『窓辺にて』の稲垣吾郎になぜ惹かれるのか 3つのポイントに映し出された役との共通点

感情的ではない言動と、その奥に秘めた静かな愛情深さ

 稲垣といえば、長年ミステリアスな雰囲気で多くの人を惹きつけてきた。たしかに、アイドルといえば元気いっぱいなタイプがスタンダードなのに対し、稲垣はメンバーのワチャワチャしているところをクールに眺めてきたイメージが強い。それゆえに何を考えているのかわかりにくい印象を持たれやすかったのではないだろうか。

 努めて冷静に、乱れたところを表に出さず、凛として日々を過ごす。そんな「美学」ともいえるような稲垣の佇まいは、本作の市川にも近いものがある。妻の浮気に嫉妬することも怒り狂うこともなく、むしろ冷静に淡々と状況を受け止めてしまう。そんな多くの人が抱くであろう“普通”とは違う反応に、もしかして妻を愛していないのではないのかとわからなくなる。むしろ誰かを心から愛することのできない冷たい人間なのではないかとショックを受けるのだ。

 しかし私たちは長い間稲垣を見てきたためか、そうではないことを知っている。エモーショナルな振る舞いだけが愛している証拠とはならないことを。さり気なく付けた妻のブラウスのボタンや、義母を撮り続けてきた温かな写真に宿る愛情があることを。

 市川が妻と対峙した12分の長回しシーンで一瞬震えた声に、稲垣自身の琴線に触れる何かがあったように感じた。それが何なのかはもはや察することしかできないけれど。振り返ってみれば、彼が大事なものを手放した事実があったことを私たちは覚えている。だが、その当時も決して感情的な言動はしなかった。何かに怒りをぶつけたり、嘆いたり、もっと固執する姿があったら、それはわかりやすい「グループ愛」のように見受けられたかもしれない。

 しかし、そうはしない代わりにそっとインタビューで「心の中ではあれが一番大きなものだったから、かけがえのないもの」(※2)と丁寧な言葉で表現する。そうした稲垣の秘めた愛情深さを、この映画を通じて見つめ直すことができるのだ。

異なる価値観とも積極的に向き合う、誠実な知的好奇心

 長年変わらないスタイルを確立している一方で、決して自分の殻に閉じこもっているわけでもないというのも稲垣と市川に共通しているところ。文学賞の授賞式で出会った高校生作家・久保留亜(玉城ティナ)からの呼び出しにもフラットに応じるし、彼女の作品で描かれた主人公のモデルだという留亜の恋人・優二(倉悠貴)や、叔父のカワナベ(斉藤陽一郎)といった、市川とは普段なかなか接点がなさそうな人物にもフットワーク軽く会いに行く。

 それは誰とでも仲良くなりたいというフレンドリーな人柄というよりも、人への知的好奇心が勝っての行動といったほうがしっくりくるかもしれない。仮に自分自身にとって必要のなさそうな小説であっても、「読んでおいて」と言われればしっかり読むところもそう。考えてみたら、稲垣もこれまで多くの文学作品や音楽、舞台、映画に触れてきたが、そのすべてが彼の心に刺さったわけではないはず。にも関わらず、どんな作品でも触れるチャンスがあったものには誠実に向き合ってきたと記憶している。

 市川も稲垣もあまりにも労力を惜しまずに多くの作品に触れるものだから、自然なことのように思われるが、決して誰にでもできることではない。ひょっとしたら人に関心がないように見えて、このようなタイプの人こそが最も興味深く観察しているのかもしれない。また同時に自分自身を知りたいと願っているのではないだろうか。

 様々な作品や人に出会うことで、自分自身に起きる新しい発見や、すでにあった考え方に「やっぱりそうなんだ」という確信が持てること。そこに共感がなくても構わない。むしろ、理解されないくらいの距離感のほうが、シンプルに物事を捉えられるときもあるから。まるで、この作品が稲垣にとって「人に絶対バレてないという部分をわかっている人もいるんだ」と発見したように。そして、そんな稲垣の作品を観た私たちが新しい気づきをもらうように。その他者と自分自身を知る旅の、最初の一歩をまっすぐに踏み出せる人。それが稲垣吾郎という人に寄せる私たちの信頼とも言えそうだ。

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