MIYAVIやTKらのサポートドラマー boboが語る、スタイルの確立と大きな転換期

boboが語る、スタイルの確立と大きな転換期

 超強烈な個性を放つアーティストの側には、必ずboboの存在あり。MIYAVIやTK from 凛として時雨、くるりやフジファブリックなど、それぞれ異なるベクトルの個性を持ったアーティストたちと関わってきたboboのドラマーとしての遍歴は、相当に興味深い。そして、その背景として大きくあるのは、やはり自らがメンバーである54-71の存在だ。先日再結成を発表したNUMBER GIRLと同時代に活躍したオルタナティブなバンドであり、boboの3点のみを使ったセットから叩き出されるストイックなグルーヴのインパクトは今も消えない。あのバンドで培った「音で語る」という哲学が、現在幅広いサポートで活躍するboboの礎になっていると言っても過言ではないだろう。これまでのキャリアを振り返ってもらうとともに、トラック全盛の時代における生ドラムの可能性についても聞いた。(金子厚武)

「54-71に入って、それまでの人生でやってきたことがひっくり返った」

bobo

ーーboboさんといえば、やはり54-71時代の3点のみを使ったストイックなプレイスタイルが強烈な印象でした。あのスタイルはどのように形作られたものだったのでしょうか?

bobo:あれは完全にバンドのリーダーだった川口(賢太郎)くんの意向ですね。僕は途中でバンドに加入して、最初は普通に叩いてたんですけど、だんだん川口くんの常軌を逸したストイックさが出てきたんですよ。「そのおかず、そこでやんなきゃいけないの?」みたいなことを言われて、「うーん」ってなってたら、「それじゃなきゃダメなの?」「いや、そういうわけじゃないけど」「それじゃなきゃダメじゃないことを何でやってんの?」ってどんどん言われて、もうぐうの音も出なかったです。そう言われちゃうと、何やっても説得力ない気がするし、タム回しとか全部白々しく感じちゃって、やることがなくなっていって……。

ーードラム自体は小学生の頃からやっていたそうですが、それまではどんなプレイスタイルだったんですか?

bobo:高校生の頃はメタルが好きだったんですけど、大学生になると先輩からロック50年史みたいなのを教えられて、ジャズもフュージョンもラテンもファンクも、何でも聴くようになって。「何でもできるのがかっこいい」と思ってたんですよ。「俺はあれもできる、これもできる」みたいな感じで、おかずもいろいろ覚えて、そこに自分のアイデンティティを置いてたんですけど……ところがですよ(笑)。54-71に入って、それまでの人生でやってきたことがひっくり返っちゃったんです。

ーー「おかずを入れる意味とは?」を突き付けられたわけですもんね。

bobo:それまではサビに行くときはシンバルを打ってたわけです。たぶん渋谷にいるドラマー100人に聞いたら、100人シンバル打ちますよ。でも、「何で打ってるのか?」って聞かれたら、せいぜい「頭にアクセントをつけるため」くらいで、ほとんどの人が「そういうもんだから」って感じだと思うんですよね。でも、川口くんは「何で打たなきゃいけないの?」、「それがないとサビに行けないの?」って言うわけです。で、話し合った中で、「ブレイクをしよう」ってことになったんですよ。サビの前で全員止まって、サビでまた全員入る。これを一回やってみたら、世界中のどんなおかずよりも効果的だと思ったんですよね。それから54-71の曲はほとんどがサビ前で止まってます。

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ーードラムを叩くことの意味を根本から問うような体験だったというか。

bobo:一つひとつの音に意味を持たせるって考えると、必然的に音数は少なくなりました。ただ、それができたのはバンドのおかげというか、その考えのもとで曲が成り立っているバンドだからできたんです。世間一般にある曲で、おかずも入れないし、シンバルも叩かないってなったら、ただの何もやらないドラムですから(笑)。でも、54-71はその責任をドラムだけに負わせてなかったんですよ。展開って、大体ドラマーの仕事なんです。「フィルで盛り上げてよ」とか「変わり目に向かって、どんどんハット開いてよ」とか、“変わるぞ感を出す”のはドラマーに求められるんですよね。

ーー確かに。でも、54-71はそうじゃなかった。

bobo:今世界を支配してる音楽って、ほぼおかずがないですからね。そもそも生ドラムがほとんどないですが。「ドラムで何とかする」って考えじゃなくて、展開を作るのは曲であり、うわものであり、それに合わせてドラムも変わる。まあ、それは結果的にそうなってるだけですけど、54-71でやったことが今も自分の糧になってるのは間違いないです。

ーー非常に極端なバンドだった54-71から、サポートを広くやるようになったのは、どんな転機があったのでしょうか?

bobo:54-71をやりながら、呼んでもらったらちょいちょいサポートはしてたんですけど、くるりに参加したのは大きかったですね。川口くんと出会って、それまでの考えを180度変えられて、その後に(岸田)繁と出会って、また180度変えられましたから(笑)。54-71のときはビートの縦をストイックに意識してたから、そういう縦のラインとか、ショットの鋭さに関しては、「一級品です」って言ってくれたんですけど、「でも、僕はさらに違うboboくんを求めてます」って言われて、「何やねん?」と思いつつ(笑)。

ーー(笑)。

bobo:そこで繁に求められたのは、54-71が最初から最後まで一定のテンションなのに対して、くるりの曲たちはすごくいろんな表情を持ってるから、その曲ごとの表情を表現してほしいってことだったんです。それって一見真逆のようだけど、「この曲に必要なこと以外はしないでくれ」っていう意味では、実は川口くんが言ってたことと一緒だったんですよね。ただ、くるりではおかずも求められたし、AメロからBメロに変わるときに、「ちょっと変わった景色にしてほしい」みたいなことを言われたんですよ。54-71だと「そんな曖昧さはいらない」だったけど、くるりは「そのちょっとの違いを死ぬ気でやってほしい」と。傍から見たら曖昧に見えるかもしれないけど、繁の表現したい「ちょっとの違い」には、曖昧さの欠片もなかったんですよね。

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