アユニ・D×田渕ひさ子×毛利匠太が語る、高まっていくPEDROの結束 初の武道館へと向かうそれぞれの胸の内

アユニ×田渕×毛利が語るPEDROの結束

 2月13日、日本武道館にて初の単独公演を開催するPEDRO。BiSHのアユニ・Dによるソロバンドプロジェクトは、大きな反響を巻き起こしながら、精力的な活動を繰り広げている。

 コロナ禍が続く中で、昨年3月から予定していた『GO TO BED TOUR』は全公演中止になり、6月にはそのファイナル公演を予定していた新木場STUDIO COASTにて無観客ライブ配信が実現。8月には2ndフルアルバム『浪漫』をリリースし、9月からは全国9都市を回る『LIFE IS HARD TOUR』を開催。イベント開催制限ガイドラインに沿って、通常のキャパシティから抑えた動員で有観客のライブが行われた。

 そして2021年になり、2月10日にはLINE CUBE SHIBUYAにて開催されたツアーファイナル公演を収録した初のライブ映像作品『LIFE IS HARD TOUR FINAL』、さらにニューシングル『東京』がリリースされる。まさに「転がり続ける」バンドのドキュメントを刻み込んできた昨年を経て、大きなターニングポイントを迎えた2021年、PEDROはどこに向かうのか。アユニ・D、田渕ひさ子、毛利匠太の3人に語ってもらった。(柴 那典)

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「目の前にお客さんがいることに泣きそうになった」(田渕)

ーーまずは2020年を振り返った話を聞ければと思います。大きな状況の変化がありましたが、アユニさんはどんなことを感じたり、考えたりしていましたか?

アユニ・D(以下、アユニ):コロナ禍のこういう状況になってライブがなくなってしまって。それは本当にもどかしいし、悔しいし、悲しいし、寂しいしっていう感じでした。BiSHのライブもなくなってしまったし、PEDROとしてもライブの場数を全然踏んでいなかったので、ライブがしたいというのが一番大きかったです。でも、なくなってしまったツアーファイナルの新木場STUDIO COASTで無観客生配信のライブをできた。それも私だけがやりたいと思ってたんじゃなくて、PEDROチームもそう思ってくれてたのがすごく嬉しかった。勇敢なスタッフの方々が支えてくださって、いろんなことに気付くことができた1年だったと思います。

アユニ・D

ーー9月からは全国9都市を回った『LIFE IS HARD TOUR』も開催されましたが、お客さんを入れてのライブはどういう経験でした?

アユニ:最初はツアーも中止になるかならないかの瀬戸際だったんですけど、いろんなルールを決めた中で開催することが決定して。それも1日2公演だったり、お客さんがマスク必須で表情が見えなかったりとか、いろいろ難しいところがあって、私達も最初は手探りでした。でも、私は無観客状態で目の前に受け取ってくれる人がいない状況でライブをするのが、やっぱり心から楽しいとはあまり思えなくて。だから目の前にお客さんがいて、声を出せなくても、喋れなくても、同じ場所で同じ音楽を共有して、こっちが投げたものを受け入れてくれてる空間がすごく幸せでした。

PEDRO / 浪漫 [LIFE IS HARD TOUR FINAL] @ LINE CUBE SHIBUYA

ーー田渕さんにとっては、2020年はどういう1年でしたか?

田渕ひさ子(以下、田渕):私は他にもいくつかバンドや活動があったんですけど、動いているのがPEDROしかない、みたいな感じになってしまって。PEDROでは無観客ライブをしたり、音源を作ったり、ツアーをできたりしたんですけど、それがなかったら何もない1年だったかもしれなくて。そういう大変な世界の中で自分もいろいろ見つめ直すこと、いろんな心の揺れがありつつ、それを音楽としてアウトプットできる場があったことが本当に幸せだったなと思います。

ーー昨年3月にはNUMBER GIRLの無観客ライブがありましたが、それ以降はPEDRO以外でステージに立つという機会はなかったと。

田渕:なかったですね。私ぐらいの年代になるともうみんな急いでなくて、音源を頻繁にリリースするというようなスピード感もなくて。なので、自分は音楽をやっていられて本当によかった。私は無観客でもメンバーと向き合ってがっしり演奏するのを楽しめるほうなんです。NUMBER GIRLはそういう感じで、大好きなメンバーと音を出すことに意識を集中する感じでやれるんです。でもやっぱり、目の前にお客さんがいるっていうことに改めて感謝があって。泣きそうになりました。

ーーこれまで観客がいるのが当たり前でしたからね。

田渕:もちろんバンドが全く売れてないときには、壁づたいに何人かしかお客さんがいないライブもありましたけど、それとは全然違いますし。本当に「この人たちがいてくれてこそ!」という感謝の気持ちがありました。「こっちが勇気をもらう」って毛利さんもTwitterでつぶやいていて。その通りだなと思いました。

田渕ひさ子

ーー毛利さんはどういう実感がありました?

毛利匠太(以下、毛利):そもそも僕自身、ちゃんとしたライブ経験がPEDRO以外ほとんどなかったので、一つ一つのライブが楽しみだったんです。でも、コロナ禍で唐突にいろんなことができなくなって、そのショックはやっぱりありました。そういう中で迎えた無観客ライブは、初めての体験で不安はあったんですけど、画面越しに見てくださってる方がたくさんいるのを演奏中に感じて。目の前にお客さんがいないのはもどかしかったですが、新しい一つの形としてやれた実感はありました。で、僕自身もともとライブによく行っていたので、「ライブに行けなくなってつらい」という気持ちもあって。いざ秋のツアーが始まったときには、PEDROを観に来てくれたお客さんにもそういう方がたくさんいたんじゃないかと思いました。ライブに行けなかった半年間、それぞれの人がそれぞれに生きてきて、今待ち遠しくなったライブに来てくれてるという。その状況が自分にとってありがたかったし、そこもまた勇気をもらえた。お客さんが声を出せない状況の中でも、ステージ上と客席で繋がれるものはあったように思います。

ーー『LIFE IS HARD TOUR』は1日に2公演というのもあって、体力的にも相当シビアだったんじゃないかと思うんですが、そのあたりはどうでした?

アユニ:体力的にはキツかったですね。1日40曲以上やることになるし、連日ライブの日もあったんで2日で80曲という時もあって、すごかったです。みんなボロボロだったと思うんですけど、私は身体的にキツいと精神的にもどんどんダメになっちゃって。でも、PEDROとして一緒にツアーを回っていて思ったのは、2人とも嫌な顔もしないし、弱音を吐かないし、疲れた姿をあんまり見せないんです。だから人間として尊敬しました。それは大きかったです。

ーーアユニさんは心が折れたりした?

アユニ:そうですね。勝手にダメになって、不機嫌になってしまったりして。精神的にもサポートされてるし、音楽面でもサポートされてるし、助けられてばかりだなって思います。

ーー毛利さんからは、アユニさんやバンドの感じはどう見えていました?

毛利:僕はドラマーなんで、後ろからフロントに立つ2人を見ている立場なんです。でもアユニさんは目の前にお客さんしかいないわけで、そういう人ならではのつらさは絶対にあると思うし。だからこそ、ステージ上でも後ろから背中を押してあげたいという気持ちは常々ありました。僕からは、アユニさんが不機嫌そうに見えたことは全然なくて。むしろ、僕からすればそんな顔を一切見せずに頑張ってる印象がありました。ツアーを通してPEDROの3人の仲も良くなったし、こっちが助けてもらった部分もすごく多いと思います。

毛利匠太

「武道館に見合うだけの演奏家・人間にならないといけない」(毛利)

ーー田渕さんはどうですか。以前もツアーをすることでバンドの結びつきが増していくとおっしゃっていましたが、昨年はその実感も大きかったんじゃないかと。

田渕:そうですね。やっぱりこういう状況の中でやるんで、一人ひとりの緊張感もすごくあったと思うし、お客さんが声を出さない状態でやるとか、いろんなことが初めての体験で。しかも1日2公演で、それが倍速で進んでいくみたいな。アユニさんはボーカルだし、お客さんに対して一番前に立ってないといけない立場だし、本当に大変だろうなって思います。私はずいぶん年上なのに、もうちょっといいアドバイスとか、年上らしいことができないものなのかって思っちゃいました。2人は限界にきても底力みたいなのが出てくるんです。なのに私はもう疲れていくばかりで......(笑)。

ーー(笑)。2月13日には武道館でワンマンライブ『生活と記憶』が開催されます。まず、それを最初に知ったときの皆さんの第一印象は?

アユニ:私は、それこそPEDROのツアー中、新潟で知らされたんです。3人で呼び出されて、そのときは衝撃と興奮と戸惑いで、ひさ子さんと一緒に膝から崩れ落ちました。個人的にはずっと憧れていたステージだったんですけど、現実に私が立てるとは思ってなくて。だからそんなステージにPEDROとして立てると知ったときは、嬉しかったですけど、喜びの後に恐怖と焦りの感情がすぐに襲いかかってきました。

田渕:私も震えましたね。子供の頃から武道館公演が特別なものっていうのは刷り込まれているわけで。

毛利:僕も「あの武道館ですか?」っていう感じでした。高校に入ったばかりのときに初めてライブを観た場所が武道館だったんですよ。その記憶もあったんで、そこに立ってる自分が想像できなかったですが、そこに立てるワクワク感もありました。同時にそれに見合うだけの演奏家、見合うだけの人間にならないといけないなと思いました。あと、僕はPEDROではサポートの立場でやらせてもらってるんですけど、自分のやってるバンドもあって、そのメンバーより先にPEDROで立つということに多少複雑な感情はあって。だからこそ、もっと頑張らなきゃっていう気持ちになりました。

ーー新曲の「東京」と「日常」についても聞かせてください。これは武道館公演が決まった後に作ったものなんでしょうか?

アユニ:そうですね。「東京」のデモは前からあったんですけど、ずっと何を書いていいかわからなくて。ちゃんと制作を始めたのは武道館が決まってからです。「武道館で歌いたい歌って何だろう」と考えたときに、やっぱり自分にとって嘘のない言葉、自分の人生を振り返ってみて経験したことや思ったことを書きたいと思って。そこから「自分の意思で一番初めの一歩を踏み出したのはいつだろう?」と考えたら「あ、上京だな」って。いろんな人に出会って、いろんなことを経験して、自分の世界が広がったり革命的な出来事がたくさん起こったりしたので。そういう経験をさせてくれた東京という場所について書きたいなと思って、タイトルを「東京」にしました。

ーーこれまでもいろんなバンドが「東京」というタイトルの名曲を作ってきましたが、そういうことは意識しました?

アユニ:そうですね。PEDROを始めるって決まったときに、「バンドをやるんだったらいつか絶対『東京』っていうタイトルの曲を出してやるぜ」と思ってて。いろんなバンドの「東京」っていう名曲があるから、PEDROとしても大きなターニングポイントの武道館が決まって、ここで書くしかないだろうと思って書きました。

ーーアルバム『浪漫』を経て、書けることの幅が広がってきた実感があったからこそ、というところもあるんじゃないでしょうか?

アユニ:そうですね。昔の自分、特にBiSHに入る前の自分だったら絶対にこの言葉は書けないと思います。変わってない部分もたくさんあるんですけど、自分がいろんなことに気付けるようになってどんどん変わっていった自覚はあるんで。それは歌詞の部分でも大きいと思います。

ーー『浪漫』の「生活革命」のような曲もそうですけど、「東京」も今の自分をちゃんと肯定してあげる歌ですよね。それはかつての自分にはできなかったことなんじゃないかと想像しますが、いかがでしょう?

アユニ:本当にそうだと思います。昔は自分のことが嫌いだったし、自分の過去も嫌いだったんで。でも、BiSHに入ってPEDROを始めてから、自分が大好きなものや大好きな人に出会えて、過去の自分が死なないでいてくれたから今の自分がいるっていうことに気付いて。私は今まで人に愛されてこなかったと感じていたんです。でも、それは自分が人を愛してこなかったからだった。そもそも、その前に自分が自分を愛してあげなきゃ何も意味がないし、だから自分が自分のことを肯定してあげなきゃダメだなって気付いて。そこから、自分で自分を肯定するような言葉をたくさん書くようになりました。

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