『AKIRA』はなぜ映画と漫画で異なるエンディングに? 大友克洋が未来に込めた想いとは

大友克洋『AKIRA』エピローグに込めた思い

 「アキラはまだ俺たちの中に生きているぞ!」

 大友克洋の漫画『AKIRA』最終巻「PART6金田」の終盤で、同作の主人公・金田はそう叫ぶ。

『AKIRA』(6巻)

 『AKIRA』は三度、終わりを迎えている。1988年に公開された大友克洋自身が監督を務めた劇場アニメ版『AKIRA』で、1990年に「週刊ヤングマガジン」誌上に掲載された最終回で、それからおよそ3年後の1993年に発売された同巻で。そしてその「PART6金田」の結末では、30ページ以上にわたって「連載時の結末」以降のエピソードが描き加えられている。冒頭で挙げたのも、その中での台詞だ。

 「週刊ヤングマガジン」誌上での最終回は、金田とケイがアキラの覚醒によって破壊されたネオ東京に昇る朝日を見つめるシーンで終わっていた。その時の読後感は劇場アニメ版を観終えた時とあまり変わらなかった。だが「PART6金田」で追加された部分によって、読後感が大きく変わった。

 このエピソードの追加について大友克洋は、1993年のラジオ番組で、劇場版制作のため連載を中断して気勢が削がれてしまったこともあり、早めに連載を終わらせて英気を養ったうえで改めて描き加えたと発言している。そこまでして描きたかった『AKIRA』のエピローグには、一体どんな意味が込められているのだろうか。

※本稿は漫画『AKIRA』、劇場アニメ『AKIRA』のネタバレを含みます。

 まずは漫画『AKIRA』と劇場アニメ版との違いについて、簡単に触れておこう。

 1982年(劇場アニメでは1988年)、関東地方で「新型爆弾」が炸裂したのを契機に、第三次世界大戦が勃発。それから38年が経過した2019年、翌年のオリンピック開催を控えた新首都ネオ東京では再開発が進んでいた。

 そんななか、職業訓練校の生徒・金田を中心とするバイクチームは、旧市街の高速道路を暴走中に不思議な能力を持つ少年・タカシと遭遇。その能力によって負傷した金田の仲間・島鉄雄が、軍によって連れ去られてしまう。鉄雄の行方を探すうち、反政府ゲリラのケイたちと出会った金田は、政府が隠蔽する、能力を持つ子どもたちの研究と、先の大戦の引き金となった謎の存在「アキラ」をめぐる争いに巻き込まれていく。一方、軍の研究施設で能力に覚醒し始めた鉄雄は、金田に対抗心を抱き、次第に対立を深めていく……。

 以上が極めて大雑把ではあるが漫画、劇場版に共通している序盤の展開だ。劇場版はここから単行本3巻「PART3 アキラⅡ」までの人物関係や物語を簡略にして再構成した上で、以下のようなラストを迎える。

 金田たちに先んじてオリンピック会場予定地であるスタジアム近くに封印されていたアキラの元にたどり着いた鉄雄だったが、金田たちの襲撃に合い、能力が暴走して自滅寸前に追い込まれる。その時、タカシたちが協力してアキラを覚醒させて、アキラの力で生じた新しい宇宙へ鉄雄やアキラたちと共に去って行ってしまう。残された金田は、崩壊したスタジアムを後にして、ケイたちと共にバイクで高層ビルが立ち並ぶネオ東京へと帰っていく。

 一方、漫画では軍と金田やケイたちによるアキラの争奪戦が繰り広げられた「PART3 アキラⅡ」の終盤で覚醒したアキラによってネオ東京が再び崩壊。4巻「PART4 ケイ」以降最終巻6巻「PART6金田」まで、被災して無政府状態となったネオ東京で、アキラを大覚に祭り上げて大東京帝国を結成した鉄雄と金田とケイたち、そしてネオ東京に潜入したアメリカ海兵隊たちを交えた乱戦が展開される。

 終盤の、力が暴走した鉄雄を食い止めるためタカシたちとアキラが力を発揮して、新しい宇宙へと連れていくという大筋は劇場アニメを踏襲。そして先述の通り、連載時はアキラたちが去った後、金田とケイがネオ東京に昇る朝日を見つめる後姿で終わっていた。

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