ドラマ『同期のサクラ』主題歌「さくら(二〇一九)」の背景にあるもの 表現に息づく森山直太朗のアイデンティティ
昨年10月から今年6月にかけて、長期にわたるコンサートツアー『人間の森』を行ってきた森山直太朗。「実は、ツアーが終わった後、鬱々とした状態だったんです」と彼は語る。
当サイトでもその最終日の模様をレポートしたが、コンサートツアー『人間の森』で展開されたのは、「答えのないものを追い求めているような作業」と彼自身も語るような、実験精神や探求性に満ちたステージだった。
12月13日より劇場公開されるドキュメンタリー映画『森山直太朗 人間の森をぬけて』には、その舞台裏で葛藤し、苦悩し、悩みつつも歌っていく彼の姿が赤裸々に描かれている。
監督と撮影を担当したのは、ツアー後半から終了後まで長期間彼に密着した番場秀一。映画の中では楽曲共作者でライブ演出を手がけた御徒町凧との本音の対話も描かれている。
「このコンサートが、彼との関係のひとつの決別でもあった」
と、森山直太朗は言う。両者のクリエイティブな結びつきには、ツアー後に大きな変化が訪れた。
「別に喧嘩したわけじゃなくて、フラットな形に戻そうっていう感じです。彼自身もとにかく自分が面白いと思えること、好きなことをやる。俺は俺で自分の表現を模索する、という」
こうして、デビューから17年を経た今も、森山直太朗は“過渡期”の表現者であり続けている。ドキュメンタリー映画の中にも、とてもヒリヒリするような瞬間が沢山ある。誰もが認める歌い手としての才能を持ちつつ、決してそこに胡座をかくことはせず、自らのアイデンティティと向き合い続ける。そういうストイシズムが、「さくら(二〇一九)」の歌の表現にも息づいているように感じる。
取材の中で、「平成とはどういう時代だったと思いますか?」という質問を、最後に彼に投げかけてみた。それに応えて森山直太朗が語った言葉が、とても印象的だった。
「平成はいろんなものを淘汰する時代だったと思います。昭和に残してきた負の遺産もあったし、バブルの浮かれた中で何でもありみたいな時代になったこともあった。誰かがやめようって言い出さないとやめられないものもいっぱいあった。そういういろんな問題は、これからの時代の中で解消していくわけで。昭和が混乱だとしたら、平成は紛れもなく混沌で、その混沌からどう抜け出していくかが令和だと思います。ただ、次の時代がどう変化するかは『今、何をするか』ということでしか答えは出ない。だから、抜き差しならないですよね」
■柴 那典
1976年神奈川県生まれ。ライター、編集者。音楽ジャーナリスト。出版社ロッキング・オンを経て独立。ブログ「日々の音色とことば:」/Twitter
■リリース情報
「さくら(二〇一九)」
日本テレビ系水曜ドラマ『同期のサクラ』主題歌
ダウンロード&ストリーミングはこちら
■番組情報
日本テレビ系水曜ドラマ『同期のサクラ』
毎週水曜22時~
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