“神様、僕は気づいてしまった”の音楽に感じる享楽性の正体 最新ツアー東京公演を見た
6月4日、Zepp Tokyoで開催された「神様、僕は気づいてしまった(以下、神僕)」の1st Tour "From 20XX"東京公演を観た。これまで『COUNTDOWN JAPAN』や『SUMMER SONIC』といった大型フェスへの出演はあったものの、ワンマン公演としてはバンド史上初となったこの日。筆者にとっても初めての「神僕」ライブ体験となったが、約1時間強にわたってステージ上の覆面を被った4人が生み出した空間は、熱く、不思議な色気すら感じさせるような(メンバー全員が覆面を被っているにもかかわらず)、もはや享楽的ともいえる空間だった。
ライブは全編を通して、ステージ前方の紗幕に映し出される映像と、その奥にいるバンドの生演奏がクロスオーバーする形で展開されていった。演奏される楽曲を視覚的に表現した映像を纏うことで、より世界観を強固に演出しながら、バンドミュージックとしてのダイナミズムは損なわないーーこうした映像と生演奏を見事なバランス感覚で融合させた手法は、映像表現のなかで歌詞を前面に押し出す「言葉」に対するプライオリティは高くなく(あくまでライブにおいて、だが)、むしろ映像や覆面というギミックを使うからこそ、その奥にある「4ピースロックバンドである」という存在の根底そのものをメッセージと化している面が大きいように思われた。
実際、映像のなかに歌詞が映し出されたのは、恐らくセットリストの半分にも満たないくらいの曲数だっただろうか。それよりも彼らは、映像の奥で、覆面を被りながら楽器を演奏する自分たちの、ある種「歪」な姿そのものを、オーディエンスにその身をもってぶつけているようにも感じられた。自己表現として音楽を作ろうと思い立ったとき、最初に手を伸ばすのは別にギターやベースやドラムじゃなくてもいい。むしろ、スマホやパソコンがあれば音楽を作り始めることはできるーーそんな認識が前提となったこの時代に、映像を作ったり、覆面を被ったりと、より経済的にも身体的にもリスクが大きい道を選びながらも、敢えて「バンド」であるということ。それだけ「ロックバンド」というコンセプトを使って見せたいものが、「神僕」にはあるのだ。
冒頭、「オーバータイムオーバーラン」に始まり、「ストレイシープ」「20XX」「UNHAPPY CLUB」と、『20XX』収録曲の連打で幕を開けたライブ。曲自体のスピード感と、MCらしいMCはなく、曲を立て続けに繰り出していくライブ全体の展開が相まって、少しでもボーっとすれば置き去りにされてしまいそうなほどの圧倒的な速度で、パフォーマンスは繰り広げられていく。2010年代の日本のロックの文法を定義づけてきたカルチャーからの影響を感じさせるサウンドは、とにかく即効性が高く、オーディエンスからは手拍子が巻き起こるなど、「一体感」という言葉が脳裏によぎるくらいの熱狂に会場は包まれていく。