連載『lit!』第128回:ケンドリック・ラマーから千葉雄喜まで 2024年はフッドに根差したヒップホップが活性化
「私たちが祝っているのは、天国と地獄の結婚に他ならない。新世界(アメリカ)アフリカの創意工夫とグローバルな超資本主義という悪魔のトリックだ」
批評家 グレッグ・テイトがヒップホップ30周年についてのコラムで、ヒップホップ産業をこう言い表したのは約20年前のことだ(『フライボーイ2──ブラック・ミュージック文化論集』収録「三〇歳になったヒップホップ」より)。当時、予想もしなかったであろう振興を遂げた2024年のヒップホップシーンは、ルーツという精神的な絆によって繋がるフッドやローカルの連帯と、重々しい鎖に繋がれた資本主義の関係性を、再び目まぐるしく突きつけてくる。
「Not Like Us」に象徴される“ローカルな連帯”を育む動き
まずは、今年のヒップホップシーンの分断と連帯を象徴する「Not Like Us」(ケンドリック・ラマー)の話から始めたい。2024年のヒップホップシーンにおいて、ドレイクとの間に勃発したビーフに端を発する、ケンドリック・ラマーの精力的な作品リリースは時代とシーンを象徴するようなトピックだ。
一応、事の流れを簡単におさらいしよう。昨年10月にリリースされたドレイク『For All The Dogs』に始まり、今年上半期にリリースされたフューチャーとメトロ・ブーミンによるジョイントアルバム『We Don't Trust You』を経て激化したケンドリック・ラマーとドレイクのビーフ、そこで生まれたケンドリック・ラマーの「Not Like Us」がSpotify上での1日あたりのストリーミング再生記録を塗り替えるヒットを叩きつけた。ケンドリックはその後、2025年の『第59回スーパーボウル』ハーフタイムショーへの出演が決定し、直近では11月22日にニューアルバム『GNX』をサプライズドロップ。この1年は話題に事欠かず、ケンドリック・ラマーの年だったという言い方もできるだろう。
ラッパーのビーフ史は長きにわたりさまざまな話題をリスナーに提供してきた。私自身も今年勃発したビーフについての記事を書いた(※1、2)が、ビーフとは、セールスや話題性が絡んでくると同時に、あくまで個人間の喧嘩でもあり、そこに個人的な感情が乗っかることは避けられないということをつくづく思い知らされる。それは今年のビーフ騒動についても同様であり、世間やシーンの中で、商業的側面と精神性において勝利を収めた(とされている)ケンドリックにも当てはまるということが、『GNX』を聴いた今、最も感じることだ。『GNX』は、彼が「Not Like Us」でシーンにもたらしたもの(後に「wacced out murals」にて矛先が向けられる同郷の先達 スヌープ・ドッグは、アルバムリリースの直前、単なるビーフソングではなく西海岸を統一した楽曲だと「Not Like Us」を絶賛した/※3)と同時に、個人的な怒りも詰め込まれた、非常にアンビバレントなアルバムである。Pitchforkによる本作のレビューで(スコアは6.6と辛口の評価をつけられた)、評者のアルフォンソ・ピエール氏は「このビーフにおいて、ケンドリック自身が道徳的な優位性を主張することに興味がないことは明確だった」と分析しているが(※4)、妥当な見方だろう。『GNX』から感じられるのは、少なくとも冷静さではないし、それは前作『Mr. Morale & The Big Steppers』(2022年)でオピニオンリーダーや象徴から降りようとした様から実に一貫している。そういう意味で、ケンドリック・ラマーのリアルが詰め込まれた作品でもある。
ただ、「Not Like Us」がフッドミュージックの側面をヒップホップシーンに取り戻したことは無視できないだろう。もともと、“土地の音楽”であるヒップホップは、常にローカルに、フッドに根差したものであるが、「Not Like Us」はその事実を多くの人に思い出させるためのものでもあった。「Not Like Us」のビートを手がけた、ケンドリックの盟友 マスタードによるアルバム『Faith Of A Mustard Seed』は、ローカルへのサポートや連帯を示した、彼にとっても非常にパーソナルな作品であり、「Not Like Us」が表象するものと地続きの作品だったと言える(そしてケンドリックが参加していないという点においても、スマートな作品と言える)。収録曲「Ghetto feat. Young Thug & Lil Durk」はその文脈をストレートに体現したという点で印象に残る楽曲だ。
最近で言えば、来年サンフランシスコで開催される『NBAオールスターゲーム』に合わせたプロジェクトとしてリリースされたP-LO「Players Holidays '25 feat. Larry June, Kamaiyah, Saweetie, LaRussell, G-Eazy, thủy & YMTK」は、ベイエリアのラッパーたちが集合した高揚感あふれるフッドミュージックであったし、ミーガン・ザ・スタリオン「Bigger In Texas」のMVも、地元であるヒューストンをレプリゼントする内容だった。ヒップホップのフッドミュージックとしての側面は本質でもあるがゆえに、それら全てが「Not Like Us」に端を発したものとも言えないかもしれないが、そういった線で見たときに、グローバルな産業として拡大した現代のヒップホップシーンの中で、ローカルな連帯を育もうとする動きが目立つのは事実だ。それは、二極化が進むアメリカ国内に対する問題意識としても、重要なものを孕んでいると言えるかもしれない。