『罠の戦争』で草彅剛が見せてきた“初めての顔” 視聴者の想像力を掻き立てる表情の余白
いよいよ今夜、3月27日に最終回を迎えるドラマ『罠の戦争』(カンテレ・フジテレビ系)。近年のテレビドラマの多くが1クール10話なのに対して、11話というボリュームで展開されるのも、この作品への気合を感じられるところだ。それでいてどんなラストが待ち受けているのか、全く予想がつかない。終わってしまうのが寂しいようで、その結末を見届けるのが恐ろしいようで。こんな気持ちにさせてくれる作品が生まれたのを、改めて嬉しく思う。
鷲津亨を通じて見えてきた俳優・草彅剛の“初めての顔”
これまでの10話をかけてじっくりと描かれてきたのは、主人公・鷲津亨(草彅剛)の変化だ。ストーリーの始まりでは、淡々と仕事をこなすスマートな議員秘書の顔。そして家に帰れば愛する妻と息子をキャンプに連れ出す穏やかな父親の顔を見せていた。その後、息子が歩道橋から何者かに突き落とされ、それを権力によってもみ消されそうになると、復讐の鬼になる覚悟の顔へと変わっていく。
このまま弱き者が強き者を打倒し、正義が貫かれる。そんな痛快なストーリーが展開されるのかと思った。しかし、後半になるにつれて徐々にまた鷲津の顔が変わっていく。それは、本人も自覚しないうちにじわじわと。気づけば、周囲から「どうしちゃったの?」「もう信じられない」「最低」「鷲津亨を許さない」と恨まれるまでになってしまった。一体、いつからこうなったのか。本当に彼は変わってしまったのか。
強者と戦うために、もっと力をつけなければならない。もっと地位を上げなければならない……と、突き進むうちにあんなに憎んでいた権力者たちと同じ穴のムジナになっていた。いつの間にか人を蹴落とし、上に立つことに魅せられていたのだ。宿敵である鶴巻幹事長(岸部一徳)が倒れる姿を不気味な表情で見つめるその顔は、妻の可南子(井川遥)が言うように、初めて見る“怖い顔”。そして、私たち視聴者にとっても“見たことのない草彅剛”だったように思う。
受け手の想像力を掻き立てる、読みきれない表情
本作を通じて、草彅の演技に惹かれる最大の理由を見つけた気がした。それは、何を考えているのか全く見えない顔ができること。その感情が読みきれない眼差しに、どこか小説を読んでいるときのような感覚を覚える。受け手に“きっとこうなんだろう”と想像させる余白があるのだ。そして、その“きっと”の部分の確証を得たくて、次の行動から目が離せなくなるし、もし想像と違った結果になれば衝撃はそれだけ大きくなる。
前述したあの“怖い顔”も、見る人によってはいろんな想像を掻き立てられたことだろう。口角が上がっているようにも見えたが、おかしくて笑っているのとはまた違うように見える。では、復讐が完了して心が晴れた顔? いや、それも違う気がする。では、この表情はどういう感情なのか、と。ズブズブと引き込まれていく。きっと鷲津自身も制御不能になってしまった欲望。そして自分の思い通りに事が進んでいるという征服欲が人の形をしたら、こんな顔になるのかもしれない。
自分が「善を成している」「正しいことをしている」という快感は、人の視野を著しく狭くする。鷲津を見ていると、これまで倒してきた権力者たちも、もとは「誰かの役に立ちたい」と純粋な気持ちでいたのではないだろうかと思えてくる。実際に、鷲津が失脚に追いやった犬飼孝介(本田博太郎)も地元の支援者たちから感謝されていたし、自ら議員を辞すことになった鴨井ゆう子(片平なぎさ)も女性たちのために奔走してきた。
だが、それを実現し続けようとすると、力を保持しなければならなくなる。そして、少しずつ少しずつ正しさが変わっていくのだ。どんなにまっすぐな気持ちがあったとしても、その思いが強くなるほどシンプルに生きられなくなる。人の恨みを買う「悪」は何も特別な悪気があったのではなく、むしろ純粋に「善」を貫きたいという欲求の中に潜んでいる。そんな“人のサガ”という見えない罠を鷲津が教えてくれているようだ。