EMI Records 渡辺雅敏氏に聞く、RADWIMPSが特別なバンドであり続ける理由

EMI渡辺雅敏氏に聞く、RADWIMPSのすごさ

 昨年11月にメジャーデビュー15周年を迎えたRADWIMPS。彼らのノンフィクション本『あんときのRADWIMPS ~人生 出会い編~』が2月15日に刊行された。著者はユニバーサル ミュージック合同会社 EMI Recordsの渡辺雅敏氏。CDショップの試聴機で彼らのインディー時代の音楽に出会って以降、その活動を長く見守ってきた人物だ。当初は宣伝スタッフとして携わり、現在ではRADWIMPSのレーベルヘッドとして音楽面全体を管轄している。

 そんな渡辺氏によって書かれた本書はバンドをめぐるノンフィクション本であり、RADWIMPSの音楽性の変化を丹念に読み解いた一級の音楽評論書でもある。バンドが青春時代をどう過ごし、表現者として困難をどう乗り越え進化してきたのか。同志としての熱量と一人のミュージックマンとしてのプロの視点をもって描かれるバンドの歩みは、RADWIMPSと彼らが生み出してきた作品への理解が一層深まる貴重な資料となるはずだ。

 今回リアルサウンドでは渡辺氏にインタビュー。本書の話を軸にRADWIMPSというバンドの特異性についてじっくり話を聞いた。(編集部)

綺麗事だけを書いてもRADWIMPSの姿にならない

『あんときのRADWIMPS:人生 出会い編』
『あんときのRADWIMPS ~人生 出会い編~』

――本書を読んで何よりも驚いたのは、描写の生々しさです。バンドが危機にあった時期についても、踏み込んで書かれているのが印象的でした。執筆にはかなり時間がかかったそうですが、どういうプロセスでこのような筆致に至ったのでしょうか。

渡辺:書き始めたのは7、8年前なんですけど、やっぱり文章のプロではないから長い文章を書くのが辛くて、途中で書くことを辞めてしまったんですね。いつまで経っても書かないから締め切りを設けないと、ということで有料ファンサイトができたときに連載が始まり、そこからようやく進み始めました。書いていて思ったのは、おっしゃるように綺麗事だけを書いてもRADWIMPSの姿にならないな、ということで。RADWIMPSというバンド自体が、傷ついたら傷ついたとそのまま歌うバンドじゃないですか。だから「メンバーは本当に良い人たちなんですよ」とだけ書いて出してもしょうがないし、こんなこと書いていいのかなっていうところまで書かないと、多分メンバーも「いいね」とは言わない。「なにかっこつけてんの?」とか言われちゃうんじゃないかなと(笑)。だからとことん行かないと、というのはありました。あとはRADWIMPSというバンドの持つドラマ性の部分ですよね。メンバーが喧嘩しているシーンなどは後から書き足したりしました。メンバーがなぜ休止したり脱退したりしたのかというのは、やはりその部分を書かないとわからないので。読み返して「これだとなんで桑(桑原彰)が泣いているのかわからないだろうな」とか(笑)。

――スタジオでのメンバーの緊張感のあるやりとりなども詳細に書かれています。古いエピソードだと14、15年前の出来事が書かれていますが、これはメモなどが残っていたのですか?

渡辺:メモは一切していないんですけど、覚えていたんです。バンドの中には高みを目指さず「仲良く楽しくやってこうよ」みたいな人たちもいます。それはそれでいいんですけど、バンドが高みを目指すってこんなに大変なんだなとRADWIMPSの横にずっといて思ったんです。だから洋次郎が他の3人を引っ張っていく姿がどれも印象に残っていて。上を目指すバンドはこんなことまでしなければいけないのかと常々思っていました。

――本書で描いているのは『アルトコロニーの定理』(通算5枚目、メジャー3rdアルバム・2009年3月発売)の頃まで、バンドの初期から中期にかけての時期ですね。『アルトコロニーの定理』を改めて聴くと、あの作品はやはり傑出していると感じます。バンドがバンドではない音を目指して到達した作品、と言いますか。私たちは成果物としての音楽に接することができますが、本書を読むと、完成までの背景にここまでのドラマがあったのかと。ギターの一つのフレーズを録音するためにスタジオで何日も費やしたりと、まさに格闘ですよね。

渡辺雅敏氏(写真=三橋優美子)
渡辺雅敏氏

渡辺:そうですね。本当にあの作品はもう出ないんじゃないかと思ったし、出ても洋次郎のソロの作品になるんじゃないかと。日本中が次の新作を待ちわびている時にバンドがあんな状態になるとは。でもドラマチックだなとも思うし、あの時期があったからこそまた次のステップに進めたのかなと。『アルトコロニーの定理』って塵一つ落ちていないような感じのする作品じゃないですか。あの閉塞感も含めて、あそこを通らないと『君の名は。』のような作品には進んでいかなかったでしょうからね。

――『アルトコロニーの定理』の制作に取り掛かるまでは、RADWIMPSというバンドの青春時代でもあったと書かれていますね。

渡辺:青春時代ですね。最初は楽しくやっていたし、そのままそこにずっと留まることもできたんでしょうけど、彼らは高みを目指して留まらないという選択をしたので。そうなるとここまでやらなきゃいけないのかという。青春時代が終わり、戦争のような日々でしたね。

――その日々を、スタッフサイドは信頼して見守っていたと。

渡辺:「本当に終わんないよ、これ」とは思いましたね(笑)。でも、それでお尻を叩いたりしてもしょうがない。必死でもがいている人に向かって、何かこうしたら、ああしたらと言うよりは何も言わないで待つという選択でしたね。洋次郎も本の中の特別寄稿で書いてくれていたんですけど、他の方法があったのかもしれないけど、あの時はあれしかなかったんですよね。

『アルトコロニーの定理』

――なぜそういう判断になったのかというと、やっぱり渡辺さんの野田洋次郎の才能への惚れこみが大きいですよね。そこについてはかなりオープンに書かれています。アーティストのピュアな姿についてはファンも知る機会がありますが、レコード会社やマネジメントのスタッフが同じように音楽に向かっている部分はなかなか見えづらい。渡辺さんがドキドキしながらメンバーに会いに行く場面は特に印象的でした。

渡辺:やっぱり自分自身がファンじゃないと、リスペクトしていないとここまでできないっていうのはありますしね。幸せなことです。よく出会えたものだなとありがたいですね。ここまで続いて。

――改めてお伺いしておきたいのですが、渡辺さんにとって、野田さんはどんな存在でしょうか。

渡辺:アーティストとしてずば抜けてすごいということは思っています。歌だけでなくギターもうまいし、なんでもできてしまう。あと人間的にも素敵な人なんですよね。優しいし頭がいいし、いろいろなことを見てパパパっとできてしまう。人間的な魅力もあってアーティストとしての魅力もあるから、長く続いてきたんじゃないかなと。

――野田さんの優しさ、気遣いみたいなところは本の中にも出てきていますよね。渡辺さんも時々食事に誘ったり。

渡辺:そうですね。ただ彼の方が圧倒的に大人ですけどね。物事を見ている視点が違うので。

――あと野田さんは本質をグッと掴む力があるということもお書きになっていて、それも印象に残りました。私たちは完成した作品からそういうことを推し測るわけですけれど、渡辺さんが創作の現場を近くでご覧になっていて感じた彼の本質を掴む力というのはどんなものしょうか。

渡辺:制作ってどんどんのめりこんでいくんですよ。ドラムがちょっとでもずれていると気になったり、若いミュージシャンは全体を見失っていくことが多いんです。そうやってミクロから抜け出せなくなるものなんですけど、ミクロとマクロを行き来しながら判断していくのが洋次郎で、それがすごい。客観性ということもよく言っています。独りよがりになっていたらいけないから、自分で書いたものの客観性がどうなのかを見る。すごく勉強になりましたね。

――表現者が主観的に突っ走った場合、周囲のスタッフが客観的な意見を述べてバランスを取ることがありますが、彼の場合は客観性が内蔵されている。

渡辺:そうなんです。だから周りの人をあまり必要としないというか(笑)。自分で全部判断できてしまうのですごいですよね。

――なるほど。野田さんを表現に駆り立てたものについてもお聞きしたいです。RADWIMPSは元々すごくいい友達どうしであり、仲間じゃないですか。4人が笑い合っている姿は本の中でも印象的なシーンでした。この光景を壊したくないとみんなが思っていたはずですが、音楽で高みを目指す中で、4人はすごい状況にまで行ったわけです。結果的に素晴らしい作品も出たけれど、何がそこまで彼を表現へ駆り立てたのでしょうか。

渡辺:やっぱりRADWIMPSを作って、4人の可能性みたいなものを信じていたんだと思うんですよね。自分一人でやってもいいじゃないですか。だけど4人とスタッフのことも含めて遠くへ連れていこうとするんですよ。全員一人残らず置いてきぼりにしないで高みを目指そうと。だからこういう風な考え方をした方がいいとか、事務所にもこうした方がいいとか、よく言うんですけど、みんなで高みを目指すというのが彼の本質的なものとしてあるんだと思うんですよね。

渡辺雅敏氏(写真=三橋優美子)

――「アーティストもいろいろな人がいて、自分の好きな音楽をやるのが最優先で、自分を曲げてまで売れなくていいって言う人もいる。極端な人はどんなことをしてでも売れたいって言うし、モンスターのようになりたいって言う人もいるの。洋次郎はどっちのタイプ?」という渡辺さんの問いかけに対して、野田さんが少し考えて「自分は曲げたくないけど、モンスターがいいな」と答えるシーンがあります。あれは結構重要な発言だと感じます。

渡辺:そうですよね、本当にモンスターになってしまったので(笑)。

――仲間と良い関係を保ちつつ、良い音楽を続けていくという考え方も、音楽表現の一つの理想ではあります。しかしRADWIMPSはそこにとどまらず、J-POPの市場の中で戦って、すごい存在になっていく。その判断は彼の中に割と早い段階であったのでしょうか。

渡辺:「モンスターがいいな」と言ったのは19歳の時ですね。ただ「ロックで金持ちになりたいんだ」ということではないんですよ。世の中に大きな影響を与えるような、表現者として上にいきたいと思いがあったんでしょうね。なぜそんなことを19歳が思ったのかまではわからないですが。

――彼の決意みたいなものを聞いた時、どう感じましたか。

渡辺:最初に音を聴いた時から歴史が変わると思ってやっていたし、ものすごいことになると思いながら19歳の彼を見つめていたので当然そうなるだろうと。でも、なった後にいろいろなことを全部背負うことになるので彼自身が大変になるだろうとも思っていました。バンドが売れるということはレコード会社の予算とかそういうものも背負わされるということでもあるので、レコード会社からは守ってあげなきゃいけないなと思ってましたね。

――なるほど、バンドには音楽産業的な側面からの期待ものしかかってくる。

渡辺:『アルトコロニーの定理』が出るまでの3年間沈黙している時も、会社が出せ出せというところを「まぁまぁ」となだめていましたし。

――レコード会社のスタッフとしてアーティストと関わる際、活動方針に介入していこう、あるいはバンドに寄り添っていこうなど、いろいろな考え方がありますよね。RADWIMPSについてはどのような形で関わっていったのでしょうか。

渡辺:初期の頃はプロモーション担当だったので宣伝などに関しては口を出していましたが、制作に関しては会社の希望がメンバーに入らないようにしていました。純粋に制作に集中してもらった方が良いと思ったので。だから良い会社員ではないんですよね(笑)。ただ、まわりまわって結果的に会社の利益になればという思いではやっています。

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