くるり 岸田繁×氣志團 綾小路翔、フェス主催アーティスト赤裸々対談 コロナ禍による中止から2022年の開催まで

岸田繁×綾小路翔赤裸々フェス対談

 海外アーティストの来日や現地での開催など、コロナの影響を受けた2020年以来、最大の盛り上がりを見せる2022年のフェス。リアルサウンドでは現在、その動向に注目した特集『コロナ禍を経たフェスの今』を展開中。その締めくくりとして、様々なイベントに出演するアーティストであり、自身の地元でフェスを開催するくるり 岸田繁(『京都音楽博覧会』主催)と氣志團 綾小路 翔(『氣志團万博』主催)の対談を行った。(編集部)

 2007年に始まった『京都音楽博覧会』と、二度のワンマンでの開催を経て、2012年から多数のアーティストが出演する野外フェスになった『氣志團万博』。自身で野外フェスをオーガナイズするミュージシャンは、コロナ禍以降の状況とどう向き合って来たのか。それを教えてほしいというのが、このくるり 岸田繁と、氣志團 綾小路 翔の対談の趣旨である。

 毎年開催している、地元で行うことが重要なテーマになっている、「近い音楽性のアクトが集まる」のとは逆で、「幅広いジャンルの音楽が一堂に会する」というブッキングになっている、など、実は共通項の多いフェスを運営するふたりは、お互いに腹を割って(というか割りすぎて、カットせざるを得ないことにまで話題が及ぶくらい)、本音で語り合ってくれた。(兵庫慎司)

『音博』と『万博』、それぞれのスタートの経緯

──この間、氣志團の対バンツアーにくるりが出ましたよね(2022年4月16日、Zepp Haneda)。お互いキャリアは長いですが、それ以前は接点はなかったんですか?

綾小路 翔
綾小路 翔

綾小路 翔(以下、團長):そう、この間初めて対バンさせてもらうまでは、本当に全然──。

岸田繁(以下、岸田):イベントで一緒になるとかはあったけど。

團長:でも自分の中では勝手に、すごくシンパシーを持っていて。僕たち、生年月日、1日違いなんです。

岸田:そうそう。歳も一緒で。

團長:デビューはくるりの方が早くて、僕らがバンドを始めた頃にはもう有名だったので、「ああ、同世代の人たちがあんなに活躍してるんだ」と思って。まわりのバンドはみんな、相当な影響を受けていたし、自分たちもすごく意識していて。対バンツアー、ずっとお声がけしてたんですけど、コロナで動けなくなってしまって。なので、やっと対バンが実現して、『氣志團万博』にもご出演いただける。いつもスケジュールがかぶっていたので。

──ああ、『京都音楽博覧会(以下、『音博』)』と『氣志團万博(以下、『万博』)』、どちらも9月の3連休の開催だったけど、今年は『音博』が10月9日になったから。

團長:そう、ここしかない! ってお願いしたら、ご快諾いただけて。うれしいです。

岸田:僕らも「やった、(オファーが)来たよ」って。

岸田繁
岸田繁

──『万博』は、最初はワンマンでしたよね。1回目の『木更津グローバル・コミュニケーション』が2003年、次の富士急ハイランド2デイズは2006年。

團長:はい。3回目で、みなさんを呼んでフェスのスタイルになってからは、今年で10回目です。

──『音博』の1回目は?

岸田:バンドの10周年にあたる2006年に、大阪のイベンターから、「大阪で野外イベントをやりませんか?」って言われたんですけど、「いや、京都出身なんで」みたいな感じで、京都府内、できれば京都市内でやりたいな、と。その年はとにかく「場所を探そう」ということで、親父とかにも協力してもらって。もともと京都市内って、鴨川とか御所とか山があるから都市公園が少ないんですよ。平安建都1200年の時に、新しい地下鉄を作って、京都駅を建て直して、貨物のヤードの空いている土地に、公園を作りましょうと梅小路公園ができたんですけど、近所の人が来るぐらいで、市民の認知度も低かったんですね。それで、いろいろ掛け合って、1年かけて準備して、とりあえず一回限りでやってみようと始めたんです。ブッキングも、呼びたい人を呼んだだけで。小田和正さんとか。

團長:すごいなあ……。

岸田:「話を聞きたい」って言われたから、事務所まで行って。脇汗ばんばんかきながら、小田さんとマネージャーに、「京都でこういうことをやりたくて」って話して。でもなんのこっちゃわからないじゃないですか? 小田さんは「で、おまえら結局、何がやりたいの?」って言いながらも「よくわからないけど、出るよ」ってOKしてくださって。他に、ルーマニアからジプシーの大所帯のバンドを呼んだり。

──アメリカとイギリス以外の海外からアーティストを呼ぶ、という感じでしたよね。

岸田:そうなんですよ、いわゆる洋楽じゃなくて。当日の天候はゲリラ豪雨が降ったりして、けっこう大変なことになったんです。トリの僕らの演奏時間を本当は50分取ってたんですけど、いろいろあって押して、20分ぐらいしかできなくて。

團長:ええー!

岸田:でも、お客さんが「来年もやって!」って言うてくれたから、その気になって続けちゃっています(笑)。

──團長は、最初の2回はワンマンだった『万博』を、フェスにしようと思ったのは?

團長:その頃、自分の中で、なんかモヤモヤしていたというか「世の中的に氣志團って必要かな?」みたいに思って、すごく落ちていた時期で。僕たちはべらぼうに歌唱や演奏がうまいわけでもないし、とんでもないヒット曲があるわけでもないけど、ライブには意味があるんじゃないだろうかと思っていたんです。でも世の中的には誰もそう思ってないかもしれない、という話から、だったら超ライブの強い人たちに勝負を挑んでみようと思って、まず対バンツアーを始めたんです。それで、いろんな人たちとやっていったら、打ち上げで一緒に飲んで盛り上がっていくうちに、土手で殴り合った後に「おめえ、やるな」ってなるような、奇妙な友情が生まれるようになって。アマチュアの頃からずっと孤立無援で来たんですけど、その対バンツアーのおかげで、次に会った時に、声をかけてもらえるようになったりして。それがたまらなくうれしかったんですよね。よっぽど孤独だったんでしょうね(笑)。

 で、友達ができたからみんなで集まりたい、だったらフェスをやればいいんじゃない? っていうだけのことで。単純(笑)。スタッフが会場としてアクアラインの最初の出口の近くにある袖ケ浦海浜公園を見つけたんですよ。見に行ったら大きすぎず、海やアクアラインも見えるから、田舎だけどある意味いいロケーションも良いかもしれないねって。ただ、会場周辺の住人が漁師さん達っていう問題があって。皆様はめちゃくちゃ早寝だから。

岸田:ああ、そうか。

團長;すごく交渉して、20時まで音出しOKになったんですけど、いまだに「そろそろ寝んぞ!」って電話は時々。ホント毎度すみません(笑)。でも大きかったのは、和田アキ子さんが来てくださった時(2014年)。どんな人気者が出ても興味を持たなかった方から、その年は「アッコさん来るんだって? 大したもんだね」なんて言われて、周囲が少しやわらかくなった。「国民的なスターってすごいな」と改めて思いましたね。アッコさんはじめ、皆様ありがとうございます(笑)!

──『音博』も、石川さゆりさんが最初に出た時は(2009年)──。

岸田:やっぱり音の問題で苦情は来てました。今は建て直してホテルになったんですけど、近くにJRの官舎のビルがあって、そこの住民からは会場が見えるんですよ。だからみんなベランダから観ていて。僕らがサウンドチェックしてる時は、苦情の電話が鳴るんですけど、さゆりさんや小田さんやと一切鳴らない(笑)。さゆりさんを呼んだことは、一つトピックになりましたね。一切そういうフェスやイベントに出なかったのに、僕らの妄言に乗って「出ようかしら」って言ってくださって。

──どうやって口説いたんですか?

岸田:普通にお声がけしました。オファーを喜んでいただけたみたいで、ご快諾いただいて。「どうせやるなら」と、すごく丁寧にやってくださったんです。どういうことが求められているか、具体的にお話ししていないのに、バチッとわかってくださって。1曲目に「津軽海峡・冬景色」を──。

團長:うわ、すげえ。

岸田:それも、とんでもない演奏で。『紅白』に出る時みたいなオーケストラつきのフルバンドで、ドラムのカウントからダーンとイントロが始まった時の、お客さん全体のバイブスが、もうヤバすぎた。「あ、もう勝ちや!」と思って。あの曲、イントロが二段階あるじゃないですか。二段階目で、さゆりさんが袖からマイクを持って出てきて、歌い出した時はもうすごくて。そのあとにくるりやったんですけど。くるりのライブ、憶えてないです(笑)。それぐらいすごかった。

團長:(笑)。想像するだけで鳥肌立つ。

岸田:逆に和田アキ子さんのブッキングは?

團長:僕はジャンルとかよくわからずに、音楽は手当たり次第なんでも聴いて育ってきたところがあったから、アッコさんも大好きで。大人になってから、みんながジャンルとか世代で聴いていない音楽があることを知ってびっくりしたんです。そこで、いろんなジャンルや世代のモンスターたちがゴロゴロいるんだぜ、っていうことを伝えなくてはならないという謎の使命感に駆られて。その時に、和田アキ子さんのベスト盤を久々に聴き直して「やっぱりすげえな!」と。それで、もしかしたら出てもらえるのは今が最後のチャンスかもしれない、と思ったんです。オファーしたらスタッフさんたちは大喜びしてくれたんですけど、アッコさんご本人が「いや、そんなん、したことないから」って。自分はこれぐらいのキャパシティの会場でしか歌ったことがないし、ましてや屋外は経験ないからちょっと、っておっしゃっていたんですけど。

──キャリアと立場を考えると、何十年もやってこなかったことを、急にやれと言われてもできないというのは分かります。中途半端なパフォーマンスはできないでしょうし。

團長:だからスタッフさんたちに必死でお願いして「前日にリハーサルの時間もお取りします」と。で、人生初のイヤモニをつけてもらって「なんやねんこれ、わからへん!」とおっしゃいながらもやってくださって。やっぱり本番はすごかったですね。the GazettEやHYDEさんを観に来たファンの子たちも泣いてましたから。きっとアッコさんにも楽しんでいただけたんじゃないですかね。そのあたりから、他の大御所の方たちも「おもしろそうだね」と出てくださるようになりました。そういう意味では第一回に出てくださったキョンちゃん(小泉今日子)も大きかった。彼女が「楽しかったよ」とおっしゃってくださっていたことを聞いたことでオファーを受けてくださった方もいました。

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