曽我部恵一が思いを馳せる70年代フォークの時代 高田渡、加川良らURC作品群から受けた影響、魅力を語る

日本のインディーズレーベルの先駆けとして1969年に発足したURC(アングラ・レコード・クラブ)。遠藤賢司、岡林信康、加川良、高田渡、友部正人、はっぴいえんどなど多くの先鋭的な才能が集ったURCは、その後の日本のフォーク/ロックにとって極めて大きな役割を果たした。
URCに造詣の深いミュージシャンの一人が曽我部恵一(サニーデイ・サービス)。曽我部が選曲・監修したコンピレーションCD『シティ・フォークの夜明け~URC Selection Compiled by 曽我部恵一』は、当時のURCを知っているリスナーはもちろん、この時代のフォーク/ロックの入門盤としても大きな注目を集めた。
さらに3月26日には、同コンピレーションのアナログ盤が発売。今回も曽我部が選曲、ジャケットデザイン、ライナーノーツを担当。CDとは全く別の選曲で音源の重複はなく、写真家・丹野清志撮影による 1970年の新宿駅周辺風景の写真が起用されたジャケットを含め、当時の音楽シーンをリアルに体感できる作品に仕上がっている。
リアルサウンドでは、曽我部恵一にインタビュー。URCとの出会い、コンピ盤の制作などについてじっくりと語ってもらった。(森朋之)
日本語への目覚め、URC作品から受けた影響

ーー『シティ・フォークの夜明け~URC Selection Compiled by 曽我部恵一』、URCを知っている人はもちろん、この時代の音楽に触れたことがない若いリスナーにとっても興味深いコンピだと思います。
曽我部恵一(以下、曽我部):“趣味趣味”で選んだんですけどね(笑)。でも、楽しかったですよ。持ってるレコードは聴き直して、手元になかったものは買い直して。もう1回聴き直してから選んだので。
ーー曽我部さんがURCの音楽に触れたのは、いつ頃ですか?
曽我部:最初は90年代の初めですね。一緒にバンドをやっていた友達が「“はっぴいえんど”絶対にいいから聴いたほうがいいよ」って勧めてくれたんですよ。そのときはあまり聴く気がしなかったんですよね、じつは。当時はシューゲイザーとかテクノ、ハウス、レイヴの時代だったし、ヒップホップの元ネタのジャズ/ファンクなんかに興味があったから、はっぴいえんどと言われても「昔のフォークでしょ?」くらいにしか思わなくて。でも友達から借りた『風街ろまん』を聴いたら、一発でぶっ飛ばされましたね。1曲目の「抱きしめたい」はドラムとベースから始まるんですけど、それがブレイクビーツみたいでめちゃくちゃカッコよくて。リバーブがかかってない、太くて乾いた音質もすごくよかったし、とにかく松本(隆)さんと細野(晴臣)さんの絡み、グルーヴに「うぉ!」と思ったんですよね。そこから大瀧(詠一)さんの歌が乗っかるんですけど、日本語がダイレクトに脳に入ってきて、風景が浮かんで。そこからですね、日本語の音楽を聴き始めたのは。『風街ろまん』がURCから出ていたので、URCの他の作品も全部聴いてみようと。
ーーレコードを買い集めた。
曽我部:そうです。はっぴいえんどは全部買えたかな。当時は中古レコードが安かったから、大体1500円とか2000円くらいで買えたんですよ。金延幸子さんの『み空』は当時から高かったですけどね。その後、しばらくは全然洋楽を聴かなくなりましたね。歌詞が英語だから「遠いな」と思っちゃって。作る曲も変わりました。それまでは英語混じりの曲が多かったんですけど、そこからは全部日本語になって、フォークっぽい感じが増えたので。
ーー直接的な影響を受けた、と。URCの作品で特に印象に残っているのは?
曽我部:友部正人さん、三上寛さん、中川イサトさん、高田渡さん、加川良さんとか、たくさんあります。それぞれ言葉と声を持っている人たちだし、全部よかったですね。僕が初めて聴いたのは90年代から、その人たちはすでに20年くらいキャリアがあって。1stアルバムから数えると作品の数も多いし、ひたすら聴いてました。いちばんハマったのはエンケンさん(遠藤賢司)かな。URCではないんですけど、2ndアルバム『満足できるかな』はクラシックですね、自分にとって。
ーーエンケンさんのどんなところに惹かれたんでしょうか?
曽我部:エンケンさんは高校のときから知っていたんですよ。中高生のときに日本のパンクを聴いていたんですけど、頭脳警察とかエンケンさんの名前が出てくるんですよね。日本の“プレ・パンク”というのかな。そのときに「遠藤賢司って、もともとフォークだった人がこんなに激しい音楽をやるようになったんだ」とわかって。フォーク時代のエンケンさんを聴いたのは90年代になってからですけど、すごく繊細で純朴だし、それでいて研ぎ澄まされた音楽をやってたんだなと。エンケンさんとはその後、一緒にライブをやったり、地方とかも一緒に回らせてもらったんですけど、それもうれしかったですね。
ーー20年の時を経て、接点ができたというか。
曽我部:そうですね。90年代の自分にとって、70年代初期って歴史の教科書くらいの遠さだったんですよ。今(2025年)から2000年を振り返るのとはちょっと違うというのかな。
ーー70年代と80年代の音楽が違いすぎて、そこで断絶が起きていたんでしょうね。URCのアーティストが活躍していた70年代初めの時代背景などについてどう感じていますか?
曽我部:学生運動などはそこまで興味はないですけど、『中津川フォークジャンボリー』で客がステージを占拠したとか、今だったら考えられないじゃないですか。あとは成田闘争のときの『幻野』(1971年に行われた『日本幻野祭』)もレコードになっているんですけど、それもすごくいいんですよ。


















