Perfume、BABYMETAL、ももクロ、ZOC……アイドル×ミュージシャンによる“クロスオーバー”の歴史

21世紀のクロスオーバーの形:(1)Perfume

 1990年代にアイドルブームは一時衰退します。しかし、1990年代後半にSPEEDが活躍して以降、ダンス&ボーカルグループという形でティーンズ女子によるグループが続々とデビューを果たし、その後のアイドルグループ全盛期の萌芽となります。

 エイベックスが主導する「Girl's BOX」とアミューズ所属のグループを集めた「BEE-HIVE」のふたつのプロジェクトに属していたダンス&ボーカルグループが当時の中心でしたが、「Girl's BOX」所属グループがエイベックスのマネジメント部門に所属する専業の作詞家・作曲家をメインに起用する一方、「BEE-HIVE」に所属するグループは積極的に外部ミュージシャンの起用を行います。

 1999年デビューのCOLOR(後にBuzy)は作詞に新藤晴一、作曲に本間昭光という、当時のポルノグラフィティのメインライティング担当のコンビに後期の楽曲のほとんどを任せます(ポルノグラフィティはアミューズ所属ですので、この起用は自然な成り行きと言えます)。2002年デビューのBOYSTYLEは、ザ・コレクターズの加藤ひさし、PLAGUESの深沼元昭、ザ・サーフコースターズの中シゲヲ等、多彩な外部ミュージシャンを起用し、バラエティに富んだ音楽性で活動を行います。

 一方、2003年デビューのPerfumeは、そのどちらでもない形をとりました。、2001年にヤマハからデビューしたばかりの新進気鋭のユニットcapsuleのコンポーザーである中田ヤスタカを起用し、全面的にサウンドプロデュースを任せるという、過去にあまり例のない手法での展開を始めます。過去には伊藤つかさをはじめとして、ミュージシャンがサウンドを全面プロデュースしている事例もありましたが、いずれもアルバム1、2枚程度のもの。また、宇崎竜童・阿木燿子と関係が深かった山口百恵も、他のミュージシャンの手によるシングルをリリースしていました。

 2003年から始まった若手ミュージシャンによるアイドルグループの全面的・継続的なサウンドプロデュースという「クロスオーバーの実験」は果たして大成功を収め、今もその関係性は継続しています。

21世紀のクロスオーバーの形:(2)BABYMETAL

 運営が明確にジャンルと世界観を定義したうえで様々なミュージシャンを招聘する形で「クロスオーバー」を行って成功を収めた事例は、BABYMETALによるものが圧倒的な代表例として挙げられます(1980年代後半から1990年代初頭には、ソロデビューした渡辺満里奈が運営チームとのコミュニケーションの結果、フリッパーズ・ギターを作詞作曲に迎えるといった「渋谷系」と呼ばれるムーブメントにも繋がる楽曲群をリリースしていましたが、BABYMETALほど徹底したジャンルと世界観は構築されていませんでした)。

 BABYMETALは当初、アミューズ所属のアイドルグループ、さくら学院内の部活動「重音部 BABYMETAL」として活動を開始しました。さくら学院本体がユニバーサルにレーベル移籍した後も、BABYMETALだけはトイズファクトリーに残留し、独立した活動体制に移行しました。活動初期はアイドルポップスをメタル側に寄せたサウンドでしたが、徐々にメタル色の強い方針へと活動を更新していきます。そして間違いなくメタル的ではありながら通常のメタルとは明らかに異なる独自のスタイルで世界中で受け入れられるほどの存在になりましたが、グループ結成から一貫してそのコンセプトを担ってきたのが、アミューズ所属のプロデューサー、KOBAMETALでした。

 彼自身が作家として携わった楽曲は彼女たちの楽曲のほんの一部に過ぎませんが、2010年の結成から主導し、継続してその運営の方針の策定・実行を行うとともに、己の「メタル」観に沿って、COALTAR OF THE DEEPERS/特撮のNARASAKI、AA=の上田剛士、ボカロP出身のゆよゆっぺ等、そのアイデアに合致した作家・ミュージシャンに楽曲を依頼し、その結果として全体としてブレのないBABYMETALのサウンドを提供し続けています。

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