『かいけつゾロリ』著者・原ゆたかが語る、悪役を主人公にしたワケ 「大人に気に入られるいい話を書こうとは思っていない」

『かいけつゾロリ』著者・原ゆたかが語る、悪役を主人公にしたワケ 「大人に気に入られるいい話を書こうとは思っていない」

絵本的でもマンガ的でもない演出を求めて

――原先生は過去のインタビューを読んでも映画の話はよく出てきますが、意外なくらいマンガの話が出てきませんよね?

原:マンガは大好きですが、もう手塚治虫さんたちによって映画的な演出がすでに確立されていました。でも、当時、児童書ではそういうことを手法とした演出があまりされていないなと思っていたんです。それでも『かいけつゾロリ』シリーズは先生や大人の方からはいまだに「マンガ的」と言われて評価してもらえないこともありますけどね。文章量、情報量の多いお話を、本を読むのが苦手な子に読んでもらうためのアクセントで、吹き出しや、わかりやすく説明するための4コマページを入れたりするからなんでしょうけど。

――絵本でもマンガでもない、ある程度分量のある物語をいかに読みやすくするか、演出方法を確立するかに関心があったわけですね。『ゾロリ』が始まったのは1987年です。学校読書調査を見ると不読率が上がり、平均読書冊数は下がる傾向にあった時期です。原先生の「本を読まない子に向けて書く」というスタンスは、子どもの本市場に対して逆風が吹いていた時期だから、という環境要因もありますか?

原:そもそも「活字離れ」と言われているころに小さい字がぎっしり書かれている『コロコロコミック』を子ども達はみんな熱心に読んでいたのです。これは「活字離れ」ではないと思いました。そのころ私も普通にコロコロは好きで読んでいたので、あまり子どもたちとの感覚のギャップはなかったと思います。面白ければ、どんなに細かい活字でも読むと思うのです。昔、無理やり大人にいい話や、ためになるとすすめられた本で、自分も子どもの頃に本が嫌いになった時期がありました。

 本が好きになった今、本を嫌いにさせる側の大人になりたくない、そんな思いで、その頃の自分に面白いと感じてもらえるお話を書きたかったんです。

――その結果、ゾロリを子どもたちが取りあうように読みはじめると、「ゾロリばっかり読んで困る」という批判もあったと聞きました。

原:「本を読まない」といわれてきた子が『ゾロリ』だけを読みだすと、大人たちは、「ゾロリしか読まない」「ゾロリはためにならない」などと言いだしました。それはもう本の中にも書いていたように刷り込み済みでした。大人に気に入られるいい話を書こうとは思っていないからです。

 私はずっと子どもの味方でいたいと言ってきました。自分が子どもだったころ、今なお愛されている手塚治虫も『仮面ライダー』も『ウルトラマン』もドリフターズも、みんなPTAからは疎まれていたなあ、と思いました。「ビートルズは不良だ」なんて言われていたくらいです。

 でも、禁止されたり疎まれたりしても支持されていたものは残るんですよ。大人は嫌いなものでも、子ども・若者が楽しいと思うものは残っていき、その子どもが大人になったときには子どもに勧めてくれるようになるんです。『ガンダム』だって『ウルトラマン』だって今なら親子で話せますよね。だから大人に認められないことが僕にとっての勲章でもあるんです。

「大人に対する違和感」が『ゾロリ』を駆動していた

原:例えば、ぼくらが学校で見せられた映画は、努力や苦労を重ねる暗く重い話を、暗い講堂で延々と見せられ、映画が苦痛だったのです。はやくこの講堂から解放されたくて、何も感じとれませんでした。

 私が子どもの頃、劇場の映画は2本立てで、目的の『ゴジラ』を観に行くと、もう1本は大人の喜劇映画などを上映していました。中でも、植木等の「無責任シリーズ」が大好きで、仕事に失敗しても青空の下でワッハッハって笑って次のことにチャレンジする何があっても諦めない前向きな姿に憧れました。これを見ると、いやなことがあってもなんだか元気が出てきたんです。世の中では無責任でくだらない喜劇映画と言われていても、あの映画はあきらめない前向きな気持ちを私にくれた宝物です。いまでも落ち込むと見る映画の1本です。

 子どもにだって学校や家でイヤなことは絶対あります。人生うまくいくことってそんなにないわけですよ。大変なピンチの時になにか手立てはないのかなと思い悩んでいるときに、ゾロリたちが「地球を救うためにはおならが必要だ。みんなでおなら出そうぜ」と真剣に立ち向かっていたら、クスっと笑えて、ちょっとは気がラクになるんじゃないかなと思うんです。

子どもに自分が子どもの頃楽しかったことを伝える

原:大人になると、子どもより自分はいろいろと経験を積んでいるので、つい自分が先に知っていることを子どもに教えてあげたくなるんです。でも大人が知っていることなんて今の子どもたちも大人になるにつれて経験してわかっていくことです。

 子どもたちに「年をとると痰が絡むんだ」「腰が痛くなるんだ」と熱弁してもわかってもらえないように、「宿題を早くやりなさい」と言いたくなるのは自分が宿題をやらなかった時に大変な思いをしたからこそ分かったことだったんじゃないでしょうか。

 子どもにとってはただのお説教にしか聞こえないと思います。だから、私は自分が子どもだったころに、楽しかったこと、いやだったこと、ワクワクしたこと、ドキドキしたことを物語の中で伝えたいと思って書いています。

 「おなら」という言葉を聞くと、大人は顔をしかめますが、子どもはみんな笑います。大人には下品と感じても、子どもにとってはからだのしくみの不思議です。オヤジギャグも、言葉遊びに出会う最初の体験でした。また、怪獣の図解やキャラクターがたくさんいるパノラマページなどは、今も昔も普遍的な楽しみがあると思っています。

 子どもの頃の体験を思い出して、アイスの当たり棒が当たるかどうかドキドキしているときのギャンブル感って楽しかったなあ、と思い、それが『かいけつゾロリのチョコレートじょう』のブルルチョコや、『かいけつゾロリのきょうふのカーレース』のブルルアイスのお話になりました。

――チョコが3層になっていて真ん中に「あたり」って書いてあるから普通に食べると誰もあたりに遭遇しない、とか、アイスの棒を2時間なめ続けないとあたりがうきでてこないというやつですね。

原:そうです。今も昔も小学生の好きなものってそんなに基本的には変わっていないと思うんです。今の子もくじのあたりは嬉しいし、鉄腕アトムシールを集めていたのがポケモンシールに変わったり、ベーゴマがベイブレードになったりしているだけでね。

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