『復活の日』『首都消失』で再注目 小松左京がシミュレーションした、危機的状況の日本
彼は、一連の作品で政治をどう描いたか。『首都消失』では東京ごと失われた政府、国会に代わる組織を知事たちが急遽作りあげた。『復活の日』では、人類が唯一生き残った南極で各国の基地にいた人々が無線で会議を催し、事態に対処するための統一組織結成に動く。どちらでも、民主的なプロセスを経て政治を行うことで、困難に立ちむかおうとする。
また、『日本沈没』の場合、ある天才的科学者が察知した列島消滅の未来を政財界の黒幕の人物が首相に告げる。その絶望的な予測を信じた首相は、状況把握と避難計画遂行のために官僚や学者を組織し、地味だが各担当分野に精通した人選で内閣を改造して、国難と正面から対峙する。首相が自分に味方してくれたお友だちを大臣に任命したせいで担当分野を理解しておらず、答弁の能力すらないといった現実の日本とはまるで違う政治のありかたが、小松作品には描かれている。
『復活の日』では、子どもじみた恐怖心にとりつかれた政治家がトップの権力を握り、軍事的欲求を暴走させたため、世界の破滅を招いた。小松は、強力な指導者がいれば大丈夫とする書き方はしなかった。『日本沈没』にはしっかりした為政者が登場するが、『復活の日』や『首都消失』と同様に必要なプロセスを積み重ね、組織体制を固めながら行動していく。民主的な手続きにこだわるのだ。
コロナで社会が揺れているなか、民主的な手続きを軽視する現政権は、意思決定の過程が不明瞭なまま対策が後手後手になっている。それに対し「今は批判する時じゃない」と追従する人がいる。しかし、小松作品は、政治においてはただ一定方向に進むのではなく、反対意見も出されて議論されるプロセスが大切であることを語っていた。それは、彼が少年時代に日本が戦争に敗北し、軍国主義から民主主義へという国家体制の転換を経験したためでもあるだろう。また、小松は、1970年の日本万国博覧会でテーマ館のサブプロデューサー、1990年の国際花と緑の博覧会で総合プロデューサーを務めた。国際的で国家的なプロジェクトに関与することで社会に関する思索を深めたのである。
昨年秋には世田谷文学館で、このSFの巨匠の歩みを回顧する「小松左京展-D計画-」が開かれた。また、11月にはラジオ版・映画版・TVドラマ版『日本沈没』を中心に、やはり映画化された『エスパイ』、『さよならジュピター』など、小松の小説を原作とする作品の曲を演奏する『小松左京音楽祭』(松井慶太指揮、演奏はオーケストラ・トリプティークとプログレッシヴ・ロック・バンドの金属恵比須)が催された。これらの催しで小松左京評価に一区切りがつくことはなく、コロナをきっかけに再び注目されたわけである。
先の音楽祭は最近CD化されたばかりだが、コロナ終息後には『復活の日』や『首都消失』を中心とした「小松左京音楽祭II」を望みたいところだ。また、2025年には再び大阪を舞台にして万博の開催が予定されており、その時にも万博関係者だった彼の業績は、またふり返られるだろう。
小松左京は、アクチュアルであり続ける。
■円堂都司昭
文芸・音楽評論家。著書に『ディストピア・フィクション論』(作品社)、『意味も知
らずにプログレを語るなかれ』(リットーミュージック)、『戦後サブカル年代記』(
青土社)など。
■書籍情報
『復活の日』(角川文庫)
著者:小松左京
出版社:KADOKAWA
https://www.kadokawa.co.jp/product/321710000583/
『首都消失』上下巻(ハルキ文庫)
著者:小松左京
出版社:角川春樹事務所
http://www.kadokawaharuki.co.jp/book/detail/detail.php?no=1557