小説『モンパルナス1934~キャンティ前史~』エピソード6 ポン・ヌフの大天使 村井邦彦・吉田俊宏 作

『モンパルナス1934』エピソード6

エピソード6
ポン・ヌフの大天使 ♯3

 紫郎と鮫島が造幣局前の通りまで上がっていくと、大型のルノーが待っていた。運転手はカーチェイスの相手をしたあの男だった。
「ベンツはやめたんですか」
「ああ、話せば長くなるが、要するに私の上司が英国かぶれのドイツ嫌いでね。ベンツなんかやめて、ロールスロイスにしろと言われたのだが、上司の言いなりなんて癪だろう? カーチェイスで負けた記念に、こいつに買い替えたわけさ。何しろ経費は潤沢に使えるからね。なあ、金田君。ははは」と鮫島は運転手を金田と呼び、高らかに笑った。
「鮫島さん、何から何まで、僕には分からないことだらけだ。母があなたに何を頼んだんです?」と紫郎はルノーに乗り込んで言った。
「正確に言うとね、新橋のおもんさんが私の上司に頼んだんだ。欧州事務所長になった坂本直道に。坂本所長は龍馬の甥の長男に当たる人でね」と紫郎の隣に座った鮫島が説明した。ルノーはセーヌ川に沿ってゆっくりと西に走った。満月はまた灰色の雲に隠れていた。
「龍馬って、あの坂本龍馬ですか?」
「もちろん。君のお祖父さんの後藤象二郎翁は龍馬と親交があった。詳しくは聞いていないが、その縁が続いていたんだろうね。おもんさんが坂本所長に息子をよろしく、と頼んだそうだ。自分がお節介を焼くと怒るから内緒にしてくれ、陰から見守って、いざという時に助けてやってくれないか……という話だったらしい。所長は君のお父さんの後藤猛太郎氏に恩義があると言っていたから、その義理を果たしたってところかな」と鮫島が続けた。
「坂本所長は、僕の警護を鮫島さんに任せたわけですね」
「そういうことさ。剣術の心得があるからだろうな」
「さっきの早業は見事でしたね。丹下左膳よりすごかった。いや、僕はギニョールか大天使ミカエルが現れたと思いましたよ。助かりました」
「ギニョール? ああ、人形劇の? それにミカエルとは畏れ多いな。龍馬と同じ北辰一刀流をかじっただけさ。それより、川添君の早業も見事だったなあ」と言って10フラン銀貨を紫郎に渡した。
「えっ。これ、僕が投げたコイン? いつの間に拾っていたんですか」
「10フランといえば大金だよ」
「一か八かで投げたんです。銭形平次のつもりでね。平次をご存じですか」
「いや、聞いたことのない名前だな」
 セーヌを走る汽船が動物の鳴き声のような汽笛を鳴らして去っていった。
「そうか、鮫島さんは海外生活が長いんですね。最近、人気のある時代小説の主人公ですよ。昨年、嵐寛寿郎の主演で映画にもなりました。投げ銭で賊を召し取る岡っ引きなんですよ」
「ほお、そいつは面白そうだ。満鉄の事務所には、日本から主要な新聞や雑誌が定期的に送られてくるから、だいたい目を通してはいるんだが……。これは帰ったら浦島太郎だな」
 ルノーはエッフェル塔のたもとを相変わらずのろのろと走っている。花束を持った背の高い女が道端に立っているのが見えた。街灯の青白い光が女の顔を照らしている。全く見知らぬ白人だった。女は泣いていた。
「鮫島さんはなぜカンヌに来なかったのですか?」と紫郎は窓越しに女とエッフェル塔を交互に見ながら言った。
「行ったよ。君はマルセル君と一緒だったよな?」
「えっ。あ、あの市場ですか?」
「ふふふ」
「参ったなあ。やっぱり勘違いじゃなかったのか。カンヌに来たのはあの日だけですか」
「後は彼に任せたからね」
「彼?」
「なかなか役に立っただろう?」
「役に立った? ひょ、ひょっとしてシャルルですか?」
「ひょんなことで知り合ったんだが、彼は優秀な男でね。しかも律儀だ。だから私が個人的に頼んだんだよ。私が所長の下請けだとしたら、デュソトワール君は孫請けだ。彼を悪く思わないでくれよ。私が固く口留めしておいたから、何も言わなかっただろう? 本人は法学者になりたいようだが、これからの時代、満鉄はああいう人材を採用しなくちゃいけない。まあ、私に人事権などないんだけどね」と鮫島は肩をすくめ、ひとつ溜め息をついてから笑って見せた。
 紫郎にはまだ鮫島に訊きたいことが山ほどあったが、シテ・ユニヴェルシテールの前で強引に降ろされた。「詳しい話はまたいつか。あまり無茶をするなよ、川添君」と言い残して鮫島は消えていった。

自由の女神マリアンヌの横顔が刻まれた10フラン銀貨。裏面には「自由、平等、博愛」の文字が入っている。

 翌々日の日曜の昼下がり、紫郎は井上と連れだってレヌアール通りのモダンなアパルトマンに向かっていた。セーヌ川の向こうにエッフェル塔が見える。途中で背の高い白人の女とすれ違った。一昨日の夜、花束を持って泣いていた女によく似ていたが、女は鼻歌を歌いながら颯爽と通り過ぎていった。
 井上はラスパイユ通りにあるパリ特別建築学校に通い、オーギュスト・ペレという建築の大家の講義を受けていた。しかし、建築初級者の彼は先生と直接話しをしたことなど一度もないという。その話を聞いたシャルロットがペレの事務所兼自宅に連れていってくれることになったのだった。彼女や坂倉の師匠、ル・コルビュジエもかつてペレの事務所で働いていたことがあるそうだ。
 まだ10月の終わりなのに、木枯らしのような冷たい風が通りを吹き抜け、そのたびにマロニエの枯葉が舞い上がる。コートを着てくればよかったと紫郎は思った。
「ああ、いた、いた」と井上が声を上げた。
 シャルロットはフランス女性にしてはさほど背は高くない。2人に気づいた彼女が「こっちよ」と背伸びをしながら手を振っていた。
「シロー、おとといの夜は何とか逃げられたのね」
「ああ、まあね。僕は足には自信があるんだ」と彼はとぼけて答えた。
「11階と12階がペレ先生のご自宅になっていて、毎週日曜日の午後にお茶の会が開かれるの。いわゆるサロンね。いろんな有名人が来るのよ。今日は誰に会えるかしら。楽しみだわ」とシャルロットが言ってエレベーターの最上階のボタンを押した。
 白いひげをたくわえたオーギュスト・ペレは思いのほか小柄な人だった。シャルロットの情報によれば「ちょうど60歳のはず」だ。
 ペレが「君はうちの学生だって? ちゃんと授業には出ているのかな。見覚えがないぞ」と言ってニヤリと笑うと、井上は「一度も欠席したことはありません」と直立不動で答えた。
 カンヌの伊庭家と似た造りの広い居間が奥まで続いている。部屋のあちらこちらに10人余りの人影が見えた。
「先生、私は井上の友人で日本から来たシローと申します。先生はなぜ鉄筋コンクリートの技法を採用されたのですか」と紫郎が言った。
「ほお、君も建築を勉強しにきた留学生かな? ずいぶん率直な質問だね。もはや誰も尋ねなくなった質問だが、そこに本質があるともいえるな。コストが安い、建設の時間が短縮できる……。まあ、そういう理由もあるんだが、石を積み上げる建築とは違った可能性を追求できると考えたんだよ」
 ペレは左手でひげを触りながら、ゆっくりと話した。日本人にも聞き取りやすいようにという配慮だったかもしれない。
「どんな可能性でしょう。鉄筋コンクリートでも美を実現できる。そういう意味でしょうか」と紫郎が畳みかけた。
「ほお、君はなかなか良いことを言うね。どんな可能性……か。そこを考えるのが建築家の仕事であり、醍醐味でもあるんだよ」とペレは禿げ上がった頭を右手でこすりながら言った。
「おやおや、ずいぶん楽しそうな話をしているねえ」
 横から目の大きな白人の老紳士が話に加わってきた。後ろに控えているのは奥方だろう。この太い眉毛の老紳士、見覚えがある。紫郎は必死に思い出そうとした。
「あら、あなたは先日の……。教会でお目にかかりましたね」と奥方が口を開いた。
「ええっと、ああ、はい。ドラクロワの大きな絵のある教会で……」
 思い出した。サン=シュルピス教会でガマガエルたちを欺いてくれた老夫婦だった。
「おお、あの時の青年ですか。無事に逃げられたようですね」と老紳士が言った。
「は、はい。お陰さまで……。ありがとうございました」と紫郎は深々と頭を下げた。
「ポール、君たちは知り合いだったのか」とペレが老紳士に訊いた。
「一度会っただけだよ」と老紳士は応えた。
「シローはヴァレリー氏とお会いしたことがあるのね?」と横からシャルロットが驚いたように尋ねた。
「ヴァレリー氏って、あのポール……?」
「まさか知らなかったの?」とシャルロットが笑った。
 紫郎はあわてて頭を下げて「ポール・ヴァレリー先生とは存じ上げず、失礼いたしました。あなたの講演録を読みました。あ、あの、マグロの血が地中海に……」としどろもどろになった。開け放たれた窓からエッフェル塔の優美な姿が見えることに今ごろ気づいた。

フランスの詩人、作家のポール・ヴァレリー(1935年2月、自身のオフィスで)。ヴァレリーは1871年生まれ。45年に73歳で死去した。

「おお、あれを読んでくれたのかい。それは光栄だねえ。そういえば、さっき君は鉄筋コンクリートでも美を実現できるかと言っていたね。まさに、それを実現したのがオーギュストの画期的なところさ。機会があれば、ル・ランシーの教会を訪ねてみるがいい。彼は鉄筋コンクリートという手法を使って、あの厳粛な空間をつくり上げたのさ」とヴァレリーは感慨深そうに言って「座ってゆっくり話そう」と紫郎を促した。
 井上とシャルロットが紫郎の両隣に腰かけ、向かいのソファーにヴァレリー夫妻とペレが座った。知らぬ間に7、8人の老若男女が彼らの周りに集まり、耳を傾けていた。
「つまり近代的な手法と伝統的な美の規範は同居できるということですか」と紫郎は訊いた。
「ははは。聞いたか、オーギュスト。この日本の青年の問いかけを。素晴らしい。こいつは愉快だ。『最大の自由は最大の厳格より生まれる』。ある本に私はそう書いた。シロー、君はこの意味が分かるかな?」とヴァレリーが訊くと、周囲の紳士や淑女たちの視線が紫郎に集まった。
「日本には俳句という非常に短い定型詩があるのをご存じでしょうか。五七五の17音だけを使い、さらに季語という季節を表す決まった言葉を入れなくてはなりません。つまり厳格なルールに縛られているわけですが、松尾芭蕉という俳句の名人はその制約の中で、無限の広がりを持つ名句を次々と生み出しました。もし五七五のルールがなかったら、芭蕉の作品はつまらないものになったかもしれません。先生のお言葉を聞いて、私はそんなことを考えました」と紫郎は一気に言った。普段よりフランス語がすらすらと出てきた。
 周囲から感嘆の声が上がった。ヴァレリーとペレは顔を見合わせて笑っている。
 こんなサロンが東京にあればいい。自分がサロンの主人になって、異国からやってきた若者の考えを聞いてみたい……。紫郎はそんなことを考えていた。芸術談議は延々と夜まで続いた。

村井邦彦(Photography by David McClelland)

■村井邦彦(むらい・くにひこ)
1967年ヴィッキーの「待ちくたびれた日曜日」で作曲家デビュー。1969年音楽出版社・アルファミュージックを設立。1977年にはアルファレコードを設立し、荒井由実、YMO、赤い鳥、ガロ、サーカス、吉田美奈子など、多くのアーティストをプロデュース。「翼をください」、「虹と雪のバラード」、「エメラルドの伝説」、「白いサンゴ礁」、「夜と朝のあいだに」、「つばめが来る頃」、「スカイレストラン」ほか、数多くの作曲を手がけた。2017年に作家活動50周年を迎えた。

吉田俊宏

■吉田俊宏(よしだ・としひろ)日本経済新聞社編集委員 
1963年長崎市生まれ。神奈川県平塚市育ち。早稲田大学卒業。86年日本経済新聞社入社。奈良支局長、文化部紙面担当部長などを経て、2012年から現職。長年にわたって文化部でポピュラー音楽を中心に取材。インタビューした相手はブライアン・ウィルソン、スティーヴィー・ワンダー、スティング、ライオネル・リッチー、ジャクソン・ブラウン、ジャネット・ジャクソン、ジュリエット・グレコ、ミシェル・ペトルチアーニ、渡辺貞夫、阿久悠、小田和正、矢沢永吉、高橋幸宏、松任谷由実ほか多数。クイーンのファンでCDのライナーノーツも執筆。

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