くるり 岸田繁×氣志團 綾小路翔、フェス主催アーティスト赤裸々対談 コロナ禍による中止から2022年の開催まで

岸田繁×綾小路翔赤裸々フェス対談

“フリーザ”を倒したと思ったら、2020年はまさかの“魔人ブウ”登場?

──で、そんなふうに毎年続けてきたフェスが、コロナ禍で2020年に止まりますよね。

岸田:團長の話をきいて思ったんですけど、ちょっと似てるなって。氣志團も、僕たちも、自分がライブをやりたいっていうよりは、集まってくれたお客さんが知らないものとか、こんなにおもしろいのがある、っていうのを届けたい。『音博』の場合、フェスって山奥まで行かなあかんって思ってたけど、そうじゃなくて、近いところでそれを楽しめるっていうことを提供しないといけない(※2019年までは毎年京都・梅小路公園で開催。2020年、2021年はオンライン開催)。それをある程度のキャパシティの中で運営しないといけないから、かなりブッキングもシビアになる。石川さゆりさんを呼んだりすると、来年どうするかっていうのが……(笑)。

團長:そうそう! ほんとに!

岸田:「さっきフリーザやっつけたとこやん!」みたいな。強さのインフレになってきて、気楽にできなくなってきてたんですよね、年々。だから2020年、開催できなくなった時、正直に言うとそういう悩みから解放された、という気持ちが僕はあって。

團長:ああー……。

岸田:『音博』は11,000から12,000キャパなんですよ。本当だったら2日間開催しないといけないんですけど、それができない。パブリックな公園を、設営や撤収も含めると、数日間閉めきっちゃってますから。だから、実は商売としては効率が良くなくて。集客はどうしてもブッキングに左右されるから。けっこうシビアなんですよね。

團長:うん、うん。

岸田:やっぱり相当プレッシャーだった。で、2020年は僕らもツアーが全部飛んじゃったりして、自分たちの活動の計画とか、生活を変えないといけない、と、メンバーとスタッフで話し合って。その時、というかコロナのちょっと前ぐらいから、たとえば「Tiny Desk Concert」とか、「Apartment Sessions」とか、企画っぽい演奏動画配信っていうんですかね。そういうのに興味があったんです。お客さんを入れての興行が無理っていう時点で、ライブの体を成していてもしかたがない、と。音楽って、実際に作られていく過程がおもしろかったりする部分もあると思ってるんで、じゃあそれを見せるか、とか、いろいろアイデアを出して。とりあえず2020年は、くるりが演奏すると。僕も作曲家として、オーケストラが演奏する曲を書いたりしてたんで、小規模な室内楽オケぐらいの編成を組んで、そのために曲を書いて。京都の拾得っていうライブハウスで、2階の楽屋まで使って、パーテーションを組んで、演奏のシステムを作って、シンガーのゲストを何人か呼んで。せっかくなんかやるんだったら、新しいことをやらないと、と。当時は止まったら死にそう、みたいな感覚があったんです。

團長:そうですね。

岸田:ライブハウスも営業が止まっているから、こっちから働きかけて。本来一緒に『音博』をやる予定だったイベンターも、全面的にいろんな協力をしてくれたんで、ありがたかったですね。翌年も、実地での開催を検討はしたんですけど、みんな気持ちや体力やいろんなものが追いつかなくて。あと、J-LODとか、いろいろな援助ですね。どうやって集金するかってことも、いまだに考え続けてるんですけど。パトロンをつけるか、とか。でも、自分たちが音楽をやって、魂をお客さんの前でバッと燃やしてお金をもらうことから、やっぱり逃れられないっていうか。であれば、もう割り切って、公開レコーディングに近いものをやろうと。最新アルバム(『天才の愛』2021年4月28日リリース)は、ライブを想定せずに作ってるんですけど。それを再現するのは、普段のライブの現場では無理なんで、動画配信で、母校の立命館大学でやりましょう、と。

──では團長、同じ質問ですが──。

團長:我々は、2019年、開催の1週間前に千葉県に台風が激突しまして。僕も友達の家の屋根が飛んだのを見たりとか、すさまじい被害があったんですよね。それでも、すごく悩みつつ開催したんです。で、「あ、これか、炎上って」ということを知って。僕、それまでInstagramのDMを知らなかったんですけど、「なんだろう、これ」って見てみたら、信じられない数の人たちから、信じられないほどの罵詈雑言が届いていて。それでも、いろいろ考えて行政の方たちとも話し合いながら開催したんですけど。誤解を恐れずに言えば、今開催することで問題になるのって、気持ち的なことだけだな、って思って。

岸田:ああ。

團長:もし僕らがなんとなく配慮して中止にしたら、この日のために準備をしてくれていた方々すべてが相当なダメージを受けてしまうだけだな、それって本当に幸せなことなんだろうか、と考えて。それで、みなさんの心を波立たせないように、なんとかがんばって開催しよう、と。結果的に、開催したおかげで、出演者のみなさんのご協力もあってたくさんの寄付金にもつながりました。これまでもいろんなピンチがあったけど、なんとか乗り越えた、ついにフリーザを倒した、と思ったら、2020年はまさかの魔人ブウ登場(笑)。

岸田:はははは。

團長:「あれより大変なこと、あるの?」って。天災をなんとか乗り切ったと思ったら、コロナというどうにもならないものがやって来た。でも、僕も実を言うと……「良かった」って、ちょっと思ってしまったんです。

岸田:うん、うん。

團長:『万博』に限らずなんですけど、メンバーたちもいるし、何があっても自分が「なんとかなるから頑張ろう」って言ってやってきて。「ノー」とか「歩くのを止めたい」って言う選択肢が、自分自身になくて。ただこうしてコロナ禍があったから気づけたんですけど、「あ、けっこうヤバかったのかな、俺」みたいな。コロナ禍がなければ、絶対に言い出せなかった……というか、自分から言い出すという発想もなかった。だから自分のせいじゃなくて全部が止まる、っていうことに正直言うと救われて。

岸田:同じやなあ。

團長:「そうか、なんにもしなくていいのか」って思って。ずーっと何かに駆られている感じがあったんですけど、本当に人生で初めてずっと家にいた。僕は中学生ぐらいから全然家にいなかったんですけど、初めてぼんやり家にいて。実を言うと、この何年も僕、“ビジネスバンドマン”みたいになっていたんです。アルバムを作りますとか、タイアップがつきましたっていう時にだけ、曲を書く、みたいな。でも本当になんにもしないでいたら、曲を作りたくなって。そんな時にたまたま、フジテレビの仲のいいスタッフさんたちから「『家フェス』っていう特番をやることになったから協力してくれないか、音楽をやっている人がMCの方がいいと思う」って言われて。それで、バンドでも集まれない雰囲気の時期だったんで、僕も知り合いのミュージシャンたちに声をかけて家で演奏している映像を送ってもらって。それを観ながら僕がしゃべるという番組をやったことが、その時ものすごく自分の力になりました。

岸田:なるほど。

團長:スタッフを集めなきゃできないとか、バンドがいなきゃできないとか、そんなことないんですよ。普段はバンドでやっている人たちが、ただ鍵盤やギターを弾きながら歌う、しかも家で。それがすごくかっこよかったんですよ。「ミュージシャンってすごいな、なんにもなくてもこんなことができるんだ」と思ったら……それまで、今年は『万博』から逃れられる、と思ってたんですけど、「何かやらなきゃ」って思って。自分風情の音楽で人を救えるわけなんてないと思っていたんですけど、その時自分は音楽に救われたんですね。なので、2020年は「オンラインで何かできないだろうか」ということで、ちょうどZepp Hanedaができたけどコロナでまったく使えない、という状態だったので、じゃあ貸してもらおうと。それで『オンライン万博(氣志團万博オンライン2020 〜家でYEAH!!〜)』をやってみたんですよね。で、2021年はこのままいけばできるだろうと思ってたんですけど、より大変なことになってしまって。

岸田:うん。

團長:『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』が地元の医師会に反対されてできなくなっちゃったりとか、開催した『FUJI ROCK FESTIVAL』に否定的な意見があったりとか。それまでは「何があっても前に進もうぜ」っていう思いがあったんですけど、2021年は「これは前に進むべきではない」と思ってしまって。コロナの影響でいろいろと規制が入り始めて、急遽フェスの規模を縮小しなきゃいけなくなったんです。つまりは、声をかけたバンドのうち半分くらいを断らなきゃいけなくなって。最終的にそれが理由で「いや、無理!」ってなりました。誰かにごめんなさいとお断りして、誰かに出てもらうのが、どうしてもできなくて。これは前に進んでも、気持ち良くいかない気がする。だから2021年は開催をやめました(※11月にWOWOWでのオンエアーフェスとして『氣志團万博2021 ~ひとりぼっちの暴走 in 房総~』を放送)。

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