純烈 小田井涼平が明かす、“50歳で卒業”を決めた背景 活動を経て見つけた天職も

小田井涼平、“50歳で純烈卒業”の背景

 小田井涼平、51歳。2022年内でムード歌謡グループ・純烈からの卒業を発表している。モデル活動を経て、俳優として『仮面ライダー龍騎』への出演で一躍知名度をあげた小田井だったが、リーダー・酒井一圭からの誘いで純烈のメンバーに。“スーパー銭湯アイドル”として健康センターを中心としたライブ活動で人気を得ると、『NHK紅白歌合戦』にも出場。一見華々しい経歴だが、一方で様々な葛藤もあったそう。「純烈での活動は人生の借金返済」と語る小田井に、グループ加入の経緯やその後の苦悩、さらにもともとは50歳の節目で卒業を考えていたという理由を聞いた。(編集部)【記事最後にプレゼント情報あり】

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小田井涼平が卒業したいこと

今が新しいことに挑戦できる最後のタイミング

──改めてになりますが、今年いっぱいで小田井さんが純烈を卒業される理由を教えてください。公式コメントには「自分が50歳になるタイミングでグループ活動を終了したい旨を事務所に伝え」とありましたが、なぜ「50歳で卒業」という発想に至ったんでしょう?

小田井涼平(以下、小田井):昨年50歳を迎えまして、もちろん20代の頃と比べて体力的な衰えはひしひしと感じています。ですけど、「だから純烈を辞める」という話でもないんですよね。逆に、体がまだまだ元気だからこそというか。仮にこのままグループに居続けて、半永久的に純烈というグループが存続してくれるならいいですけど、先のことはわからないじゃないですか。もし60歳や65歳になったときにグループが解散した場合、そこから1人になるのはしんどいやろなあと思って。

──たしかにそうかもしれません。

小田井:そこで何か新しいことを始めようと思っても、体がついていくのかという心配がある。だったら、まだまだ体が元気だからこそ、今が新しいことに挑戦できる最後のタイミングなんじゃないかと。「ここしかないやろな」という思いがあったんですよね。本当は去年の50歳で区切りたかったんですけど、コロナ禍などいろんな要因で叶わず。

──純烈の活動がしんどくなったからではなく、しんどくならないうちに動き出そうということなんですね。

小田井:とはいうものの、たぶん卒業してからのほうが体力的にしんどいことは増えそうな予感がしているんですけど(笑)。どこかで決断しないといけないので、いろんな意味でタイミング的には今だったのかなという感じです。

『仮面ライダー』出演後に抱いた不安

──そもそも役者として活動されていた小田井さんが、なぜ純烈に参加することになったんですか?

小田井:最初にリーダーの酒井(一圭)から「こういうグループをやるので、メンバーとして入ってくれませんか?」という話が来たのが、舞台の稽古中だったか本番中だったかなんですよ。そんなタイミングだったから、「いきなり何を言われてんねやろ? 俺は」と思って。しかも「今の事務所も辞めてもらいたい、グループ活動に専念するうえで今抱えている仕事も全部断ってほしい」みたいな話だったんで……。

──めちゃくちゃなオファーですね(笑)。

小田井:現実味がないなと思って最初は「さすがにそれは無理です」と断ったんですけど、ちょうど今後の自分について考えていたタイミングでもあったんですよね。『仮面ライダー龍騎』に出た数年後の話なんで、年齢的には30代なかばくらい。当時はちょうど平成ライダーが流行り始めて、ほかにもスーパー戦隊シリーズやミュージカル『テニスの王子様』からどんどんイケメン俳優が輩出され始めた時期で。僕は彼らと比べると年齢的には遅いデビューだったんですけど、その頃は“若手イケメン俳優”という括りで呼ばれる仕事が多くて、20代の子たちと横並びでやらなければならないのがちょっとキツかったんですよ。

──ご自分の立ち位置というか、“立たされ位置”に違和感があったわけですね。

小田井:もうちょっと先輩の役とか、ヒロインの元カレ的な役柄にスライドしていかないとしんどいなと思ってたんですけど、思い通りに仕事が来るわけでもなく。とりあえずオファーが来る仕事をやっていく中で「5年後、10年後も生き残れるのかな?」という思いが常日頃からあったんです。

──ある意味で将来に不安を抱えていたと。

小田井:そのときにたまたま、今はなくなってしまった新宿コマ劇場の前を通りがかって、北島三郎さんの座長公演のポスターが貼られているのを目にしたんですね。1部がお芝居で、2部が歌謡ショーという構成の。それを見たときに、「そうか、こういうジャンルの歌手であれば芝居もできるのか」と気づくんですよ。「そういえば酒井がムード歌謡がどうとか言ってたな……」と思い出して、こういうものが目指せるのであればやってみるのもいいかなと。結果的にはそれがきっかけで、酒井と合意に至るわけです。

──小田井さんはもともと歌手志望ではなかったわけですし、純烈への参加を決意するにはきっかけが必要だったということですね。

小田井:うちのグループは、もともと歌をやっていた人間にほとんど声をかけていないから。これは推測でしかないけど、酒井はたぶん何か違う道筋でこういうグループをやりたかったんでしょうね。

──酒井さんにせよ小田井さんにせよ、本来はロック系がお好きなんですよね。

小田井:そうですね。たぶん、酒井も最初の段階ではムード歌謡というものに確信は持てていなかったと思います。事実、デビューに向けてのボイストレーニングをしていた時期は、そこまでコテコテのムード歌謡を歌っていた記憶がないですから。グループの方向性については相当な試行錯誤をして、最終的にデビュー曲「涙の銀座線」のようなスタイルに落ち着くんですけども……あの曲にしたって、ムード歌謡といえばムード歌謡だけど、ちょっとおしゃれというか。

──ボサノバテイストですしね。つまり、「涙の銀座線」はいろいろある選択肢のうちの1つに過ぎなかったと。

小田井:そうです。デビューしたあとも今の形に落ち着くまではだいぶ迷走していますから。デビューはしたものの仕事は全然なかったので、「仕事につなげるためには何をすればいいのか?」という模索の日々でしたね。

早い段階で純烈を辞めようと思っていた

──思いきってこの世界に飛び込んできた小田井さんからすると、「どうなってんねん?」という状況ですよね。

小田井:デビューするまでに2年かかってるので、「ここからさらに“売れる”となったら、一体何年かかんねやろ?」という思いはすごくありましたね。その間、役者をやっていた自分の姿が常に脳裏をよぎって「あかん、ここに長居したら戻られへんようになる」という気持ちが強かったです。だから、けっこう早い段階で純烈を辞めようと思っていたんですよ。

──歌の世界に来たはいいけど仕事がない状況では、そう考えるのが自然な流れだと思います。

小田井:でも、僕以上にほかのメンバーが辞めたがっていて。そのみんなが、酒井ではなく僕に相談しに来るんですよ。確かに酒井はリーダーだし結成主だから直接は言えないですよね。とくにリードボーカルの白川(裕二郎)はしょっちゅう辞める辞めると言っていて……不思議なもので、人間ってネガティブなことを言われるとポジティブな意見で返しちゃう性質があるみたいで。彼らが辞めたいと言うのを、同じく辞めたいと思っているはずの僕が「それは違うと思うよ」みたいに説得しにかかるんですね(笑)。それで辞めるに辞められなくなっちゃって。

──確かに、人が辞めようとするのを必死で止めている小田井さんが真っ先に抜けたら……。

小田井:詐欺みたいになっちゃう(笑)。だから逆に言うと、結果的には相談されたことが自分にとってもよかったんですよね。

──そんな状態の純烈が、うまく回り始めたのはどのくらいのタイミングだったんでしょうか。

小田井:これはメンバーによって感覚が違うと思うんですけど、僕は健康センターで歌い始めた頃から「活動が軌道に乗ってきたな」と感じていたんです。けっこう早い段階からお客さんが入ってたんで、ある程度プロジェクトとしては成功していると思っていました。もちろん「『紅白歌合戦』に出場する」という大命題を掲げてはいたので、それを考えるとまだまだ最初の一歩ではあったんですけど、僕は「口ではそう言ってるけど、どうせ『紅白』なんて出られへん」と思ってたから(笑)。

──少なくとも当初の、方向性も定まらず仕事もない状態からは抜け出して、“純烈というフォーマット”が固まった感触があった?

小田井:そういうことです。だってその頃にはもう、さっき言った座長公演の話とかもすっかり忘れてますもん(笑)。「お客さんが来てくれるだけでありがたい」という感覚でやっていたから。そうこうしているうちに、世の中でちょっとしたスーパー銭湯ブームが始まるんですよ。

──ありましたね。

小田井:それが本当に運がよかった。僕らがそこでショーをやっているという事実とはまったく関係ないところで、ワイドショーがスーパー銭湯に興味を持って特集を組み始めたんです。そうしたら、たまたまそこで僕らがライブをやっていて、マダムたちが列をなして通い詰めていると。最初の頃はよく「この行列の先には一体何が?」みたいに取り上げられていました。

──純烈のような活動スタイルはかなり珍しいですから、見つかりさえすれば注目されますよね。

小田井:演歌歌手の方とかが営業活動として健康センターのようなところで歌う文化は昔からあったんですけど、グループはほとんどいなかったですからね。しかもあの当時は、健康センターの中でそういう催しが行われていることを知っているのは通っている人だけで、外の人はほぼ誰も知らなかった。今では僕らの後輩にあたる子たちも健康センターで歌っていますし、一般の方にも認知されてきていると思うんですけど。

──それは純烈が切り拓いてきた道ということですよね。

小田井:どうかなあ……うちのリーダーには切り拓いた感覚があるかもしれないけど、僕は「単に波に乗っかっただけ」というイメージが強いです(笑)。時代的なバックボーンにめちゃくちゃ助けられたという気持ちでいますね。

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