結婚相談所で成婚退会できるのは約3割……必要な努力は? 『婚活迷子、お助けします。』第七話

結婚相談所で成婚退会できるのは約3割

婚活迷子、お助けします。 仲人・結城華音の縁結び手帳

仲人でありながら、「結婚」に疑問を抱く華音。彼女が婚約破棄した理由とは?

 結婚相談所で仲人の仕事をしていながら、華音自身は、じつは結婚したいとは思っていなかった。というよりも、結婚になんの意味があるのだろうと疑問を抱いている。子供が欲しい、というのはよくわかる。けれどそうでないのなら、紙切れ一枚の契約が果たしてどれほどの「幸せ」を担保してくれるのだろう、と。

「だって目に見える形で保証されていないと怖いじゃない」

 と言ったのは、華音の母だ。華音の兄を身ごもったとき、その父親であった恋人は「逃げた」のだという。結婚前提で同棲までしていたはずなのに、子供ができたと告げたらとたんに「まだ結婚はむり」「払える金がない」「そんなつもりじゃなかった」と言い訳をならべて行方をくらませた。いない人間から養育費をとりたてることはできず、母は実家にもどってひとり兄を育てた。そんななか出会った華音の父とは、いまでいう「交際0日婚」を決めたという。

「婚前交渉して、また子供ができて、逃げられたら困るでしょう。まあ、誠実を絵に描いたような人だったから、大丈夫だろうなとは思ったんだけどね。でも、やっぱり怖かったから」

 そんな母だから、未婚でも養育費の差し押さえを可能とする法改正のニュースを耳にしたときは小躍りしていた。いまさら兄の父親とどうこうしようなんて思っていないけれど、自分と同じ痛みを負う人がひとりでも減ればいい、と。あっけらかんと言う母が、どれほどの傷を心に負ったのか、想像すると華音の胸も痛む。ゆえに、「子をもつ」うえで婚姻制度が必要なのは、よくわかるのだ。

 ただ、だからといって、兄の父親と母が結婚していたら幸せになれたのか、と考えるとそうとも思えない。華音の父とは大きな喧嘩もなく仲良く暮らしているのを見ているから、とくべつ幻滅しているわけでもないのだけれど、夫婦ってなんだろう、結婚ってなんなんだろうと思う気持ちが消えなかった。

 結婚するだけが幸せではない、と言われるようになって久しい今の時代、それでも「結婚したい」と願うひとは男女問わず大勢いる。夫婦にはいろんな形がある、必ずしも籍を入れるだけが正解じゃないよ、なんて多様性を受容しながら、自身は“ふつうに”“昔ながらの形で”“ちゃんと”結婚をすることを望んでいる場合が多い。紙切れ一枚のケジメが、自他ともに夫婦だと認めてもらえる筋のとおった関係が、やっぱり大事だと思っている人が少なくない。

 結婚への幻想は、世間的にもとうに打ち砕かれているはずなのに。なぜなのだろうと華音は不可思議でならないのだ。

 4年前に婚約破棄をしてからは。

 両親も友人たちも誰もが愚かだと口をそろえた決断をしてからは、ますますその思いが強くなった。

「……小川さまは、結婚しなきゃいけないと思い込んでいませんか」

 2杯目の紅茶が志津子のカップに注がれるのを見ながら、華音は問う。

 いつもなら踏み込まない一歩を、今日は進めてみようと決めていた。そうでなければきっと、志津子は結婚することじたいを諦めてしまう。結婚しないという選択を否定しているわけじゃない。志津子が母親の呪縛にとらわれたまま、自分の意志を諦めてしまうことが華音は怖かった。仲人の分を越えているとわかっていても、言わずにはいられなかった。

「厳密には、お母さまの意に添う完璧な結婚をしなきゃいけないと思っていらっしゃいますよね。でもそんなものはないと、私は思います」

「……完璧な、結婚」

「一軒目の相談所を退会した理由も、お母さまのハードルが高いことも、小川さまは全部お話してくださいました。それはきっと、お母さまの言うことを聞き続けているかぎり成婚が遠ざかると、どこかでわかっていらっしゃるからじゃないんですか」

「……でも、結婚って家同士のおつきあいでしょう。親が快く思わない人と、むりやり結婚するわけにはいきません。迷惑がかかります」

「それは確かに、相続の問題などもありますし、無関係ではいられないと思います。でも、小川さまの人生は小川さまだけのものです。失礼な言い方ですが、お母さまはいつか小川さまより先に亡くなってしまいます。そのとき、小川さまになにが残るかを考えていただきたいんです」

 まくしたてて華音は、はっと口をつぐむ。隣に紀里谷がいたらなんというだろう。言いすぎだよ、とたしなめる声は優しくても、厳しくねめつけられるかもしれない。拳をいっそうぎゅっと握る志津子を見て、華音はふたたび言葉を探した。それでも何かを言わずにはいられなかった。

「私も、ちゃんとした結婚をしなきゃいけないって、思い込んでいた時期があるんです」

 下唇を噛み、自分の拳を見つめている志津子に、語りかける。

「ずっと母から言われていました。いつでも親に挨拶する覚悟のある、まじめな人とだけつきあいなさい。いまは自由な時代と言われているけど、形式は大事よ。形式が守ってくれることもある。男女平等とはいえ、女の人が一方的に傷つけられることはまだまだ多いんだから、って」

 専業主婦にならなくてもいい。でも専業主婦になれるくらいの経済的な余裕をもっていることも必要だと言っていた。いざというときに妻を守る気概のある男じゃなきゃ、安心してあなたを預けられない。心から華音を案じて、母はそう言い続けた。

 だから恋人には、そういう人を選んだ。友達の紹介で出会った元恋人は、老舗の飲料メーカーに勤めていて、30歳にして年収は700万ほどあり、実家は千葉の土地持ちで、親族にせよ他人にせよ「つきあい」と「責任」を重んじる家庭に育っていた。

 紹介すると、母は喜んだ。私とちがって華音はちゃんとした人とちゃんとした結婚ができる。これで幸せになれると安堵の涙を瞳に滲ませていた。ほどよく垢抜けていて、ほどよくまじめそうな風貌も母を喜ばせ、友人たちにも羨ましがられたほどだ。周囲が祝福してくれればしてくれるほど、華音も自分の判断が正しいと信じることができた。この道の先に自分の幸せがあるのだと。

「ただ、形式を重んじるということは、裏をかえすと、世間体や昔ながらの価値観に縛られるということでもあるんですよね。……私、当時は文具メーカーに勤めていて、商品企画部に異動したばかりだったんです。自分のアイディアが形になるのがすごく楽しくて、もっともっと働きたいって思いはじめたばかりでした。彼も応援するって言ってくれていたんです、けど」

 結納の日取りが決まり、結婚が現実的になるにつれ、彼はすこしずつ変わっていった。横暴、というほどではない。掃除の仕方にケチをつけたり、食事の味つけを失敗するとため息をついたり、すべて華音の至らなさが原因だから、指摘されるたびに申し訳なくなりながら努力を重ねた。けれどどれだけ要求を飲んでも彼が喜んでくれることはなく、むしろもっともっとと、ハードルがあがっていくだけだった。

 がんばってよ、これからは俺の奥さんになるんだからさ。

 そう言って、彼は華音に妻の役割をまっとうすることを求め続けた。友人にこぼしても「結婚ってそういうものでしょ」と言う。「あんなに優しくて稼ぎのいい旦那さんなんだから、それくらいやってもバチはあたらないよ」という子もいた。母には「我慢が足りない」と顔をしかめられ、兄には「お前もそろそろ大人にならないとな」と苦笑された。

 そういうものか、と華音は何度も反論を飲みこんだ。イラっとするたび、私の我慢が足りない、大人にならなきゃ、と自分に言い聞かせた。けれど要求が増えていくどころか、それまでやってくれていた食事のあとの皿洗いさえ疎かになりはじめた彼を見て、あるときふと思ったのだ。

 これが、一生つづくの? それが私の幸せなの?

「……それで、どうしたんですか」

 淡々と語る華音の思い出話を、気づけば志津子は顔をあげて、食い入るように耳を傾けていた。華音は微笑んだ。

「婚約破棄を申し出ました。やってられるか!って」

 志津子は目を見開いた。

「みんなに怒られましたけどね。願ってもない好条件の相手なのに、なんでみすみす幸せを捨てるんだ、もったいない、我儘だ、どうかしてるってもうさんざん。でも、そんなの私の幸せじゃない、相手に従うのが結婚することなら私はいらないってそう思ったので曲げませんでした。……以来、母とはぎくしゃくしていますが、後悔はしていません」

「……すごいですね」

 志津子はため息とともにつぶやく。

「私にはそんなこと、できません」

「小川さまはお優しいから、お母さまを裏切れないんですよね。……でも、一度目をとじて考えてみてください。お母さまのことも、お兄さまやお姉さまのことも、全部忘れて想像してみるんです。小川さまが、幸せだなあって思う瞬間のことを」

 志津子はおとなしくそれに従い、目を閉じた。

 素直な、女性なのだ。こんな一方的な話をされて苛立つこともなく、耳を傾け、相手の真意を汲み取ろうとする。誰よりまじめで、誠実な人。華音はそんな志津子にこそ、幸せになってほしかった。そのために結婚が必要なら、その手助けをしたかった。

「誰の隣にいるのが、いちばん安心しますか。もうすでにお別れしてしまった方でもかまいません。誰もいない、ひとりの空間がいちばんいいなら、それでもいいです。小川さまの本当の気持ちを、聞かせてください」

 ぴくり、と志津子の口の端が動いた。鼻の穴も、小さくふくれる。歯を食いしばっているのか顎に皺が寄って、志津子は小刻みに表情をふるわせながら、咽喉を鳴らした。

「………………田中さん」

 歯の隙間から、つぶやきが漏れる。

「田中さんに、また会いたいです」

 そう言って志津子は、両手で顔を覆った。やがて嗚咽しはじめた彼女を、華音は自分も泣き出しそうになりながら、静かに見守っていた。

■橘もも(たちばな・もも)
2000年、高校在学中に『翼をください』で作家デビュー。オリジナル小説のほかに、映画やドラマ、ゲームのノベライズも手掛ける。著書に『それが神サマ!?』シリーズ、『忍者だけど、OLやってます』シリーズ、『小説 透明なゆりかご』『リトルウィッチアカデミア でたらめ魔女と妖精の国』『白猫プロジェクト 大いなる冒険の始まり』など。最新作は『小説 空挺ドラゴンズ』。「立花もも」名義でライターとしても活動中。

(イラスト=野々愛/編集=稲子美砂)

※本連載は、結婚相談所「結婚物語。」のブログ、および、ブログをまとめた書籍『夢を見続けておわる人、妥協を余儀なくされる人、「最高の相手」を手に入れる人。“私”がプロポーズされない5つの理由』などを参考にしております。

結婚相談所「結婚物語。」のブログ

『夢を見続けておわる人、妥協を余儀なくされる人、「最高の相手」を手に入れる人。“私”がプロポーズされない5つの理由』

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