米津玄師の歌詞に“名前を呼ぶ”というワードがよく使われるのはなぜか 「普通の人になりたかった」幼少期と本人の言葉から紐解く

「馬と鹿」
〈呼べよ 花の名前をただ一つだけ/張り裂けるくらいに〉
〈呼べよ 恐れるままに花の名前を/君じゃなきゃ駄目だと〉

「ひまわり」
〈聴こえるなら強く叫んでくれ 僕の名をもう一度〉

 その後、ややあいだをあけて、ラグビーチームの再起を描いたドラマ『ノーサイド・ゲーム』主題歌の10thシングル曲「馬と鹿」にも同様の描写が見て取れる。本作リリース時のインタビューで、米津はラグビーの試合で選手達が勝利を称え互いの名前を呼び合う様を「普遍的で美しい愛のある光景」と表現している(※1)。

米津玄師 - 馬と鹿 Kenshi Yonezu - Uma to Shika

 曲としても、従来にはあまり見られなかった、強い希求の言葉を該当表現に並べている点も印象的だ。同曲が収録されているアルバム『STRAY SHEEP』収録の「ひまわり」にも近しい温度感の描写があり、“名前を呼ぶ”ことが強烈な切望、渇望を伴った行為として登場する。

「月を見ていた」
〈名前を呼んで もう一度だけ/優しく包むその柔い声で〉

 そして、最新リリースの「月を見ていた」。同曲も件の表現を含んでおり、加えてこれはテーマソングとなる『FINAL FANTASY XVI』の脚本に基づくフレーズの可能性も高い。主題となるストーリーの存在ゆえに“名前を呼ぶ”相手が非常に解像度高く描かれ、誰でもなくその人に呼ばれる“名前”だからこそ特別な響きを孕む、というニュアンスがかなり色濃く落とされている。

FINAL FANTASY XVI テーマソングトレーラー / 米津玄師『月を見ていた』

 これらの事例からも、たしかに米津玄師の曲における“名前を呼ぶ”行為は概ね好意的なものとして映る。ではなぜ彼は、これを愛情表現の一種として頻繁に描くのだろう。

 大前提として愛情表現の描き方には数多の方法があるなか、それでも“名前を呼ぶ”行為を選ぶということは、言い換えれば、ある意味で彼はそれを特別視しているとも捉えられる。何かを特別に扱う際、概ねその人にとってそれは当然のものではない。彼の歌詞表現における、“名前を呼ぶ”ことの特別視。つまり、それは彼にとって“名前を呼ぶ”、ないしは“名前を呼び合う”ことが愛情表現として当たり前でなかった、自身の経験則に基づいているのではないだろうか。

 これまで様々な媒体で自身のパーソナルな部分を語る際、彼は度々「普通の人になりたかった」という言い回しで過去について触れている(※2、3)。幼少期から己の内に育まれた、内面や外見、果ては“米津玄師”という本名も含めて「自分は普通ではない」という自認。それを原因とするディスコミュニケーションの苦悩は、彼の人格形成に大きな影響を及ぼしており、彼の“ハチ”としての顔は、いわばそこからの逃避の役目も果たしていたのだろう。

 結果“ハチ”という存在がVOCALOIDカルチャーに残した功績の大きさは言わずもがな。しかし、それは彼にとって、当初望んでいた「米津玄師として普通の人になる」ことには繋がらなかった。そのことに気づいた彼は、“ハチ”ではなく“米津玄師”として、彼の言葉(※4)を借りるなら「画面の向こうの人々ではなく、自分の半径5メートル以内にいる誰かのため」の普遍的な音楽を作ることで、時にもがき苦しみながらも、社会に“普通の人”としての己の居場所を模索し始めたのだと思う。

 人間は、私たちの想像以上に社会的な生き物である。コロナ禍で他者との直接的な繋がりを徹底的に奪われたことで、それをあらためて痛感した人も多いだろう。自身の経験から大衆より一足早くその気づきを得た彼にとって、何よりも直接的な他者との繋がりを示したもの——それがきっと“名前を呼び合う”行為だったのではないだろうか。

 そもそもが独りでは成り立たないコミュニケーションであることに加え、単なる会話以上に、相手を有象/無象ではなく固有名詞として認識することで初めて成立する行為。特定の相手との確かな繋がりを生む、一定以上の互いへの好意・認知を以て初めて成立する行為。“米津玄師”として、その成立が当たり前でないと知っているからこそ、彼は“名前を呼ぶ”ことを、特別な表現として歌詞に度々用いているのだろう。そして同時に、それは彼にとって、その名が多くの国民に広まった今でも変わらず追い続けて止まない“普通の人”の象徴として。誰かと“名前を呼び合う”行為は、自身の憧れや理想と共に、その作品群のなかに落とし込まれているのかもしれない。

※1:https://natalie.mu/music/pp/yonezukenshi15
※2:https://rockinon.com/news/detail/131640
※3:https://rockinon.com/feat/yonezu-kenshi_201509
※4:https://natalie.mu/music/pp/yonezukenshi07

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