the band apart 木暮栄一「HIPHOP Memories to Go」第6回
the band apart 木暮栄一「HIPHOP Memories to Go」第6回 ヒップホップの過渡期に確立された“オリジナルなバンドサウンド”
シーンの過渡期、バンアパに訪れた作曲スタイルの変化
2000年前後のヒップホップはサウンド面での過渡期だった。
サンプリング主体のトラックからシンセメインのトラックへとシーンのトレンドが移行していった時期で、その変化について行けずにヒップホップを前ほど聴かなくなった、という友達が結構多かった。「チキチキ系」(打ち込んだハイハットが16分音符をチキチキ刻むパターンが特徴だったので)と揶揄されたりもした新しいサウンドの中でも、ティンバランドがプロデュースしたミッシー・エリオット「Get Ur Freak On」など、僕としては好きな曲がなかったわけではない。
しかし、サンプリングの粗い質感とは真逆のクリアな音像に戸惑ったことは確かだ。さらにはバンド活動が忙しくなっていたことも手伝って、以前のように新譜を欠かさずチェックする、といった情熱は段々薄れていった。
その頃リリースされたA Tribe Called Quest『The Love Movement』でさえ、「音が整い過ぎてるんだよな……」みたいな話を、先輩とクラブ明けのデニーズでしたような記憶がある(結果的には人生で最も聴いたATCQのアルバムになっているけれど)。
少し遅れて日本のシーンにもやってくるこの時期の変化については、次の機会にでもまた詳しく書きたいと思います。
そんなTRITONのプリセット音に宇田川町が喧々諤々し始めていた時、奇しくも我々the band apartにも作曲面での変化があった(ヒップホップは全く関係ありません)。
歌舞伎町でのバイト終わりで終電を逃した時は、頻繁に原の家に泊めてもらっていたのだが、チェーンスモークと駄話の中で「メロディックパンクもいいけど、皆と同じようなことをやっててもしょうがないよね」という意味合いのことをよく話していた。1stアルバム『K.AND HIS BIKE』(2003年)までの楽曲は、少ない例外を除いて主に原がまとめていたから、他の3人よりも早い段階でオリジナリティの模索を始めていたのかもしれない。
実際に、それまで無意識に曲ごとに分けていた様々なジャンルの要素やアイディアを、折衷して1曲に入れ込むようになっていく。その最も分かりやすい例が、エセボサノバパートから謎にエモーショナルなロックへと展開する「fool proof」という曲(その構成自体はNOFXからのインスパイアだったような気がする。曲名は忘れました)で、1stシングル『FOOL PROOF』のリードトラックになった。
他にも荒井が作ったソウル風のパートから激しい8ビートのサビにつながる「reminisce」、3拍子のイントロからギターポップを経由して2ビートへ展開する「disappearing man」など、今振り返ってみれば、この時期の楽曲は色々と分かりやすい構造になっていると思う。
それより以前の、日の目を見ていない古い曲たちが収録されたカセットテープやライブのVHSをいまだに持ってるんだけど、そんなものただ持っていてもしょうがないので、いつかYouTubeか何かで公開したい……と思っているのは僕だけであり、他のメンバーからは「公開したら本当に殺しちゃうかもしれない」との予告を受けているのだった。
「本当はそんな性格じゃないのに文化祭だからって浮かれてはしゃいじゃってる」
例えるならそんな感じの4人の姿を、広大なネットの海にいつか垂れ流してみたい、と個人的には思っています。
連載バックナンバー
第5回:生涯のアンセム「B-BOYイズム」はなぜ衝撃的だったのか
第4回:新たな衝撃をもたらした“ジャパニーズ・ヒップホップとの出会い”
第3回:高校時代、原昌和の部屋から広がった“創作のイマジネーション”
第2回:海外生活でのカルチャーショックと“A Tribe Called Questの衝撃”
第1回:中高時代、メンバーの強烈な第一印象を振り返る
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