映画監督・松井久子が語る、“高齢者の性愛”を小説で描いた理由 「幾つになっても自分らしく生きたほうがいい」

松井久子が語る、高齢者の性愛

伝えたかったのは、「自分を開く」ということ

――小説で、言葉による思いきった表現をされたわけですが、書き上がった作品を読んだ方々からはどんな反響がありましたか。

松井:書き上げたとき、何人かの親しいお友だちに「感想を聞きたい」とメールで原稿を送ってみたのです。でも、同世代のお友だちからは全然リアクションが返ってこなかったわ(笑)。皆さんが真面目で上品な方ばかりなので、きっと感想をどう書いていいかわからなかったのでしょう。そんなことを考えたこともなかったから(笑)。一方で、もう少し下の世代、とりわけ40代、50代ぐらいの女性たちからはものすごく受けましたよ。「元気が出ました」「私も70代になっても、女として生きることができるのね」「すべては自分次第なんだわ」と。

――確かに主人公の積極的な行動には励まされます。

松井:この小説で伝えたかったのは、「自分を開く」ということでした。「あなたはほんとに自由に生きていますか?」。別に恋愛でなくてもいい、「今を輝いて生きてますか?」と女性たちに問うてみたかったのです。人生100年時代と言われる今、幾つになっても自分らしく生きたほうがいいと思うので。そして自分らしく生きるためには、「自分を開く」勇気がないとね。でも、性の交わりを通した主人公の「再生物語」と読んでくださる人は少ないかもしれません。

――男性の反応はどうでしたか。

松井:30~40代の男性には「びっくりした」と言われたわ(笑)。おそらく彼らは、女性――しかも高齢女性が、このような内容のものを書くとは思いもよらなかったのでしょう。日本で「性」といえばポルノであり、風俗であり、アダルトビデオであるという認識が強いうえに、それらはすべて男性の欲望を満たすための産業として成り立っています。そして男性の性に関する知識も、巷にはびこる性産業みたいなものから手探りで学んでいる程度ではないかしら。おぼつかない知識のうえに成り立った男性側の「こうあるべき」という考え方に、女性が合わせている。そういう日本の社会では、女性目線からの性の話は「びっくり」されてしまうのでしょうね。

――50代の女性が映画を撮り、70代で小説を書くということは稀で、松井さんの場合、ジェンダー問題のみならず、年齢という枠組みからの解放もされていると思います。

松井:一生懸命生きていたら、自分の中に伝えたいものが貯まっていたという感じで、表現手段は何でもよかったの。映画監督や小説家が憧れの職業だったわけでもなく、ましてやそうした肩書きを得たいと思ったことはありません。テレビドラマの下請制作会社のプロデューサーとして年間4本、10年間で40本の2時間ドラマを作り続けていたら、50歳になったとき、男性主導で描かれる女性像に大きな疑問を感じて、そのうち我慢ならなくなって、自分で撮ってみたい!と思ってしまった。でも、それができたのはとても幸運だったとは思います。また、私にわかることは自分世代のことだけなので、作品は同時代を生きてきた60~70代の女性たちに向けたものをと思ってきました。同世代の女性たちは必ず共感してくれると信じていたし、そこに普遍性を見つけたいと。50になった私が、「映画を作りたい」と思えたように、70代になってふと「小説も書いてみたい」と思ったけど、いきなり出版して貰えるとは思いもしませんでした。とてもラッキーなことであり、厚かましいことですよね(笑)。

――ある意味、忍耐の果てに爆発するタイプなのでしょうか。

松井:忍耐してきた気はないけれど(笑)。『レオニー』という日米合作映画を10年前に作ったとき、企画を思い立ってから、13億円の制作費を調達してクランクインにこぎつけるまで6年半かかりました。あの頃皆さんから「ほんとに忍耐強いですね」「どうして諦めないでそこまでできたのですか」とよく言われましたが、「私は実現するまでそのことしか考えないから、途中で諦める選択肢なんてなかっただけよ」と答えていた。そういう性格なんだと思います。ひとつのことしかできないんですよ。ひとつ、これをやろうと思ったら、実現するまで、その目的に向かい続けているだけで。ただ、思いついたテーマを誰よりも先にやりたいというのは、いつもありましたね。『ユキエ』や『折り梅』など、認知症や介護の映画を作ったときは、これからはこういう題材が社会問題になるに違いないと思っていたし、今回トライした性の問題も、いずれ当たり前に語られるようになると思います。現に今、女性たちが「おかしいのではないか」と声をあげはじめていますよね。まだまだ時間がかかるとは思いますが、やっと「幕がひとつ開きかけている」という感覚はありますね。

――70代で小説も偉業ですが、50代で映画監督をはじめるというのもなかなかできないことですよね。

松井:それができたのは海外製作だったからなんです。私が作った3本の劇映画のうち2本はアメリカで作ったものです。私自身アメリカだと活き活きといられるのに、日本ではいつも下を向いて、日陰の存在という感覚があるの。日本の映画業界は特に男社会ですから。でも、今は若い女性の映画監督が続々と誕生して、自己実現を可能にしている。それは嬉しいことですね。

――これまで映画を作ってきた松井さんが、はじめて小説を書いて何を感じましたか。

松井:映画を作ってるときより楽しく感じたのは、一人でする作業は妄想が無限大に広がっていくということでした。その妄想をいかにリアリティもって書くかを自分に課したように思います。映画の場合、シナリオを書いた時点で頭の中に映像のイメージができあがっていても、たとえば主演女優が「いや、ここまでしか私は脱ぎません」と言ったら、その要望に従うしかなかったり、プランを変更することはよくあります。そういう不自由さのなかで映画を作ってきたので、小説を書いている時は「一人で書くって何て自由なの?」という喜びがありました。それともうひとつ、どうしても書きたいことがあったの。それは、「老いの孤独」という問題とどう向き合うかということ。それは今の年齢にならないと書けないことでしたね。

ーーところで、『疼くひと』というタイトルはどうやって決めたのでしょうか。

松井:正直言えばこのタイトル、私にはちょっと気恥ずかしいの。いくつかタイトル案を出して、その中から編集者の方々が決めてくれたのだけど、「よりによってこのタイトルが選ばれるとは……」という感じで。『闢く』や『鍵を開ける』というようなものにしたかったけれど、それだとタイトルを見ただけでは「何が書かれた本なのかわからない」と言われて。このタイトル、私はなかなか口に出せないんですよ(笑)。ほんとに自分を縛るものからの解放は簡単ではありませんね。


■書籍情報
『疼くひと』
松井久子 著
発売日:2月20日
価格:1600円+税
出版社:中央公論新社
https://www.chuko.co.jp/tanko/2021/02/005393.html

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