ローランド創立者 梯郁太郎が音楽シーンに与えた影響ーー元社員が功績と人物像を語る

梯郁太郎が音楽シーンに与えた影響

 1960年に設立したエース電子工業から、梯氏の本格的な電子楽器製作は始まる。1972年にエース電子工業を退職して、ローランドを創業。2013年にはローランドを離れ、83歳という年齢でATVを設立したばかりだった。その生涯を開発に身を捧げた梯氏だが、寛容で気さくな人柄で人望も厚かったと布施氏は振り返る。

「前述したように楽器作りについては、自身の信念を曲げずに厳しい姿勢で臨んでいました。当時は、比較的自由な社風から、ヤマハがマイクロソフトだとすると、ローランドはアップルだと例える人もいましたが、梯さん自身、スティーブ・ジョブズと重なる部分もあったと思います。ただ、仕事以外では大変気さくな方で、休憩時間にはパート従業員さんたちに囲まれてお茶を飲んだりするなど、周りからも慕われていた印象があります。私が退職する際も、ご挨拶させていただきたいと面談を申し込むと、一社員に対してわざわざ時間を割いていただき、その後の人生の背中を押していただいたことが印象深いですね。ローランドを離れて、83歳にしてATV株式会社を設立した後も、理念はそのままに、意欲的に楽器の開発に取り組んでいらっしゃいました」

 晩年まで電子楽器産業や文化の発展に力を注いでいたという梯郁太郎氏。6月11日にはローランドとATVの本社がある静岡県浜松市にて、梯氏を偲ぶ「梯郁太郎メモリアルセレモニー」が執り行われる予定だ。

(文=泉夏音)

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