったと語っているように、文字通り物語の主役が、世界の謎から“実在感をもった”人間に移ったのだ。

 強引かもしれないが、これらの変質に筆者は宗教的信仰を背景とした中世から、科学を重んじる近代・現代への歴史の移行に近しいものを感じる。知恵を得て、神という超越的な存在を畏れなくなった人間たちの精神的基盤は、宗教的信仰から社会的イデオロギーへ、そして冷戦終結後は個々のイデオロギーへと移っていった。

 そして物語を牽引するエレンの信念であり、重要な行動原理になっているのが“自由”である点にも注目したい。言うまでもなく自由は、欧州で中世の封建主義を打ち破る市民革命の源泉となり、民主主義の根幹をなす概念だ。哲学者アイザイア・バーリンによれば、自由は他者からの干渉を受けない消極的自由と、自分の意志を実現することができる積極的自由にわけられるという。

 マーレ篇以降のエレンの行動は、双方の自由を苛烈に体現するあまり、あたかも自由の危険性を説いているようにさえ見える。

「お前らが世界の自由を守るのも自由。オレが進み続けるのも自由」
「互いに曲げられぬ信念がある限り、オレ達は衝突する」
「オレ達がやることは、ただ一つ」

「戦え」(第33巻 第133話「罪人たち」より)

 たとえ“未来の記憶”でその惨劇を体感して悔恨の念に苛まれても、たとえアルミンやミカサほか調査兵団の面々と戦うことになっても、自由を求めて自らの信念を貫こうとしたエレンの姿は、原罪を背負った殉教者のようであると同時に、どこか肥大した自由と正義によって自家中毒に陥った現代社会の住人にも重なる。

 先述の公式ガイドブック『進撃の巨人 キャラクター名鑑』で、諌山氏は22巻のラストに描いた貝殻に「夢の終わり」「少年期の終わり」の意味を込めたというが、やはりあのシーンは『進撃の巨人』という物語がファンタジーという夢から、歴史そして現実世界の寓話へ転換した場面だと思うのだ。

■倉田雅弘
フリーのライター兼編集者。web・紙媒体を問わず漫画・アニメ・映画関係の作品紹介や取材記事執筆と編集を中心に、活動している。Twitter(@KURATAMasahiro)

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