純烈 小田井涼平が明かす、“50歳で卒業”を決めた背景 活動を経て見つけた天職も
純烈の活動は“人生の借金”返済
──そういう人生の展開は、幼い頃の小田井少年からすると思ってもみなかったような未来ですよね。
小田井:それはもう、全然ですね。実家の商売を継ぐものとばかり思って生きてきたから。大学卒業後に一度就職してるんですけど、それも家業を継ぐための社会勉強としてだったんですよ。だから、そもそも芸能界に入るなんて思ってもいなかった。
──そんな小田井さんの人生において、純烈での活動はどういう意味を持つものになりました?
小田井:言い方は悪いですけど、“人生の借金”を返済してきた場所のように感じていますね。僕は、大学までは敷かれたレールの上をちゃんと歩いていたタイプだったんです。その時点までは親の期待に背かず生きてきた。でも大学を卒業して以降は好き勝手やってきたし、結婚もずっとしなかったから、ものすごく親不孝をしてきたなという思いがあるんです。その“借金”を、純烈の活動が軌道に乗ることでようやく補填できた。結成当初の数年間はまあ置いといて(笑)、最終的には親からも「やってきてよかったね」と言ってもらえるところまで行けたので。
──ただ純烈を始めた当初は、この活動がそんな意味を持つことになるなんて想像していなかったですよね?
小田井:結果的にそうなってくれたというかね。だから「親孝行になった」と言えばきれいに収まるんだけど、僕の感覚では“借金返済”という感じになっちゃう(笑)。
──なぜそういう人生になったんだと思いますか?
小田井:僕はもともと「地元で働きたい」という意識がものすごく強かった。だからこそ神戸でサラリーマンをやっていたんですね。それがいきなり仙台へ赴任することになって……これは勤めていた会社のせいという意味では全然ないんですけど、そこで歯車が狂ったんやろなと。当時は本当に行きたくなかったんですよ(笑)。今でこそ仙台がめっちゃええ街なのは知ってるし、住みたい街のひとつでもあるんだけど、20代の僕はそういうふうに思えなくて。
──仙台が嫌だったということではなく、地元以外のところで働いて暮らすことが想定外だったという意味ですよね。
小田井:そうです。とにかく仙台に居続けることが想像できなかったし、想像したくもなかった。だから28歳で会社を辞めて、実家に戻る決意をするんですけど……今思うと若かったなと思うのが、そのときに「せっかくだから、1回東京行っとくか」と思っちゃったんですよね。「30歳までは好き勝手やってもええかな」と自分で線引きして、2年間だけのつもりで東京で暮らし始めたんです。仙台ではモデル活動もしていたので、東京でもモデル事務所を探して。30歳になる年に「今年、年末に帰るから」と親にも連絡してたんですけど、そのタイミングで『仮面ライダー』のオーディションに通ってしまったという。
──そして今に至ると。純烈もそうですけど、とにかく周りの状況に翻弄され続ける人生なんですね。
小田井:自分で選んだというよりは、その状況の中で見つけたことをやってきた感じですね。だから純烈からの卒業を機に、これからは少し違った自分も見てみたい。年齢的には、そろそろリタイアも見えてくる頃合いじゃないですか。もう少し自分のやりたいこと、好きなことに関してワガママに生きてもいいタイミングなのかなと。そういう意味では、今現在はとてもワクワクしていますね。
──具体的に、今後やりたいことはどのように考えているんですか?
小田井:ひとつあるのは、テレビの旅番組でロケに行くのがめちゃめちゃ楽しくなってきているんですよ。「これはもしかしたら天職かもしれへんな」と思うくらい。普通、タレントさんはロケよりもスタジオでVTRにコメントする仕事をやりたがる方が多いと思うんですね。ロケには天候の問題もあるし、労力のわりにオンエア尺がそこまであるわけでもないから。だけど、行った土地土地で出会う人と話をしたり、その土地のものを食べたりすることがすごく楽しいんですよ。それは純烈でやってきたこととも通ずるものがあるし、これまでの経験をきちんと生かせる仕事でもあるなと感じていて。
──確かに、純烈の活動スタイルから歌とダンスを抜いたら近いものになりますね。そこに特化できる面白みを感じている?
小田井:そうですね。最初の話と重なりますけど、だから体力のあるうちにと思って。ロケは体力勝負ですから。
歌手活動を辞めるという選択肢はない
──小田井さんは卒業前の10月5日に初のソロアルバム『息子がお世話になりました』をリリースされます。今後も歌手活動は続けていくんですか?
小田井:どういう形になるかはさておき、「辞める」という選択肢はないですね。これまで純烈の小田井涼平を応援してくださった人たちに楽しんでいただけるようなものに加えて、これまでやってこなかった自分の好きな音楽も少しやっていけたらいいなと。
──それこそ、アルバムにはBARBEE BOYSのイマサ(いまみちともたか)さんが参加されています。小田井さんはもともとBARBEE BOYSがお好きなんですよね。
小田井:そうなんです。BARBEE BOYS、LÄ-PPISCH、松岡英明さん、岡村靖幸さん……。今はアーティストの皆さんもSNSをやられているから、僕がインタビューなどでそういう方々を好きですと発言すると、ご本人が反応してくれたりするんですよ。最初にBARBEE BOYSの名前を出したときも、たしかTwitterの公式アカウントがリアクションをくれて。
──すごく今っぽいお話ですね。
小田井:といっても、そのつながりで今回のことが実現したわけじゃないんですけどね。イマサさんはプロデューサーさんが連れてきてくれたんです。そもそも、最初に「ソロアルバムを」という話が来たとき、僕は「嫌です」と全面反対したんですよ(笑)。今でも自分のことを歌手だとは思ってないし、「そんな特別なことはいらないです」って。でも以前、純烈のアルバムでプロデューサーをやってくれた方がたまたま昔BARBEE BOYSも担当されていたのを思い出して、「あの人ともう1回仕事できるなら」という条件で飲んだんです。
──そうしたら、イマサさんまで付いてきたと。
小田井:そう(笑)。あと、実はうちの奥さん(LiLiCo)が以前から杏子さんと仲がよくて、家に帰ったら杏子さんと飲んでいたということが一度ありました(笑)。そういうのもあって、勝手に縁を感じていますね。
──そもそもBARBEE BOYSのどういうところがお好きなんですか?
小田井:あんなふうに、がなるように歌うアーティストさんって今はほとんどいないですよね。トレンドとは違う中で、試行錯誤しながら今もやっているところを僕はすごくリスペクトしています。だからリスナーとしてはそのスタイルを変えないでほしいし、貫いてほしいですね。コアなファンはたくさんいるわけですし。
──広く聴かれることを目的とした音楽というより、ピンポイントに深く刺す方向の音楽であってほしい?
小田井:まさにそういうことです。それで言うと、Topsっていうバンド、わかります? 80年代に関西で活動していたバンドなんですけど、ボーカリストの山際祥子さんがものすごくパンチのある歌い手で、大好きなんです。僕が好きやと言い続けていたら奥さんも好きになってくれて、とある番組でTopsの曲を2人でデュエットしたこともあるくらい(笑)。この間知ったんですけど、山際さんは今でも音楽活動をされているそうなので、ぜひライブを観に行きたいなと思っているところです。
──小田井さんご自身も、ソロではそういう狭いところを深く突くタイプの音楽をやっていきたい?
小田井:そうですね。大きなコンサートホールというよりは、小さなライブハウスとかで、いつも一緒に仕事をしているバンドのメンバーと集まってこじんまりやっていけたらいいなという気持ちはあります。
サイン入りチェキプレゼント
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応募方法
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<締切:9月13日(火)>