さよならポエジー、“音楽だけ”を信じるピュアな空間 いつも通りに過去最高を更新した『BORDERLANDS』

さよならポエジーが、自主企画ライブ『SAYONARAPOESIE pre.「BORDERLANDS」』を東名阪のクアトロで開催。SuiseiNoboAzを迎えた名古屋公演、リーガルリリーを迎えた大阪公演に続き、ツアーファイナルの東京では、渋谷CLUB QUATTROでのワンマンライブが実現した。
定刻をやや過ぎた頃、前へ詰めてほしいというスタッフの声掛けと観客の協力により、約700名がフロアに収まったタイミングで、オサキアユ(Vo/Gt)、岩城弘明(Ba)、ナカシマタクヤ(Dr)がステージに現れた。歪むギターが開演を告げると、観客が「フゥ―!」とテンション高く声を上げる。1曲目は「絶滅の途中で」。このバンドの曲の中でもボーカルの音域が特に高い曲で、オサキが力強く張り上げた高音がフロアへと届けられた。ギター、ベース、ドラム、それぞれのサウンドにもエネルギーが漲っている。その一つひとつがオーディエンスをますます興奮させる。次の曲「頬」は、ギターリフとともにスピードにノリながら演奏。そしてテンポを落としつつ、ドラムのビートで曲間を繋げながら「ノースロート」へ……とまずは3曲が鳴らされた。

さよならポエジーが鳴らすのは、リフレインを主体とした滋味豊かなオルタナティブロックだ。ライブは音と佇まいのみで見せるスタイルで、MCで言葉を足して曲のメッセージや世界観を補強することはない。大切なことは曲が語っているから、自分たちはただ演奏するだけでいいのだと、おそらく本人たちも思っているのだろう。音楽家として理想的な状態だ。そんな彼らの作るライブには、紋切り型の盛り上がりの光景が存在しない。観客は、サビに限らず、オサキが咆哮のようなシャウトをかました時、このギターリフがたまらないと思った時、岩城のベースラインに「渋っ……」と唸りたくなった時、ナカシマのプレイをきっかけにバンド全体が燃えた時、3人で鳴らす間奏からバンドの呼吸を感じた時……本当にいろいろなタイミングで、好きなように盛り上がっている。心を動かされながら拳を上げている人。衝動を抑えきれずダイブする人。じっくり聴き入っている人。今初めて会った隣の人とガッツポーズを交わしている人。いろいろな人がいる。
以前、オサキが「好きな先輩バンドと打ち上げで一緒になっても、自分はあえて何もせず黙っている」「そこで音源を交換するのがセオリーかもしれないが、自分がいい音源を作っていいライブをやり続けていたら、いつかどこかで見つけてくれるはず」「そのタイミングを作為的に作りたくない」といった旨を語っているインタビュー記事(※1)を読んだ。その時に思ったのは、正直すぎるほどに不器用なバンドなんだなということ。バンド活動を続ける上でもっと上手くやる方法はいくらでもあるだろうに、そういうものに一切興味を持たず、自分たちの音楽だけを信じてやってきたんだなと思った。

そんなバンドのまっすぐな魅力に惹かれた人たちが、今、こうしてライブハウスに集まっているのだろう。自分たちの好きな音楽を、自分たちの好きなペースで。傍から見ればスローペースに見えるバンドの活動に対する自虐なのか、あるいは目の前の人たちに対する照れ隠しなのか、オサキはこの日のMCで「クアトロとかでやらんでいいバンド」「1年前にアルバム出して、今日まで何も成し遂げられなかったけど」などと言っていた。しかし、いつだって拡大・発展・成長を求められる空気に人々が疲弊しがちなこの時代に、こんなにも純度の高いライブ空間を生み出しただけでも大きな功績である。ファンはそれを一番に理解している。

そんな中、フロアの熱に気持ちがほぐれたのか、オサキはライブの折り返し地点で「体動かしてる人も、しっとり聴いてる人もいて、いいバンドやってるんだなって自分で思ったというか。引き続きよろしくお願いします」と観客に伝えた。この言葉はさすがに嬉しい。後半1発目に演奏された「拘束のすべて」はバンド、オーディエンスともに素晴らしい熱量だ。しかもそのあとは「ランドマークス」へ続く黄金の流れが用意されている。素直なオーディエンスは、喜びを抑えきれずにいる。