坂本龍一が提示する“合理性に消費されない音楽体験” 自然と共鳴したアートを追求していく創作や取り組み
ストリーミングサービスの充実により、月額1,000円程度のコストで世界中の音楽を自由に楽しめるこの時代。次々と新着リリースが舞い込んでくる環境は、新しい出会いの糸口となる反面、どこか音楽が “消化物”として世に溢れているような感覚もある。
これは音楽配信が主流となった今だけの話ではなく、フィジカルにも根づく問題なのかもしれない。例えばサブスク時代の到来によってCD文化が衰退した理由の一つとして、サブスクやダウンロード配信が「音楽を聴くために購入する」というニーズをより手軽な方法で満たしてしまったことが考えられるが、よくよく考えてみるとリリースされるCDの数に対して「わざわざ専用の再生機器を使用してまで聴きたい」「どうしても手元に置いておきたい」と思えるものが少なかったことの証明とも捉えられる。
そんな中、音楽はもちろん、音楽を包むものにまでこだわりを持ち、その価値を提示しようと試みるアーティストも確かに存在する。その一人が、音楽家・坂本龍一だ。これまでの坂本の活動や彼の作品には、音楽家として、そして芸術家としての並々ならぬこだわりと強い意志が反映されている。
坂本の取り組みやその精神性は、芸術を愛するアーティストにとって大きな刺激となるとともに、手軽で合理的にできることが多い時代に生きる若者にとって、新しい気づきとなることも多いのではないだろうか。そこで今回、坂本が行ってきた、消費されない音楽/アートの追及と、それに伴う環境問題への取り組みなどについて考えてみたい。
音楽作品自体をアートにーー長年の想いを形にした「Art Box Project」
「もう30年以上前から、音楽作品自体がアートであるようなものを作りたいと思っていた」(※1)
同コメントが発表された2020年から数えて30年ほど前といえば、Yellow Magic Orchestra散開ののち、『戦場のメリークリスマス』(1983年)、『ラストエンペラー』(1987年)によって映画音楽作家としても確固たる地位を築き、拠点をニューヨークへと移した頃だろう。独自の世界観と研ぎ澄まされたセンスで未開拓の音楽を探求してきた坂本にとっても、“音楽作品自体がアートであるもの”を世に出すことは難しかったのだろう。
CDやレコードを全国流通するにはさまざまな制約が伴うものだ。予算を存分にかけることができたとしても、再販制度(メーカーが小売価格を決定できる制度)により価格帯が抑えられ元が取れなくなることも大いにある。「お金をかけて作る現代詩の限定版の本や美術書だったら高いものはすごく高い。でも、欲しい人はそれでも買う。レコードやCDも同様でいいはずだとずっと思っていた」(※2)という坂本は、2019年より限定品での「Art Box Project」を始動した。
第1弾となる『Ryuichi Sakamoto 2019』では、“坂本龍一コンサート”をコンセプトに、2019年に公表したサウンドトラック6作品と購入者のためだけに書き下ろした1曲を含めたアナログ盤計8枚に加え、直筆譜面を起こしたサイン入りの唐紙作品、坂本龍一肖像の細密画複製、ステージで愛用しているお香と香立てを同封。外箱はステージ上のピアノを再現するようにグレー色に染め上げられ、表面には音楽の時間の流れを年輪で表現するために柾目文様が採用された。200部限定だからこそできる豪華仕様で、外箱を手にし、中を開き、音楽を聴くという一連の流れをもって“坂本龍一のコンサート”を模擬体験できるという仕組みが他にはない仕様だ。
2020年には第2弾として『2020S』を300部限定で制作。“日本を象徴するもの”というテーマをもとに、宮崎県・諸塚村で育った桐材を使用した特注の木箱を採用。そこへ坂本が2020年に制作・発表した楽曲を集約したアナログ盤計7枚と、陶芸家・岡晋吾が製作した皿に坂本が絵付けをし、その皿の割れる音で新曲を書いた陶器の破片(陶片のオブジェ)と専用のスタンド、生物学者・福岡伸一との対話が集約された冊子が同封し、日本と古くからゆかりのある大麻布で包んだ。木箱は引き出し状で、記憶の扉を一つずつ開くように作品を楽しめる仕様となった。また、『2020S』に使用しているものは自然物のため、環境や経年によって異なる変化が見えてくるという、購入から数年に渡る楽しみがあるのも面白い。
惰性からの脱却が“消費されない音楽/アート”へと繋がる
「音楽そのものがアートであるはずなのに、“もの”としてリリースするとたちまち“消費物”になってしまう」
『2020S』の制作過程で伺った話で最も印象的だった言葉だ。何かをこだわればこだわるほど、アーティスト側にも購入者側にも金銭的な負担が大きくなる。手軽なサブスクやダウンロード配信が盛んな今、その重みはより増している。しかし、コストパフォーマンスにのみ焦点を当てたままでは、アートの域を狭めることになり、感性も剥がれ落ちてゆく。
実際に『Ryuichi Sakamoto 2019』は10万円(税抜)、『2020S』は20万円(税抜)とかなりの高額商品で、泣く泣く断念した人も多いことだろう。だからこそ、どんな人たちがどんな想いを込めて制作したのか、その価値と意味を打ち出し、それらに納得して購入してもらえるように促した。坂本自身も何度も現物をチェックし、手触りや仕上がり、使いやすさまで厳しく指摘した。一つの“アートピース”として完成度を高めるために、だ。
サブスク時代によって、単にフィジカル化すれば良いという惰性は通用しなくなったともいえる。坂本はこの「Art Box Project」を通して、音楽家、もとい一人の芸術家が“もの”をリリースすることの意義や、音楽を包む“もの”自体にまで目を向け、強い思いとこだわりを持って仕上げることが “消費されない音楽”に繋がるのだと、我々に提示したのではないだろうか。