EMI Records 渡辺雅敏氏に聞く、RADWIMPSが特別なバンドであり続ける理由
野田洋次郎の表現には嘘偽りがない
――でもよく考えてみると、メジャーデビュー作『RADWIMPS 3~無人島に持っていき忘れた一枚~』(通算3枚目・2006年2月発売)が20歳、『アルトコロニーの定理』の頃が23歳。RADWIMPSは現代ではかなり早熟なバンドで、The Beatlesのように若くして凝縮されたキャリアを歩みましたね。
渡辺:確かに。その分どんどん良い意味で熟成していくというか。ただ、あまり若いという感じはしなかったですけどね。その頃にはバンドの規模としても随分大きくなっていましたから。アリーナクラスのライブもどんどんやっていましたし。
――なるほど。本書ではその若いメンバー4人の関係の変化も、非常に大きなトピックです。微妙なやり取りをふくめ、渡辺さんでないと書けなかったものかなと。
渡辺:たとえば桑が辞める・辞めないの話もありましたけど、洋次郎は「バンドのメンバーは自分が考えたフレーズがレコーディングされることが幸せなんだ」と思っていたんですよ。ただ桑にとってみればそうではなくて「洋次郎の横でギターを弾ければいい」ということだった。そこだけなんですよね。でも「お前なんでフレーズ考えてこないんだ」と怒られてすれ違っていくんです。でも、考えろ考えろと言われて考えるようになって、桑は『君の名は。』劇伴では何曲か作曲するわけですから。洋次郎お父さんのおかげなんですよね(笑)。
――それぞれのメンバーも成熟していったと。
渡辺:「じゃあお前は俺の横でギターだけ弾いてろ」となっていたらできなかったわけですから。武田にしてもそうですね。洋次郎がメンバー全員を高みに連れていったからそこまで行くことができた。今ではPro Toolsを使って全員が作曲できるようになりましたからね。
――野田さんが先行してPro Toolsをマスターして、その後ですね。今回の本は『アルトコロニーの定理』の後に新たなデモテープを作ったところで幕を閉じていて、新しいバンドの関係性が示唆されて終わっています。この先の物語も今後また書かれていくんでしょうか。
渡辺:ここに書かれているのは中期までなので、書き始めなきゃいけないなと思っています。『アルトコロニーの定理』を作ってバンドが変質してしまって、もう一回ゼロに戻って『絶体絶命』に向かっていく。それでもう一回4人でバンドをやるんだというところで明るく終わるのですが、この後に『絶体絶命』から震災の時期があるんですよ。RADWIMPSを物語で考えた時にやっぱり震災と(山口)智史の病気の問題がものすごく大きい。書くのは大変そうですが、『絶体絶命』を出して震災を潜り抜けたバンドが、『君の名は。』を経て『人間開花』で『Human Bloom Tour 2017』というものすごくカラフルなツアーをやる、その解体と再生の物語という形で上手く終わるといいなと考えています。
この本の後は、智史を中心にまたバンドが別の流れで一つになっていくんですよね、智史を気遣いながら。智史もそれに対して申し訳ない気持ちと嬉しい気持ちがあって一つになっているので、4人の関係性がアメーバみたいに常に変動していくという。僕はバンドしかやらないというわけではないんですけど、担当しているのはバンドが多いんです。バンドはどうしてもドラマチックなものを内包するというか、それぞれが持つ意識の差があっても、一つのものとして進んでいかなければいけないというのがすごくドラマチックですよね。その中である時はスタッフ全員がマネージャーのようになって面で接していく。バンドとそれを取り巻くチームはコミュニティというか、家族のようになるので、そういう関係性がこの本で伝わっていったらいいのかなと思います。
今思い出したんですけど、智史が辞める・辞めないで二人で話したときに「俺たち家族なんだから、家族に脱退なんかないんだよ。休めばいいんだよ」と言ったら智史が……あ、これも書くのを忘れないようにしよう(笑)。そういう感じですよね、家族って。まぁ10何年やってますからね。洋次郎も書いてくれましたけど、デビューからずっと同じスタッフというのはある種自家中毒を起こすかもしれないけれど、ある種幸せな部分もあるなと思っています。
――音楽業界で長く活躍されてきた渡辺さんですが、ご自身の中で影響を受けた仕事人の方、感銘を受けた方はいらっしゃいましたか。
渡辺:この間、田家秀樹さんのラジオに出させていただいたんですけど「こやっさん(東芝EMI在籍時代に氷室京介を担当していた子安次郎氏)みたいだね」と言われて。僕がずっと部下としてお世話になっていた方で、氷室京介さんを一緒に担当していたんですけど、いろいろ勉強させてもらいました。
――氷室さんも担当されていたんですね。
渡辺:こやっさんのアシスタントとしてですけどね。
――音楽ディレクターの石坂敬一さんもEMIにいらっしゃった頃ですね。ミュージックマンシップみたいなものは受け継がれてきたのでしょうか。
渡辺:先輩方がすごい方ばかりだったので、そういう方々の仕事を間近で見られたのはありがたかったですね。僕もなるべくいい先輩になろうと思ったりしたんですけど、でもまぁ手取り足取り教えるものではないから今は見て覚えてくれればと思っていますね(笑)。
――本書を読んで、レコード会社のお仕事はとても素敵だなということを改めて思いました。ミュージシャンを支え、一緒になって音楽を作っていく。しかもそれがRADWIMPSという強烈な才能だったというのもすごいところです。今後もバンドの物語が書き継がれていくと思うのですが、改めて渡辺さんにとってのRADWIMPSの一番のすごさとは。
渡辺:どこのバンドもそうだと思うんですけど、やっぱり野田洋次郎を中心に愛のコミュニティみたいなものができているところです。洋次郎の音楽が盲目的に好きだというメンバー3人がいて、その3人に洋次郎がすごく支えられているから自信になるわけですよね。その周りにRADWIMPSの音楽が好きなスタッフがいて、その周りにRADWIMPSを愛してくれるファンの人たちがいて。だから不純物がない。中心からファンの人まで真っすぐに愛が行き渡っている感じがすごくいいなと思いますね。純度の高いまま10何年やってこれたのはすごくいいなと。ファンの方も温かい人ばかりでありがたいです。何人かファンの人がライブ会場で僕に声をかけてくれたりするんですけど、ファンの人たちとも絆で結ばれている感じ。仲間という意識は強いですよね。だからファンの人が嫌がることはしないようにということはすごく考えています。メンバーももちろんそういうことはしたくないですし。ファンの代表としてメンバーに接するように心がけている時もあります。
――野田さんは愛の人であり、論理の人でもある。そこがリスナーとしては興味が尽きない部分でもあります。
渡辺:最近言わなくなったんですけど、洋次郎が10代、20代前半の頃は常に”死”があったんですよね。この本にもあるんですけど、そこまでしないとだめなのか、そこまで言わなくてもいいんじゃないかっていうところまで表現する。そうしないと、本当のことじゃないと届かないという思いがあるみたいで、逆に僕には十字架を背負っているように見える時もあるんです。もっと気楽にやってもいいんじゃない? と。そういうことで物事を届けようとする人なんだと思うんですよね。だからこそ支持される。嘘や不純物がないから本当に腹が立ったら「腹が立った」という曲を出しますからね(笑)。
――確かに。
渡辺:嘘偽りがない。誰しも普通どこかで噓偽りがあるものなんですよ。でもアリーナなどの大きな会場でライブをやる時って、ちょっとでもかっこつけようと思うと全部バレるんですって。ひたむきな目が何万人って自分を見ているから、素っ裸で全部見てと言わないと届かないと。それで段々加速していったような気がするんですよね。そのままの自分をさらけ出さないと届かないという、祈りのようなその姿勢が。
――大きい会場でライブをやることによって、表現を突き詰めていった面もあると。
渡辺:スタジアムの時には「あの場は尋常な場所じゃないから普通のモードでは立てない」と言っていることもありましたね。
――その突き詰めたところがロジカルに見えるということなんでしょうか。無駄がないというか。
渡辺:ただ非常にロジカルな人ではありますよ。あまりにロジカルだから他の3人が論理的に説明できないと苛立ってくるわけです。だから僕もなるべく論理立てて話さないと「あれ? この間はそんなこと言ってなかったよね」「あ、そうだったっけ」みたいなことになってくるので大変ですね(笑)。
■書籍情報
『あんときの RADWIMPS 「⼈⽣ 出会い」編』
著者:渡辺雅敏 出版社:⼩学館
定価:本体 1,700 円+税
四六判簡易フランス装・320 ページ
2⽉15⽇(月)発売
⼩学館WEBサイト