Mr.Children『miss you』評:自問自答の末に表出した“自己への嫌悪” 桜井和寿と鏡のメタファーを考える

 表現を「見る・聴く・読む・触れる」とき、オーディエンスは作家の環境や性格や物語をどうしても仮構してしまう。それと鏡あわせのように、作家は鑑賞者が仮構したイメージを、自己のイメージに取り込んで再仮構してしまう。自らの名を掲げて不特定多数に表現を届ける主体となった者は、仮構された二つの「自らの姿」の重ね合わせを、多かれ少なかれ強いられる。そうした重ね合わせへの強烈な執着を示してきた作家として知られるのが、ご存じMr.Childrenである。

 彼らにとって21枚目にあたる新作アルバム『miss you』で、なにかが変わった。歌詞が暗い? 当然それも大きい。しかし、それだけではない。音の鳴りが違う。1曲目の「I MISS YOU」冒頭、右側から聴こえるアコースティックギターのアルペジオと、左側から聴こえるピアノの伸びからしてすでに違う。演奏の響きが、秘密めいた親密さを伴っている。決定的なのは、桜井和寿(Vo/Gt)の声が聴こえてコードチェンジした後。左からもう一本アコースティックギターが響いて、中央からベースとドラムが鳴り始めた時だ。最悪なカタストロフィまでのカウントダウンを告げるかのような鈴木英哉(Dr)のリムショットが、残酷さと慈悲深さとを不可分にしたまま耳元を揺らす。しかし、事態は無惨な悲劇にも救いの恩寵にも傾かない。二回目のコーラスパートが終わり、はじめて力強く叩かれたスネアとタムの、「ボスッ」と低く広がる残響。ギターのアルペジオとソロの、慎ましい絡み合い。広がる、ささやかな充実の感触。〈寝苦しい夜 汗ばんで/張り付いたTシャツのように/悪いイメージが離れないぜ〉、〈I miss you/繰り返すフレーズ〉、〈何が悲しくって/こんなん繰り返してる?〉。不快感と自問自答が(地声でB音まで上昇する)キーの高い歌声と共に何度も描かれる歌の上にも解決はない。ただ、アドナインスの和音の響きと演奏のダイナミズムによって、別の感情が膨らむ。慎ましく、密やかに、言葉とは別の物語を音が語りかける。この感覚は、今までのMr.Children作品の鑑賞体験とは全く似ていないものだ。

 ふくよかかつ生々しいアンサンブルと、ネガティブな認識に染まった歌は、「I MISS YOU」以降も何度も現れる。アルバム全体で展開されるサウンドと歌の気配は、どこかUSインディの作家達を想起させる。「I MISS YOU」、「青いリンゴ」における震えるギターのアンサンブルはPinbackやAmerican Footballの演奏を思わせるし、「ケモノミチ」におけるアコースティックギターとノイズエフェクトのかかったタムドラム、出入りの激しいストリングスの総体はBon Iverの諸作を彷彿させる。フォークやカントリーのフォルムを、音響的実験のなかで発展させたアメリカの作家達との共通性が、本作からは感じ取れるのだ。Mr.Childrenがインディの気配を示す事例は稀で、意外な印象を強く覚える。

 本作のスタッフが、宇多田ヒカルの近作と重なっている事実にも触れるべきだろう。レコーディングエンジニアは『Fantôme』以降の宇多田ヒカルのアルバムと同じスティーヴ・フィッツモーリスで、ストリングスアレンジは『Fantôme』『初恋』のサイモン・ヘイル。「LOST」でコンガ、ジャンベなどのパーカッションを担当しているウィル・フライは「ともだち」のレコーディングと、2022年の『Live Sessions from Air Studios』で宇多田と共演している。たしかに、『miss you』における密室的な感覚やストリングスのダイナミズムは、宇多田ヒカルの諸作にも通底していると思える。「LOST」のリズム表現がダンサブルというより瞑想的な効果をもつのも、『Live Sessions from Air Studios』における「誰にも言わない」や「Time」の演奏と共通している。

 そして、本作から感じられる大きな傾向が、Mr.Childrenより一世代下にあたる日本のバンド達、BUMP OF CHICKENやsyrup16gとの類似性だ。「青いリンゴ」のコード進行やメロディはBUMP OF CHICKENの「ホリデイ」や「ギルド」といった曲、「Party is over」冒頭の、コードに対して7度の音を強調するアコースティックギターのフレーズは、syrup16gの「ハミングバード」を彷彿とさせる。そもそも、桜井和寿は上記2バンドへの愛着をインタビュー等で隠しておらず、Bank Bandではsyrup16g「Reborn」のカバーも披露している。

 Mr.ChildrenとBUMP OF CHICKENとsyrup16g。私はこの3バンドが兼ねてから似たもの同士だと感じていた(※1)。一つに、U2やRadioheadなど、ルーツとなっているバンドが一緒である。スケールが大きく、暑苦しいエモーションを強調するアイリッシュフォークの匂いが漂っているのも共通している。何より、「何のために歌っているのか?」「何のために生きているのか?」という自問自答を、口語的なリリックとして外化させる点が非常に似ている。BUMP OF CHICKENであれば例えば「Title of mine」、syrup16gであれば例えば「神のカルマ」、そしてMr.Childrenは今作の「I MISS YOU」。どれも「歌を歌う自分」の存在理由・存在価値に疑念を覚えずにはいられないという歌だ。ふぢのやまいがかつて指摘したように(※2)、桜井和寿は「繰り返し」を何度も歌のモチーフにしていたが、これもBUMP OF CHICKEN、syrup16gそれぞれに共通の特徴である。歌を繰り返す。日々を繰り返す。生命を繰り返す。罪深くも虚しい繰り返しに一体何の意味があるんだと、(BUMP OF CHICKENの)藤原基央も(syrup16gの)五十嵐隆も、繰り返し歌ってしまう。答えの定まらない問いに、ずっとしがみついている。その心性が露出すればするほど、三人の親和性は高くなる。

 『miss you』は、年を取ったことについての諧謔的な認識が描かれている分、syrup16gにより接近している。〈二十歳(はたち)前想像してたより/20年も長生きしちまった〉(「I MISS YOU」)、〈やり直せもしないで/また今日も立ち尽くしている〉(「LOST」)、〈子供の飛び蹴りが/ミゾオチに決まって/体を屈める〉(「雨の日のパレード」)。リリックだけ取り出すと、桜井和寿が書いたのか五十嵐隆が書いたのか判別がつかない。「Are you sleeping well without me?」の、6度と4度のコードの反復と、生活を執拗に描写する虚無的なリリックから生まれる重苦しい閉塞感は、syrup16gの世界そのものだ(「不眠症」や「うお座」といった曲の感触に近い)。「LOST」における為す術のなさの表現や、「アート=神の見えざる手」における露悪的な批評性も、実にsyrup16g的に響く。

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