鬼束ちひろは、本当の意味で復活を果たしたーーライブから伝わる“歌表現者”としての真価

鬼束ちひろ、“歌表現者”としての真価

 2016年11月4日。自分はこの日を忘れないだろう。

 それは鬼束ちひろが東京・中野サンプラザホールで圧巻のパフォーマンスを見せた日だ。“圧巻の”とはどういうことかというと、つまり鬼束ちひろというシンガーソングライターのキャリア、鬼束ちひろという物語においての最も優れたところ、核となるところを、限りなく100%に近い状態で見せたものだったということ。彼女が真の“歌表現者”として我々の前に「戻ってきた」のが、この2016年11月4日だったということだ。

 そのことをきちんと報じたメディアは、しかし自分が探した限りではどこにもなかった。少し失望したが、やはり迷走の時期が長かったこともあって、評価の俎上に乗っていなかったということなのだろう。会場に集まった多くの人たちは、良好な状態にあるときの鬼束ちひろがどれほど凄まじい表現力を持った歌手であるかを知っている。だからそこに来ていたわけだが、世間一般的にはそれを知らない人(もしくは忘れている人)が大半だ。活動のあり方と表現のあり方、及び声の出方が安定を失ってからずいぶん長い時間が流れていたので、まあ無理もない。無理もないがしかし、遂に叶った鬼束ちひろの本当の意味での復活は、言うなればひとつの事件であり、もっときちんと世に伝えられるべきことだと、自分はそう思ったものだ。

 良好な状態にあるときの彼女の歌表現がどれほど圧倒的でどれほど胸に迫りくるものであるか、それを実際に体感したことのない人に言葉で伝えるのはなかなか難しいが、昨年12月の『FNS歌謡祭』(フジテレビ系)で、(テレビ番組においては)12年ぶりに「月光」が歌われた際、その鬼気迫るパフォーマンスに対する驚きの声はけっこうな数でツイートされた。「めっちゃ震えた」「すっげえ鳥肌たった」「涙出た」といったものだ。自分はそのパフォーマンスと人々の感想ツイートを見ながら、約1カ月前に中野サンプラザホールで復活を遂げた様を目撃したひとりとして、または彼女が真価を発揮した際の歌唱表現の凄まじさを昔から知る者として、何やら誇らしい気持ちにもなったものだ。同時に、ライブはこんなもんじゃないよ、と言いたくもなった。『FNS歌謡祭』を見た人々のそれは、言わばそのインパクトに対する反応だ。が、ライブは当たり前だが1曲ではなく、例えば中野サンプラザの場合は全17曲。次々に曲が演奏されるその過程で徐々にボーカルが熱と艶を帯びていくことの興奮と、曲が連なることで起こる総体としての感動がそこにある。それを伝えるものとして、6月21日にリリースされるキャリア初のライブアルバム『Tiny Screams』はうってつけだ。

 自分はもうずいぶん長いこと、鬼束ちひろのライブを観ていなかった。特に奇抜な厚塗りメイクで極端な発言をしていた時期などは声の出もピッチもそれ以外も全てがあまりに不安定で、たまたまテレビ番組か何かで見たときは辛い気持ちになっただけだった。かつてのファンの多くがそうだったはずだ。が、昨年4月の日本橋三井ホール公演を観たある方が「(ほぼ)完全復活」とツイートしていて、その言葉に賭けて11月の中野サンプラザホール公演のチケットを購入した。

 ものすごく感動するか、ものすごくガッカリするか、ふたつにひとつだろうと覚悟はしていった。これまで観た鬼束ちひろのライブはそのどちらかしかなかったからだ。波があって当たり前。作品もそうだが、それ以上にナマモノであるライブはいいときとそうじゃないときの差が極端で、10点のときもあれば1000点のときもある。が、いいときの凄さは昔から破格だった。思い出されるのはなんといっても2002年の日本武道館公演。それは数カ月間の休養を経たあとの復活ライブだったが、大胆にもその時点でまだリリース前だった3rdアルバム『Sugar High』からの曲を中心に構成されたものだった。しかしそれが圧倒的に素晴らしく、自分は終演後、放心状態でしばらく席を立てなかった。恐ろしいほどの集中力で歌に入り込んでいた彼女は、まるで何かが憑依しているようでもあった。そのあとに取材した際、彼女は「ステージに竜がいるみたいだったって友達から言われた」と笑っていたものだが、確かにそんな感じだった。

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