supercell、ハチ、sasakure.UKらが作り上げた音楽×イラスト文化の歴史 ボカロ・ニコニコ動画視点で考えるMVの発展

 現代の音楽シーンで新曲発表の際、重要なプロモーションファクターのひとつになるPV・MVなどの映像作品。その大元の歴史を辿ればThe BeatlesやQUEEN、マイケル・ジャクソンといった世界的アーティストが大きな影響を及ぼしており、日本でも1980年代後半~1990年代初頭にかけて、それらの存在は大幅に認知度を拡大した。

 楽曲と映像のセットプロモーションが一般的となった2000年代以降。その時代にニコニコ動画という動画プラットフォームを起点としてVOCALOIDカルチャーが拡大したのは、今思えば非常に理にかなった現象だと言えよう。さらにここ数年で爆発的に国内の音楽シーンで認知を広める“ネット発アーティスト”が用いることも多い、イラスト/アニメによるPV・MVの存在。その始まりには、おそらくVOCALOIDの影響も大きいと考えていい。

 しかし当然だがボカロ曲とあわせて作られた二次元の楽曲映像も、カルチャーの誕生当初から現在の体裁だったわけではない。VOCALOIDが日本に生まれてまもなく20年。その中で、楽曲と共に発表される映像作品がどのような変遷を辿ったのか。本記事では、その時流の変化を紐解いてみよう。

 結論から言えばイラスト/アニメによるPV・MVの系譜になるVOCALOIDの楽曲映像文化は、映像内に初音ミクを中心としたキャラクターの存在の有無で時代が大きく二つに分かれる。境目となるのは、カルチャーを語る上で欠かすことのできない2010~2014年の最盛期だ。

 初音ミクの楽曲投稿がニコニコ動画で盛んになり始めた2007年。起爆剤的存在だったika_mo「みくみくにしてあげる♪【してやんよ】」を例とする当時の動画の主な特徴は二つで、ひとつは初音ミクの公式一枚絵が使われている点、もうひとつは映像内に楽曲の歌詞表示がない点だ。初音ミクの生みの親であるクリプトン・フューチャー・メディアがパッケージキャラクターの二次著作物の作成・公開を許容していたこと、重ねてニコニコ動画独自のコメント機能でリスナー側でも歌詞補填ができたことも踏まえ、一旦はこの形式が一般的になったのだろう。

初音ミクオリジナル曲 「ハジメテノオト(Fullバージョン)」

 その後わずか数カ月で同年内にmalo「ハジメテノオト」など歌詞テロップを表示する動画や、cosMo(暴走P)「初音ミクの暴走」といった二次創作の初音ミクイラストを用いた動画。また両要素を兼ね備えるヤスオP「えれくとりっく・えんじぇぅ」などが登場したりと、曲のみならず映像も文化黎明期特有のおそろしい速度で高品質化していく。機械音声故の歌詞の不明瞭さのカバーのため、動画内の歌詞テロップはある種必然だったかもしれない。しかしイラストの変化に関しては、カルチャー拡大の大きな転換点となる外部要素が起因となっている。

初音ミク が オリジナル曲を歌ってくれたよ「メルト」

 ボカロ史のターニングポイントとなるsupercellの楽曲「メルト」。本作の一枚絵が当初は無断転載だったことも知る人ぞ知る話であるように、著作権の観点から当時初音ミクの二次創作イラストの正当な手配方法は、面識ある絵師からの提供あるいは自分自身で描くのみであった。しかし2007年12月にコンテンツ投稿サイト「ピアプロ」が登場し、サイト内に投稿された絵の利用申請が気軽に可能になったことで、様々なボカロキャラの二次創作イラストを使った動画が爆発的に増加したのだ。

『KAITO・ミク』カンタレラ『オリジナル』

 その影響で2008年はWhiteFlame「カンタレラ」のように複数の絵師のイラストを使う曲、あるいは小林オニキス「サイハテ」のように小規模ながらアニメーションを作る試みも交えつつ、“インパクトの強いイラスト”が動画の主流となっていく。

 またあわせて当時ボカロ曲の原曲を二次創作する“手描きPV”の投稿も活発になり、後に多くの二次創作≒クロスメディア展開を行ったmothy(悪ノP)作品がその筆頭だったこともおさえておきたい。そんな“手描きPV”の潮流も要因のひとつとし、2008年6月投稿のsupercell「ブラック★ロックシューター」を皮切りに、シーン黎明期終盤の2009年は動画制作技術の向上もあってか本格的なアニメ映像曲が顕著に増え始めた。

初音ミクがオリジナルを歌ってくれたよ「ブラック★ロックシューター」

 楽曲例を挙げれば枚挙に暇がないが、中でも特に手の込んだ作品群で突出した存在といえば「*ハロー、プラネット。」「ぼくらの16bit戦争」を代表とするsasakure.UK、そして「結ンデ開イテ羅刹ト骸」「Mrs.Pumpkinの滑稽な夢」などを自身の手で動画制作まで行ったことで視聴者の度肝を抜いたハチだろう。

【オリジナル曲PV】結ンデ開イテ羅刹ト骸【初音ミク】

 重ねてハチに関しては当時wowakaと共にムーブメントを牽引したことで、“楽曲映像の作風・絵柄をある程度固定する”ヒットノウハウをこの頃に確立したと言っていい。同時期にピノキオピーが初音ミクを原型とするキャラクターを用い始めたことも近似手法と呼べる。OSTER_projectの楽曲イラストを手掛けるYおじさん、doriko作品を手掛けるnezuki、「恋は戦争」を入口にsupercell所属となった三輪士郎など、ボカロP×絵師のタッグ事例は、走りとしてすでに黎明期には存在していた。“この絵のタッチといえばこのボカロP”という結びつきの認知パターンがリスナーに根付いていており、固有名詞が変われどその法則が普遍的に応用できることも、ハチ・wowaka両人は見抜いていたのかもしれない。

 この手法の最たるポイントは、動画を開いて曲を聴かずとも、サムネイル段階で特定のボカロP作品が見つけやすくなる利便性の高さだ。当然一覧でも楽曲タイトルの表示はあるが、読字より目を引く絵の方が圧倒的に瞬時に判別しやすい。重ねて曲調のみならず、視認性面でもボカロPのブランディングができる。故にボカロPと絵師が固定タッグを組む風潮は脈々と受け継がれ、そのままネット発アーティストなどのプロモーションにも残っているのだろう。

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