リアルサウンド連載「From Editors」第12回:小池真理子の文章はなぜ“せつない”のか 『月夜の森の梟』『日暮れのあと』を読んで

 「From Editors」はリアルサウンド音楽の編集部員が、“最近心を動かされたもの”を取り上げる企画。音楽に限らず、幅広いカルチャーをピックアップしていく。

 私の住んでいる土地には野良猫が多く、この季節、梅雨の合間の晴れた日なんかはよく猫が散歩しているのですが、ついこのあいだの休日も、外へ出るとマンションの敷地内を黒猫が歩いていました。猫を見つけると、なぜかうれしくなる。そして、すぐさま猫にまつわる映画や本を鑑賞せねば!という衝動に駆られる。極めて単細胞だなあと自虐しながらも、映画『グーグーだって猫である』や、西加奈子の小説『白いしるし』(物語にも猫が出てくるし、文庫本のカバーには猫の後ろ姿が描かれているのです)、最高の猫番組『岩合光昭の世界ネコ歩き』……何度も観返し、読み返した猫作品がたくさんある。

 そのなかでも、猫といえば、小池真理子の小説が私のなかでひとつ象徴的なものとしてある。個人的に小池真理子は大好きな作家のひとりで、彼女は実際に猫を飼っており、『柩の中の猫』『モンローが死んだ日』などの小説にも猫が出てくるし、これまで出してきたエッセイにも猫との生活の様子が多く書かれている。猫を何かの比喩に使うこともあるけれど、彼女の書き方はテクニックとして用いられるというよりも、そこには慈しみのようなものが滲み出ている。きっと小池真理子は、ただただ猫が好きな人なのだと思う。

 彼女が今月6月に発売した最新短編集『日暮れのあと』のカバーには、猫の写真が使われている。陽だまりのなかで、白いカーテンに包まれた白猫の後ろ姿。非常にかわいい。吸いたい。短編の名手とも呼ばれている小池真理子の手腕は読者としても十分に理解しているので期待大で読んだが、やはり名文と言う他ない。彼女自身、両親、夫の死が続いたこともあり、直近の作品となる長編『神よ憐れみたまえ』と『アナベル・リイ』はテーマとなるジャンルは違えど、ある面においてはどちらも“生”と“死”を書いた物語だと思う。無論、2015年から2022年末までに発表された短編7作を集めた『日暮れのあと』もそうだ。最初に収められた短編「ミソサザイ」から、本当に素晴らしい。

 で、この『日暮れのあと』を読了し、あらためて彼女のエッセイ本『月夜の森の梟』を読み返してみた。このエッセイも個人的に本当に大好きな本で、同作には夫・藤田宜永に肺腫瘍が見つかって以降の闘病から死別の日々を綴った文章が全52編収録されている。夫妻が住んでいる軽井沢の情景と、2匹の猫との生活、伴侶を失う喪失の予感と、失ったあとの絶望——。“生”と“死”については、先述の作品群よりも『月夜の森の梟』のほうがさらに深く、生々しい形で書かれているわけである。 "せつない”という気持ちは、この本を読んだあとに感じた感情のことを言うのだと、つくづく思う。

 そもそも私にとって、小池真理子の文体は常にせつないものだった。それは、脳と胸にキュンと伝わる“せつない”という直感として感じるものの意味でもあるけれど、それとは別に、小池真理子の、生きることに直結した生々しさを孕んだ自己表現として感じる“せつない”というものでもある。あるいは、読み手に当てはめるのであれば、そうやって“せつない”と捉える自分を肯定してくれるようなものだった。彼女の文体はそういう存在だった。

 『月夜の森の梟』というエッセイに収められた短文は、作品というよりも彼女が過ごした日々の集合体でしかない。伴侶を失った世界で息をし続ける脆さを肯定し、それでも生きている、その記録でしかない。“作家”と“妻”というふたつの使命の元に筆を走らせ、その結果にあった無防備な言葉でしかない。小説を書くという才能を小池真理子と藤田宜永のふたりが同じ共通項として持ち、出会い、死別した、その運命と奇跡がすべて詰まっている文章はまぎれもなく、純粋にひとりの人だけに向けられた正真正銘のラブレターだ。何度も読み返したが、そんなふうにしか思えない。感想は無限に出てくるけれど、やはり“せつない”のだ。最新刊となる短編集を読み、そして自己とふたりをめぐる一人称のエッセイを噛み締め、小池真理子の美しい文体において、いちばんにその魔法が発揮されるテーマは“生”と“死”の営みのなかに生まれる“愛”のもとであって、しかしそれは意図してそうなったのではなく、藤田宜永という人間が彼女の隣にいたから必然だったのだと思うにつけた。

 “なくなったもの”、“なくなってしまったもの”、“なくなっていくもの”へのノスタルジアと慈しみを、無防備な形でそのまま書くという行為の尊さと、それを小池真理子という作家が今しているという必然性を、『日暮れのあと』を読んだあとに『月夜の森の梟』を読み返すことで、あらためて感じた。ここ数年のあいだの彼女をとりまく時間が穏やかなものであったのなら、きっと『日暮れのあと』にあるような素晴らしい物語は生まれなかったと思う。みっちり読んで、小池真理子と彼女が書く文章のことを、またちゃんと読んだ時間の分だけ好きになりました。

 『月夜の森の梟』と『日暮れのあと』、どちらも本当に素晴らしい作品で、どちらも猫に癒される、休日と精神を豊かにしてくれる本だと思います。コーヒーを飲みながら、静かな気持ちで読むのがおすすめです。

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