菅田将暉、上白石姉妹、池田エライザ……俳優がシンガーとしても求められる理由 ミュージシャンでは出せない歌の持ち味
楽曲提供のアーティストも豪華
「俳優歌手」のパーソナリティや新たな一面を引き出す上で重要なのは、やはり楽曲だ。ちなみに楽曲提供をしているアーティストの面々もとても豪華。
2019年3月に歌手デビューした高橋一生の曲「きみに会いたい-Dance with you-」は、エレファントカシマシの宮本浩次が作詞作曲。アクティブなダンスチューンで、宮本がバックコーラスとして参加している部分は特に聴きごたえがある。ミュージックビデオでは、ギターを弾きながら熱唱する高橋が映し出されており、俳優時とはまた違った色気が漂っている。
菅田将暉とCreepy Nutsによる「サントラ」は、筆者が2020年のJ-POPシーンでもっとも高く評価している楽曲だ。俳優とミュージシャンという仕事が意味するもの、それぞれの現場の光景や取り組み方、そこから生まれる葛藤や苦悩、未来像。菅田は自分の感情を何かにぶつけるように歌い、R-指定も菅田の想いに呼応する。DJ松永のプレイも勢いにあふれている。歌詞についても非常に理知的なのだが、そういったロジカルな部分を忘れてしまうくらいエモーショナルな楽曲で、なおかつ俳優、ヒップホップユニットとしてのそれぞれの存在感が際立っている。
菅田といえば、米津玄師とのコラボレーションも有名だ。米津は、2018年3月8日放送『news zero』(日本テレビ系)のなかで、「デュエットという形で曲を作り、音楽家として違うところにいけたような気がした」と菅田との共演について振り返っている。
米津はかつてハチ名義でボカロPとして活動し、自作曲をボーカロイドの声に託していた。しかし、2010年代でもっとも重要な役者のひとりである菅田将暉の声と身体を通して、「灰色と青(+菅田将暉)」(2017年)という傑作曲を生み、「まちがいさがし」(2019年)をプロデュースしたことは、米津のヒストリーと菅田の肉体性の関連をまじえてじっくり考察したくなる。
菅田将暉の曲は、彼が歌うことで成立できるものばかり
ただ、「俳優歌手」がクローズアップされつつあるなかで、知名度や話題性に頼り、「一定数売れるから」という感じで人気俳優を歌手デビューさせ、またアーティストが本人と何の脈絡のない楽曲を提供することだけは避けてほしいところだ。
楽曲を提供するアーティストたちは、歌い手となる俳優たちをリサーチすることが大切だ。どんな考え方をしているのか、どのような現状なのか。場合によってはそれまでの出演作、芝居を見ることも必要になるだろう。自分自身の音楽の世界観を発揮しながら、しかしあくまで自分が歌う曲ではないので、本位的になりすぎず、俳優のイメージに寄り添って曲を作る。むしろアーティストの方が演技をする感覚でその俳優になりきって、曲を作っていかなくてはいけないのでは。
先述の米津は、映画やドラマでいうところのアテ書きのような形で菅田のために曲を作ったそうだ。米津は、菅田の人物的に興味を抱き、また自分では出せない声に着目し、「菅田将暉じゃないと歌えない曲」を書き上げた。そういった過程のなかで米津自身「音楽家として違うところにいけた」と進化を実感できたのだ。Creepy Nutsとの「サントラ」も然りだが、菅田の曲の多くは、彼が歌うから成立する要素が強い。
清原果耶の「今とあの頃の僕ら」も見事である。清原演じる主人公の名前がつばめで、映画では空を見上げる場面が象徴的に登場する。作詞作曲のCoccoは、劇中の清原の演技とつばめのイメージを、楽曲に丁寧に落とし込んだ。「空」「鳥」「星」といったワードも散りばめて、清原が歌う意味をしっかりと含めた。
俳優たちはおそらく、たとえどんな曲であっても、その世界観をうまく演じることができるだろう。でも私たちが聴きたいもの/見たいものは、音楽を通して浮き出てくる素顔や新しい顔だ。歌で本音を聴かせてほしい。それが「俳優歌手」に期待することである。
■田辺ユウキ
大阪を拠点に、情報誌&サイト編集者を経て2010年にライターとして独立。映画・映像評論を中心にテレビ、アイドル、書籍、スポーツなど地上から地下まで広く考察。バンタン大阪校の映像論講師も担当。Twitter