『逃げ恥』海野つなみ先生が語る、“ざっくり”な愛情論 「もっとゆるい感じで繋がっていていい」
「嫌な人は嫌な人として、その場にいるのが当たり前」
――改めて、最新刊の10巻を読んでいて思ったんですが、『逃げ恥』では誰かが強烈に指摘するのではなく、それぞれが自発的に気づいて反省したり、変化していくのが特徴的だなって。
海野:誰かがいいセリフを言って物事が好転するのは確かにグッとくるけど、それって人によっては説教キャラみたいに感じられることもありますし。実際、私たちも自分自身が納得というか、ハッとしたり、ズガーンって雷に打たれたみたいなのがないと、やっぱり人ってなかなか変わらないですからね。
――そこが『逃げ恥』のリアルというか。大人が読めるマンガになっているんだろうなと思ったんですよね。
海野:あと、昔の作品を見ていて気づいたことがあるんですけど。自分の作品の中にいる嫌われてる人って、嫌われてる本人は全然気にしてなくて、最後まで良い人間になろう的なことが一切ないんですよね。みくりのお兄ちゃんとかもそうなんですけど。結構、自分の身の回りに嫌な人って1人はいるじゃないですか。でも、その人を別に糾弾してどうしようということもなく、嫌な人は嫌な人としてその場にいるのが当たり前というか。それもリアルなのかも。
――確かに身近にもいますね(笑)。海野先生にも、自分に合わないなとか、この人いつもカチンとくるな、っていう人はいるんですか?
海野:いますよー(笑)。友だちと話をしていても、よく愚痴を聞きますしね。それを「悪口なんてよくないよ!」みたいな、真っ当で正しい世界なわけじゃないですから、現実は。マンガもちょっと清濁併せ呑むくらいのほうが、いいのかなとも思います。そうじゃないと「はいはい、理想郷ね。実際こんな世界ないけどね」ってなっちゃうと思うので。
――自分と違う価値観を持つ人を、どうにかしようと思うとストレスを感じますよね。
海野:そうそう。適当に流してやっていくことができればいいんです。でも、それができないほどのストレスを感じているなら、何かしらの解決策は練らないと、ですが。
――男の呪いの1つとして、続編で描かれているホモソーシャル(同性間コミュニケーション)のノリもそうですね。
海野:そう。あれも、マンガ的には誰もが見て「これはアウト!」みたいなことガンガンやるような、“THE悪者”みたいな感じにしたら、わかりやすくはあるけれど、実際にモヤモヤするのって、そんなにストレートじゃない。“THE悪者”というほど悪くはないけれど、でも「どうなの?」みたいな。そのモヤッぐらいが、一番みんな持ってるんじゃないかなって。微妙な感じを描くことで「あれ? 自分ももしかして似たようなことしてるかも?」ってドキッとさせたいなというところはありますね。
――相手が善意のつもりで言ったセリフに「ん?」ってなることとか、現実に“あるある”と読んでいて思いました。
海野:ありますよね。言ってる方は「いや褒めてるから! 別にけなしてないから!」って思ってるけど、言われてる方は「その上げ方は嫌だなー」みたいな居心地の悪さ。私自身、よくそういうのを体験したんですよ、学生時代に。全体的な印象としては上げられていても、そういう上げ方は嫌だなーっていう。一方を上げてるつもりで、誰かを下げてることとかって日常でもよくあるなって。私も笑いを取るために、やっちゃったーってときもありますしね。その手のコミュニケーションって、難しいですね。上げても下げても角が立つ。かといって、まったく触らないっていうのも会話が生まれないじゃないですか。
「“いいね”が、声で言える社会がいいなって」
――“ハラスメントになるのでは?”とコミュニケーションに慎重になるのは大切ですけど、潔癖になりすぎてしまうのも寂しいですよね。
海野:そうなんですよ。この前、担当編集さんがちょっと変わった柄の洋服を着ていったんですって。その日、上司の方と面談があったり、いろんな人と接したらしいんですけど、誰もそのシャツについてノータッチだったらしくて。そのあと、ある作家さんと打ち合わせで会った瞬間「すごいの着てますね!」ってツッコまれて、ようやく着てきた甲斐があったみたいに話していたんですよ(笑)。たぶん、女性の服をイジったらセクハラになるかも、みたいなのを気にしたのかなって。
――「そこはツッコんで〜!」みたいなときもありますよね(笑)。
海野:難しいですよね。だからと言って誰ともコミュニケーション取らないで自衛するのがいいのかってなると、またそれも……うーん、難しい。佐藤さん、街で人に声ってかけられます? 例えば、“すごい、わ! 私好み!”っていう服を着てる人がいて、“すごい気になる、あれ欲しい”とかなったときに、「すみませんそれどちらの?」とか言えます?
――アハハ。そうですね。相手が忙しくなさそうなときだったら(笑)。
海野:フフフ。そういうのって言われたほうも、うれしかったりするじゃないですか。「それ、いいね」が声を出して言える社会だったらいいなって、最近思っているんですよ。旅先で旅行者同士だったら妙に仲良くなったりとかありますよね。「ここ空いてますよ」とか「ここから撮った写真がすごいいいからここおすすめ!」とか。そういうのが日常では、なかなか……。だから声の大きい人だけがやけに響いちゃって。みんなが口をつぐんじゃう。もっと何も言えなくなっちゃうみたいなのがありますよね。
――言って自分も傷つきたくないし、誰かを傷つけたくないから何もしない、みたいな。
海野:そう。声を発しないから、“こう思われてるんじゃないか”って、どんどん想像だけがふくらんで、すごくネガティブになって、もっと閉じこもっていっちゃうんじゃないかと思っていて。理想は、自分から同じ「好き」を持っていそうな人にどんどん話しかけて、いろんなコミュニティを作っていくことなんですよね。
――人間関係を分散させていく?
海野:そうそう。日頃から小さくジャブを打つみたいなコミュニケーションを繰り返していれば、「それモヤッてするのでやめて〜」みたいな軽いノリで、自分の嫌なラインも相手に伝えられそうじゃないですか。そういう点で、男性はコミュニケーションがとりづらいかもしれません。最近は、声をかけたら不審者扱いされてしまったり、実の子どもと連れ立っていただけで誘拐犯扱いされてしまったという話も聞きますからね。
――それもハラスメント同様、警戒してしまう人も増えたかもしれませんね。
海野:やっぱり、これも会話のジャブがないとそうなんでしょうね。会話の前に、いきなり通報になっちゃう。そうならないためにも、男性がもっと気軽にコミュニティを作れる空気が必要かもしれませんね。仕事場以外のコミュニティを。
――たしかに。女性は、学生時代の友人やママ友たちと女子会と称して集まっていますが、男性の場合は年齢を重ねるほど職場の飲み会や接待などが多くなるイメージです。
海野:ホモソーシャルも、同じ感覚の仲間内なら全然いいんですよ。「どーぞ、好きなだけ盛り上がってください」って(笑)。それをいろんな価値観を持った人が集まるパブリックな職場に権力込みで持ち込んじゃうから、「ん〜……」ってなるんじゃないかなって。
――仕事人間として生きた結果、退職したあとに何をしたらいいかわからない、という話にもよく耳にしますしね。
海野:この前、公園に行ったら、青空将棋みたいな感じでおっちゃんたちが集まってワイワイやってたんですよ。行っても行かなくてもよくて、知り合いがいてもいなくてもよくて。それでも、行くところがある、っていうのがすごくいいなって。
――そういうコミュニティがあれば、「うちの娘夫婦は婿が育休とり始めたよ」とか、新しい時代の動きも遠くない話として聞けますもんね。やっぱりコミュニケーションがないとそのきっかけがないので価値観がアップデートされないですよね。
海野:そう。やっぱり「呪い」の先にある「孤独」が1番辛いんですよね。何かしらにつながっている関係っていうのを、なるべくたくさん持っていると、それだけで生きていけるんじゃないかなって。今は小さな親切も拒否するから、許容もできなくなってるのかなというのは思いますね。