『13歳からのアート思考』著者が語る、ゆたかなものの見方 「自分で見たり、考えたりすることこそがアート思考」

『13歳からのアート思考』著者インタビュー

 経済/経営の世界で「ビジネス、テクノロジー、クリエイティブを架橋するBTC人材が必要だ」「デザインシンキングやアートシンキングが必要だ」と言われるようになって久しい。ただ「美意識が大事だ」「右脳的発想が重要だ」などと言われても、具体的なプロトコル(手順)として落とし込まれていない限り「思考法」として使いこなすことは難しい。そしてともすればアートの話は「教養」(=知識)のことだと解されがちでもある。

 そこに現れたのが、武蔵野美術大学卒業後に都内の中高で美術教師を務め、アーティストでもある末永幸歩氏が書いた『13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)だ。ピカソやデュシャンといった20世紀のアート作品を題材に、アートの思考法を整理したユニークな一冊で、子どもが自分の関心を深める方法を見つける練習にも、「大人の学び直し」にも役立つ。

 末永氏にいまの社会の子どもにも大人にも必要な教育/アート思考について訊いた。(飯田一史)

美術に「正解」があるような教育への疑問

――末永さんは従来型の美術教育が知識や技術(制作)偏重であることに疑問を抱いて、ひとりひとりがそれぞれの「ものの見方」「自分だけの答え」を見つけて深めることを重視するようになったそうですが、その理由は?

末永:「美術教育」とひとことで言っても、ねらいはふたつあると思っています。

 ひとつは一般的に多くの人がイメージするような、知識を身に付けたり、絵の描き方や彫刻のつくりかた自体を覚えること。

 もうひとつは、美術そのものではなく、美術を通して思考すること、物事を違った視点から捉えることです。私は後者に面白みを感じていますが、武蔵野美術大学ではそれが当たり前でした。ムサビにはアーティストやその卵がたくさんいて、フラフラしているようにしか見えない人、普通の意味ではうまいとは言えない意味不明の作品を作っている人たちがたくさんいました。でも話してみると、それぞれすごく独特な視点があり、表現したいことが詰まっていた。だから美術には独自のものの見方、考えが反映されたものという思考が染みついていたんです。

 ところが教員になり教育現場に行って廊下に飾られている生徒の作品を見たりすると、みんな見映えがよく、まったく同じ技法で作られたり、描かれていたりする。「同じ方法が使われている」ということは「同じものの見方をしている」ということです。でも人間は本来ひとりひとり違うはずですから、これは自然なことではありません。ひとつのものの見方を教えられて優劣を付けられている、美術なのにあたかも「正解」があるような教育システムになっている。これは私が考えるアートのおもしろさ、よさとは違うな、という疑問があり、本に書いたような授業スタイルを試行しはじめました。

大人・親・教師が無意識にしている言葉づかい、思考法とは別の仕方で

――本では小学生までは図工が好きな子が多いのに中学生に入ると美術が好きな子はぐんと減るという「13歳の分岐点」があるとの調査が紹介されていましたが、一因としてはその「正解志向」の窮屈さが「美術嫌い」の増加に影響している、ということですよね。本の執筆動機は?

末永:本に書いたものとほぼ同じ内容の、美術を通して「異なる角度から物事を見てみよう、広げてみよう」という授業を中高生相手にしてきました。授業を作りながら家庭で夫と「こんな授業しているんだ」「次どうしようか」と話しているうちに、「この授業は中高生だけじゃなくてビジネスパースンも楽しめるよ」と言ってくれるようになったんです。夫はアート関係者ではなく一般企業で経営企画の仕事をしていて、かつては美術館に行くことはあっても古典絵画ですら「きれい」とか「いい」という感想すらなく、現代アートは「わけわかんない」という人間でしたが、私の授業を通じて美術にどんどん興味を持つようになってくれました。夫のような左脳型のビジネスパースンでも楽しめるなら、本にして広く伝えていきたいなと考えたんです。

――本はどんな人に読まれていて、どんな感想が多いという印象ですか?

末永:タイトルでは「13歳からの」と言っていますが、基本的にはビジネスパースン向けに書いたので、そういう方が一番多いです。そういう方からの声はふたつに大別できます。

 この本では、「アートという植物」は、好奇心や疑問が詰まった「興味のタネ」が無数に伸びて「探究の根」となり、目に見える「表現の花」を咲かせる、という話をしています。ひとつは、この「アートという植物」を抽象化して、ご自身の仕事や生き方に置き換えて読んでくれるというもの。もうひとつは「現代アート入門としておもしろかった」というものです。それはそれで、美術を通してものの見方を広げる、常識を疑うということにつながってくれているのかなと思います。

 それ以外に教育関係者からもたくさん感想をいただいています。私のような疑問を抱えていて「何かもっとできることがあるはず」と思いつつも自分の授業は生徒のアウトプット重視になっていたり、鑑賞の授業をどうやればいいのか悩んでいたり……でも「この本を参考に自分もやってみます」と。

 ほかには小さいお子さんがいる親御さんたちが読んでくれて「自分の子どもが描いた絵に対する見方が変わった」「子どもの行動を今までひとつの価値観でしか観れなかったけど、接し方が変わった。変えていきたい」といった感想もあります。

――子どもが絵を描いているときに「何描いているの?」と大人は聞きがちだけど、「何か」を描いているとは限らなくて、クレヨンがすべったりするのが楽しいとか、塗っていたら茶色い塊ができたのが発見だった、とか、行為自体の喜びを共有したいのかもしれない、と本に書いてあって、たしかにそうだな、と我が身を顧みて反省しました。

末永:そこは「おもしろい視点だった」と言ってくれる方が多いですね。大人に「何を描いているの?」と聞かれ続けると子どもは「『何か』を描かなければならない」「『何か』を描くのが正しい」という風に思って育ってしまう。悪気はなくても子どもに無意識に答え探し、正解探しを促す声かけだと思うんですよね。「将来何になりたい?」という問いかけも同じですね。暗に今ある答え、今あるやり方に大人があてはめて子どもの答えをジャッジしていくものです。学校現場以上に家庭での教育は影響力があると思うので、声のかけ方は意識してもらえたらと思っています。大人の目線とは違う子ども自身の視点で見る、ひととは違う視点で見ることを肯定してあげてほしいなと。

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