宇野維正×つやちゃん特別対談 ザ・キッド・ラロイから(sic)boyまで繋ぐ“ラップミュージックによるロックの再定義”

宇野維正×つやちゃん特別対談

「ラッパーにとってロック的なイメージは新たに資本を生み出す手段」(つやちゃん)

宇野:ただ、先日のTravis Scottの『Astroworld Festival』での悲劇がどのようにシーンに影響を及ぼしていくかは、注視しておく必要があると思います。現時点で出ている情報だと、運営自体に大きな問題があったのも明らかだけど、スタジアムクラスにまで肥大化したラップミュージックの若いオーディエンスと、旧来のロックスター的なラッパーの過度なカリスマ化と、パンク由来のモッシュやダイブの掛け合わせがいかに危険かということを証明する事故になってしまった。“レイジ”はシーンとして現象化する以前からTravis Scottも掲げてきたキーワードでしたが、オーディエンスの狂乱を誘発するものとしてシャウトやスクリームが危険視されるようになるかもしれない。まあ、危険だからこそ若いオーディエンスはあのノリをさらに求めていくという可能性もありそうですが。

つやちゃん:Trippie Reddの名前が出ましたけど、『Trip At Knight』の前の、これも今年出た作品ですが『Neon Shark vs Pegasus』ではがっつりTravis Barkerと組んでいて。あれはもう完全にポップパンクアルバムでしたよね。

宇野:個人的にはポップパンクをまったく通ってこなかったので、そのあたりの音楽性を行き来しているラッパーと、それを支持しているオーディエンスの実態がイマイチつかみきれないんですよ。Travis Barker案件でいうと、最大の成功例はMachine Gun Kellyになるわけですよね。ラッパーとしてデビューしたにもかかわらず、昨年出したアルバム『Tickets To My Downfall』では完全にポップパンクに転向して、それがキャリア最高のヒットになったという。一方で、The Kid LAROIの作品での客演とかでは、今もラッパー的な動きをしている。

The Kid LAROI - F*CK YOU, GOODBYE (Official Audio) ft. Machine Gun Kelly

つやちゃん:今はポップパンク的なユーモアが求められているとか、TikTokのBGMとしてハマりやすいとか、いろいろなことが言われていますよね。でも、この流れって90年代とほぼ近しいなと思っていて。結局、90年代もグランジが出てきてオルタナが台頭したところにBad ReligionとかNOFXとかThe Offspringがぐんぐんセールスを高めていき、その後blink-182にTravis Barkerが加入して99年に『Enema Of The State』が大ヒット、ポップパンクが完成していきました。もちろんそこにはサーファーやスケーターという当時ならではのカルチャーもあったわけですけど。同時期にアンダーグラウンドではエモも盛り上がっていた。<サブ・ポップ>から出たSunny Day Real Estateの『Diary』が94年です。その後グランジが廃れた一方で、エモとポップパンクはある種様式化してさらにメジャー化していった……と、ほぼほぼ今のラップシーンと同じ道を辿っている(笑)。それこそニューアルバムで(sic)boyとコラボしてるlil aaronはトラップ×ポップパンクの代表的な人ですよね。そして、当たり前のようにlil aaronとも絡んでいるのが、ここでもまたTravis Barkerなわけです。

宇野:Travis Barkerがあまりにも万能のカードみたいなことになってますけど、そもそも彼はどういう人なんですか?

つやちゃん:Travis Barkerって、昔からめちゃくちゃ人脈が広いんですよね。当時の西海岸パンクシーン自体にスケートやサーフィンカルチャーがあって、Travis Barkerはその後アパレルブランド『Famous Stars And Straps』を立ち上げ、ストリートファッションを通じてもそれらいろいろなシーンと繋がっていった。巨大な興行になっていった『Vans Warped Tour』でも中心的な存在で、ドラムがめちゃくちゃ上手い点でも一目置かれていましたね。blink-182っておバカなMVのせいで、いわゆるポップパンク的バカらしさみたいなものの代表として捉えられがちですが、同時にナイーブさも備えていたと思います。そのナイーブさって、やっぱりエモとも通じるものがあったと思うんですよ。

宇野:なるほど。blink-182って音楽ジャーナリズム的にはさほど評価されてきたバンドではなかったと記憶してますが、その中でTravis Barkerはストリートカルチャーでも、バンド界隈でも、いろんなシーンにおけるハブ的な存在だったってことですね。

つやちゃん:そうですね。でも、まさかTravis Barkerがここまで存在感を増し続けるとは正直思ってなかったです。いくら才能があると言っても、おっしゃる通りポップパンク全般もblink-182もジャーナリズムからはちょっとバカにされてたじゃないですか。それが20年後、ラップシーンのキーパーソンになるなんて、そんなこと当時は誰も想像してなかったはず。ただ、今考えると、その後もTravis Barker自体の音楽性はどんどん広がっていった。ミクスチャーの要素を取り入れたTransplantsや、エレクトロっぽい要素を取り入れた+44というバンドを組んでみたり。2010年代に入るとラッパーとの共演も増えていきましたよね。同じく西海岸でロックとヒップホップの橋渡しをしていたCypress Hillと絡むくらいまでは想像つきましたが、その後はもう際限なくいろんなラッパーとコラボして。

宇野:だとしても、そのTravis Barkerが全面的にバックアップしたMachine Gun Kellyのエモラップからポップパンクへの転向って、コロンブスの卵的というか、ラップとロックの価値の転換を一番上手いことやってのけたような感じがしますよね。

Machine Gun Kelly ft. Halsey - forget me too (Official Music Video)

つやちゃん:『Tickets to My Downfall』は、2000年前後のポップパンクを知っている世代からしてみたらほとんど昔の焼き直しにも聴こえてしまう部分もありますが(笑)、でも若い世代にとってはまったくそんなことなくて、「すごい新しいじゃん」ってみんな聴いてるんですよね。それで全米1位にまでなってしまった。

宇野:Machine Gun Kellyは本名のコルソン・ベイカー名義で役者としても活動してますが、『Tickets to My Downfall』よりも全然前に出演していたNetflix映画『ザ・ダート: モトリー・クルー自伝』でTommy Leeの役をやってたじゃないですか。

つやちゃん:すごいハマり役でしたね。

宇野:あのハマり具合を見てもよくわかるのは、Machine Gun KellyはそれこそKurt Cobain的価値観の真逆にある LAメタル的価値観の人、ショービジネスの人ということですよね。それでいて、今年出した新曲「papercuts」は、Nirvanaと並ぶ90年代前半のオルタナティブロックの象徴とも言えるPixiesまんまな曲で。「ちょっといくらなんでもこれは」とか思うんですけど(笑)、やっぱり無条件にカッコいいからねじ伏せられちゃうんですよ。

Machine Gun Kelly - papercuts (Directed by Cole Bennett)

つやちゃん:エモラップはヒップホップを内省に向かわせた、とよく言われるじゃないですか。でも、エモラップの内省とオルタナティブロックの内省は明らかに違うと思うんです。やはりオルタナティブロックの内省はKurt Cobain的な、資本主義そのものに対してや、スターになるということに対しての葛藤からくるものですよね。でも、そもそもヒップホップは資本主義の構造から弾かれている人たちが、そこにいかにジョインしてのし上がっていくかというマインドがベースにあるので。究極的には、ラッパーにとってロック的なイメージというのは新たに資本を生み出していく一つの手段でしかないんですよね。

宇野:その通り。それはThe Kid LAROIにしても同じことですよね。

つやちゃん:そうですね。ロック寄りの人たちは何かとそこに高尚な意味を持たせたがるんですけど、そういうドライな見方がまず必要だと思います。もちろん個々で見ていくと、Kurt Cobain的な内省を持ち合わせているラッパーも中にはいますが。

宇野:でも、XXXTENTACIONにせよLil Peepにせよ、亡くなったことでKurt Cobain的なアイコン化が進むような動きもありますけど、ドラッグのアディクトだったという共通点はありつつ、別にパンクやオルタナティブを思想として継承していたわけではないということはちゃんと言っておかなくてはいけないですよね。Lil Peepなんて、そもそもめちゃくちゃエリート家庭の出だったりするし。まあ、そこにもあまり意味を持たせちゃいけないんでしょうけど。

つやちゃん:結局エモラップのリリックって「恋人にフラれて悲しい」とか、そういうリリックばっかりで。根本的にロックのリリックとはちょっと違うんですよね。特にオルタナティブロックの世界って、もうひとひねりメタ視点があったりするじゃないですか。

宇野:そうそう。それと「失恋した。だからオーバードーズして死にたい」みたいに、死への距離がめちゃくちゃ近い。それで実際に死んじゃったりしてるわけだからシャレにならないんだけど。そういう意味でも、特にMachine Gun Kellyとかめちゃくちゃ策士っぽくてちょっとホッとするようなところもあります。

つやちゃん:そういう逞しさみたいなものは、間違いなくKurt Cobainにはなかったところですね。

宇野:そうなんですよ。それって、いわゆる“産業ロック”と何が違うのかって古い世代の音楽ファンとかは思うかもしれないけど、いや、そもそも最初からラップミュージックのシーンって産業を中心としたものだからという。

つやちゃん:そうですね(笑)。産業であることが前提。

宇野:そこは、ヒップホップとラップミュージックの違いの話にもなってきますよね。

つやちゃん:Travis Scottに代表されるように、トラックメイキングもするしMVも自分で撮る、そもそもラッパーという器に収まっていないラッパーが増えている中で、彼らは保守的なヒップホップリスナーから批判されるのであれば、面倒くさいからもうラッパーと名乗らない、みたいなところがあるじゃないですか。ラップシーンの分断って結構深刻で、そうなった時に“ロックスター”と名乗るのが非常に興味深いんですよね。ロックって基本的にモダニズム的進化を重ねてきたジャンルですけど、ヒップホップやラップミュージックって意外と同じところをぐるぐるしていたり、決められた狭いルールの中でちょっとの差異を競う音楽だったりする。そこで、「いや、自分たちは大胆に進化するんだよ」というラッパーは、ラッパーの肩書きを捨ててロックでもなんでも逞しく利用していくみたいな。

宇野:モダニズムということでいえば、やっぱりトラップはヒップホップのモダニズム的な進化だったと思うんです。で、トラップ以降、現在起こってるこのジャンルレスな状況は、さらにその後のポストモダン的な世界なんじゃないかって。日本って、いわゆる“トラップ期”がなかったじゃないですか。発言力のあるパフォーマーやジャーナリストが今でも事あるごとに「ヒップホップとは?」みたいなことばかり言っていて、一般メディアの言説もそこに引っぱられている。トラップのビートに取り組んできて音楽ファンなら誰もが知る存在といったら、それこそ今でもKOHHとBAD HOPくらいでしょ?

つやちゃん:本当にメジャーな存在になったのは彼らくらいですね。

宇野:それを日本の思想史に重ねるなら、日本はモダニズムをちゃんと咀嚼しないままポストモダン期に入ったみたいな言説があって。じゃあ、日本のラップシーンにもモダニズム期はなかったけどポストモダン期はやってくるかもしれないというのが、LEXとか(sic)boyとかに今の自分が夢想してることだったりします。今日の話でいうと、LEXはめちゃくちゃシャウト使いの上手いラッパーでしょ?

つやちゃん:確実に新しい声とフロウを持ったラッパーですよね。

LEX - Without You (Music Video)

宇野:あと、この対談を読んでもらったら、(sic)boyがいろいろなところでL'Arc〜en〜Cielのhydeがロールモデルだと語っていることにも腑が落ちるんじゃないかな。音楽的な影響もそうですけど、やっぱりアーティストをモティベートする上でのカリスマ像ってすごく重要で。これまでも、日本のKurt Cobain的な存在としてリリックで尾崎豊とかに言及するラッパーもいましたけど、(sic)boyの世代がそこでhydeの名前を出してきたことに、スコーンと抜けた風通しの良さを感じずにはいられないんですよね。

つやちゃん:(sic)boyは(プロデューサーの)KMとのバランスが素晴らしいですよね。(sic)boyのそういう志向に加えて、ヒップホップ的な文脈もKMが丁寧に押さえている。さらに、今日話に出たようなUSのグランジやエモの要素はもちろん、KMの場合はもっとハイパーポップのフィルターを通したミクスチャーロックのリファレンスも入っていて。そこに(sic)boyのJ-ROCK、V系の影響が混ざって、唯一無二のものになっている。J-POPのフィールド特有の展開の多彩さやひねったメロディラインが含まれていて、ある意味ガラパゴス的なんだけど、確かにこれはUSにはないよね、っていう。

宇野:(sic)boyはリリックのフレーズセンスもラップとJ-POPのいいとこ取りで冴えまくってるんですよね。〈雨にも負けるし 風にも負けちゃうよな lucid dream〉(「Last Dance feat.Wes Period」)と韻を踏みながら宮沢賢治とJuice Wrldをヒュッと繋げちゃったり、〈90’s japanese rock star on the TV show something like that 重ねていく million〉(「BLACKOUT SEASON feat. phem」)みたいにその“ロックスター”像もボンヤリしてなくてめちゃくちゃ具体的。ずっと日本のラップシーンでは「日本人である我々がどうしてヒップホップをやるのか?」というのが命題になっていて、そこに向き合うことも重要なことだとは思いますが、(sic)boyは曲の吸引力も言葉の力もそういう堂々巡りを過去のものにしていく勢いに満ちている。そういう意味でも、12月にリリースされるニューアルバム『vanitas』には2021年最大級の期待を寄せています。

つやちゃん:(sic)boyやLEXを手掛けてるKMだけでなく、グローバルなトレンドを押さえつつ、ただUSを追うだけではない新たな国内ラップミュージックの価値観が確実に出てきてますよね。あらゆるジャンルのソースをテーブルに並べて独自のジャンルレスな音楽を作っているkZmや釈迦坊主も、音楽性は全然違いますが私はPost Maloneと近しいことをやっているように思うんです、ポストジャンル的な意味で。YDIZZYやHideyoshi、EDWARD(我)、Kvi Babaなどロックを取り入れるラッパーは国内でも非常に増えていますが、(sic)boyのニューアルバムはそういった人たちに対して「もっとやっていいんだよ」っていうメッセージとしても機能するんじゃないでしょうか。

(sic)boy - BLACKOUT SEASON feat. phem (Prod.KM)

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