Nujabes×渡辺信一郎『サムライチャンプルー』の革新性を再考 日本の音楽を世界に知らしめた影響力

 最近、テレビ番組の企画をきっかけに「濃いアニソンとはなにか、そもそもアニソンとは」という議論が起きていた。

 アニソンとはアニメ作品に使用される楽曲の総称なので、特定のジャンルを指すものではなく、したがってこうあらねばならないという定義もしづらい。アニメ作品の一部として機能していればいいわけで、時代ごとに使用楽曲に傾向があったことは確かだが、今では多彩な音楽ジャンルがアニメに使用される時代になってきている。

 そんなアニソンを拡張する存在として、渡辺信一郎監督がいる。渡辺監督はとりわけ音楽のチョイスにセンスのある作家であり、音楽を映像に従属させるのではなく、互いに平等な存在として「セッション」させることで新たな化学反応を引き起こすことに長けている。

 渡辺監督の最も有名な作品は『カウボーイビバップ』だろうが、その次回作となった『サムラチャンプルー』の斬新さと世界に与えた影響の大きさは無視できないと筆者は考えている。今年放送20周年を記念して、サウンドトラックのSpotify配信が解禁された本作は、近年海外の音楽シーンでブームとなっている「Lofi Hip Hop」の誕生に大きな影響を与えたからだ。

 本作は江戸時代を舞台にした時代劇でありながら、ヒップホップをフィーチャーし、タイトルに「チャンプルー(沖縄の言葉でごちゃまぜの意味)」とある通り、日本の時代劇と現代ヒップホップカルチャーをミクスチャーした独自の作風で、とりわけ海外で大きく支持されている作品だ。

時代劇とヒップホップの融合という斬新さ

 『サムライチャンプルー』は、天涯孤独の少女・フウが琉球出身の侍・ムゲンと伊達メガネをかけた侍・ジンと出会うことから始まる。フウは「ひまわりの匂いのする侍」を探しており、ムゲンとジンのピンチを救ったことと交換条件に、その侍探しを手伝わせる。物語は、侍探しのために三人が旅をする中で、様々な事件に巻き込まれ解決していく様を追いかける内容で、一話ないし数話完結型でエピソードが進んでいく。

 ムゲンはボサボサの頭に短パンに下駄、耳にはピアスという、およそ江戸時代の人間とは思えないいで立ちをしており、戦い方もブレイクダンスのような動きで相手を翻弄するなど、一般的な時代劇の殺陣とは一線を画す。琉球出身という、江戸時代当時のアウトサイダーとしての立ち位置を持ったキャラクターなのだが、彼のキャラクターデザインからは、そのアウトサイダーっぷりがたっぷりと伝わってくる。

 そのライバルであり旅の仲間となるジンは、物静かな性格で挑発を後ろで束ねたちょんまげとは異なるヘアスタイルであるが、れっきとして武士である。メガネをかけているからか冷静かつ理知的に見えるのが、直情的なムゲンと好対照をなしている。

 アニメーション的な見どころも豊富だ。細田守(橋本カツヨ名義)が演出、原画は小池健という豪華メンバーで作られたオープニング映像は、独特な色合いとシャープな動きでこれがただの時代劇ではないことを一目で認識させる。

 本編では、DJプレイのリミックスのように、場面転換の際に2つ以上のカットを混ぜ合わせるようにシーンを変える編集など、遊び心ある演出が随所に見られる、型にとらわれない自由な発想で描かれた作品で、突如ラップのようなものを披露するキャラクターが登場したりと、ヒップホップカルチャーを大胆に取り入れつつも、それでいて時代劇としてもきちんと成立させている。当時の江戸の風俗を取り入れ、女郎に売られる女性の悲劇や仇討ちなど、シリアスなエピソードもあれば大食い大会などのコミカルなものもあり、大変にふり幅の広い作品である。ジャンル分類がとても難しい作品で、ギャグもあればシリアスもあり、アクション活劇もあるし、大人の悲恋もあれば完全懲悪の悪漢退治もある。まさに「ごちゃ混ぜ」の作品である。

 中澤一登によるクールなキャラクターデザイン、アニメーター鈴木竜也と卓也の兄弟による切れのあるアクション、9話では湯浅政明なども参加して縦横無尽に形を変えるそのセンスを存分に発揮していて、アニメーションとして見どころ満載の作品である。そんな自由闊達で激しいアニメーションの表現とは裏腹に、音楽はメロウで「チルな感じ」に溢れていてノスタルジックな印象を与える。だからこそ日本の伝統である時代劇とも乖離せずにマッチしているのだろう。

 総じて、異なる要素が絶妙にブレンドされたミクスチャー感覚こそが本作の醍醐味で、それが海外のアニメファンを広く惹きつけた最大の理由だ。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「アーティスト分析」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる