Perfume、BABYMETAL、ももクロ、ZOC……アイドル×ミュージシャンによる“クロスオーバー”の歴史

 先日、「『楽曲派』アイドル誕生から現在に至るまで」と題して、「楽曲派」と呼ばれるアイドルグループの歴史と現状について書きました(Perfumeの登場、BABYMETAL世界的ヒット……「楽曲派」アイドル誕生から現在に至るまで)。書くにあたって様々なアイドルや楽曲を挙げていった際に「楽曲派」という切り口以外で気になったのが、その「楽曲派」アイドルの多くが、専業の作詞家作曲家のみでなく、現役のミュージシャンから楽曲の提供を受けているという点でした。

BABYMETAL『METAL GALAXY』(通常盤 – Japan Complete Edition -)

 しかし考えてみると、一般的に「楽曲派」と呼ばれるグループ以外でも、現役ミュージシャンの楽曲提供を受けているアイドルもいますし、「楽曲派」の話とは異なる部分は多分にあるため、登場するアイドルグループは近しくてもこの切り口で改めて考えてみたいと思いました。

 「楽曲派」とは別の流れとして、「アイドルにアイドル外の現役ミュージシャンが楽曲提供する事例」を「クロスオーバー」と定義して、過去から現在に至るまでたどってみることにします。

クロスオーバー前史

 「アイドルポップス」が明確に日本の大衆音楽の1ジャンルとなったのは1970年代前半。新たなジャンルではありますが、楽曲の多くは阿久悠や筒美京平をはじめとした既存の歌謡曲の作詞家・作曲家が引き継いで制作を行っていました。しかし新たなジャンルの誕生に新たな空気を運ぶべく、そしてその頃に新著作権法が施行されたことで専属作家制度(レコード会社が作家を抱えて原盤制作を行う制度)が衰退したことも相まって、当時自作曲でヒットを飛ばしていたフォークシンガーやシンガーソングライターも積極的に作家として起用されることになります。

 同時代に活躍する現役ミュージシャンがアイドルの楽曲を最初に手掛けた事例は、確認できた限り1973年4月にリリースされたアグネス・チャンの3rdシングル『妖精の詩』です。表題曲の作詞は松山猛、作曲は加藤和彦。過去にはザ・フォーク・クルセダーズ、この当時はサディスティック・ミカ・バンドの楽曲を制作していたペアによるものでした。

 それ以降、よしだたくろう(吉田拓郎)や荒井由実(松任谷由実)、さだまさし等、人気が出始めた若手ミュージシャンによる楽曲提供も増えていきますが、単に楽曲提供のみならず、その後のアイドルのコンセプトやイメージにまで達するレベルで制作にかかわった最初の事例は、後期山口百恵のカラーを決定づけた、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの宇崎竜童と、バンドの作詞も手掛けていた阿木燿子の夫婦であると言えます。

 1976年の「横須賀ストーリー」以降、1980年の引退までのシングル19枚のうち13枚のシングル表題曲を手掛けるなど、山口百恵を楽曲で支え続けました。

 1980年代に入ると、元はっぴいえんどのメンバーで作詞家の松本隆が本格的にアイドル楽曲の作詞を開始しますが、その際に大瀧詠一・細野晴臣らの元バンドメンバーの仲間を作曲・編曲に呼び込み、さらにYMO陣営もそこに参加する形でミュージシャンのアイドル楽曲への参加が進んでいきます。

 それでも、ここまではアイドル側から捉えれば「作家の先生」的な立場であったミュージシャンが多かったのですが、1988年、すでにスターだった小泉今日子がアルバム『BEAT POP』でホッピー神山、小室哲哉、サンプラザ中野(サンプラザ中野くん)等、バンドを中心とした現役若手ミュージシャンを起用したことをきっかけに、もっとフラットな、今で言う「コラボレーション」のような関係性での作品が生まれるようになります。

 このように、「アイドル」の誕生から1990年頃までには、今に至る「クロスオーバー」の素地は出現していたことになります。

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