葛西純自伝連載『狂猿』第14回 引退覚悟で挑んだ、伊東竜二との一騎討ち

葛西純自伝連載  伊東竜二との伝説の試合

プロレス大賞のベストバウト受賞


 この試合のひと月後くらいかな。夕方に息子を保育園に迎えに行って、それから車でアピタっていう商業施設で買物をして、家に帰る途中のこと。信号待ちしてたら急にお腹が痛くなって、とにかく猛烈にウンコがしたくなった。これはトイレまで持つかな、やべーなって思いながら運転してたら携帯電話が鳴った。なんだよこんな時に、って思ったけど、車をちょっと停めて、携帯に出た。

 電話は当時、大日本プロレスにいた李日韓からで、いきなり「葛西さん知ってます?」っていうから、「知らねぇよ。いきなり言われても何のことだかわかんねぇよ」って答えたら、日韓が「東スポのプロレス大賞のベストバウトを葛西さんと伊東さんの試合がとりました」って。えーーっ!って、めっちゃ驚いて、ウンコが引っ込んだ。

 そこから家に着いて息子と妻だけ置いて、今度はひとりで大日本の道場に向かって、そこで東スポの取材を受けた。俺っちはプロレス大賞なんてものとは無縁だと思ってたし、狙ったこともなかった。けど、取ってみるとやっぱり周りの見る目が変わったというか、俺っちにも伊東にも、デスマッチそのものにも箔がついた。

 それまでも大日本プロレスでは毎試合のように伊東とタッグで当たってたんだけど、賞を取ってからは、先発で俺っちと伊東が出るだけで会場がウォーっと沸くようになった。賞を取るというのはこういうことなのかと思った。

 ただ、いま「2009年の年間最高試合」をビデオで見返すと、単純に「もっと出来たな」って思う。試合内容的には普通というか、大したことをやってない。ただ、あの試合はやっぱり異質なんだよ。

 例えば、ベストバウトを過去に取った試合っていうのは、その試合そのものの評価だけだった。ただ、あのときは、試合だけでなく俺と伊東の因縁があった。試合にこぎつけるまでの6年間に俺たちが積み上げてきたすべて、血を流してきたすべて、それに試合後のマイクや控室でのコメントも、全部ひっくるめての評価だったと思う。

 ただ、「プロレス大賞」が決まったからといって、1年が終わりじゃない。このあとの12月15日には鶴見緑地でメチャクチャなエニウェア戦をやったし、25日には恒例の葛西純プロデュース「ブラッドクリスマス」があった。

 ここでは、俺っちの首を狙って上り調子だった竹田誠志とガラスデスマッチをやった。

 こういう試合のとき、プロレス記者やファンから「竹田を育ててる」なんて言われることも多いんだけど、俺っちは次世代のデスマッチファイターを育てようという気持ちは、いまも昔も一切ない。ヌマと「スクール・オブ・デス」とかもやってたけど、あれは会社にいわれて流れでやってただけ。

 俺っちの本心は、後輩に育って欲しくない。新しい世代の選手だろうが、先輩だろうが、他でいい試合をしたら純粋に嫉妬する。そこは間違い無い。だから、葛西純が辞めたらデスマッチがつまらなくなったって思って欲しい。だって、自分がすごく好きで、人生を捧げてきたものが、自分が辞めた後にめちゃくちゃ盛り上がったりしたら悔しくないか?    仮に自分が引退したら、もうデスマッチは終わったとみんなが感じて、このジャンルが滅んでもいい。

 そんな想いを言葉にしたのが「葛西純=デスマッチ、デスマッチ=葛西純」というフレーズ。この頃から、俺っちはそんな覚悟で試合に臨むようになっていった。

■葛西純(かさい じゅん)
プロレスリングFREEDOMS所属。1974年9月9日生まれ。血液型=AB型、身長=173.5cm、体重=91.5kg。1998年8月23日、大阪・鶴見緑地花博公園広場、vs谷口剛司でデビュー。得意技はパールハーバースプラッシュ、垂直落下式リバースタイガードライバー、スティミュレイション。
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