薬師丸ひろ子はアイドルとは別種のスターだった “女優にして歌手”の軌跡を振り返る
アイドルとは別種の存在感
薬師丸ひろ子の歌手デビューもこのメディアミックス戦略の延長線上で果たされることになるわけだが、彼女はそれまで歌うことを固辞しており、満を持して売り出しが仕掛けられたわけではなった。それはむしろ瓢箪から駒が出たようなハプニングだった。
『セーラー服と機関銃』の主題歌は、作詞が来生えつこ、作曲が来生たかお。当初は「夢の途中」というタイトルで、歌唱も来生たかおがすることになっていた。ところが監督の相米慎二が薬師丸に歌わせたらどうかと言い出したことで、にわかに彼女のバージョンが主題歌となる。事後的に知らされた角川春樹はひとつだけ注文を付けた。それでタイトルが映画と同じ「セーラー服と機関銃」に変更された。
この曲は80万枚を超える大ヒットとなった。角川春樹事務所は、主演女優に主題歌を歌わせてアイドル化する手法を敷衍して、原田知世、渡辺典子というスターを生み出していく。薬師丸、原田、渡辺は俗に「角川3人娘」と呼ばれたりした。
当時の記憶はもうおぼろだけれど、不思議な、独特な歌い方だなと思ったことは覚えている。セーラー服を着て、特に振りもなく棒立ちに近い感じで歌う姿に、スクリーンの印象よりちょっとイモくさいな(失礼!)と思ったような気もする。この曲が発売されたのは81年の暮れで、松田聖子の登場でアイドルブームが起こった少しあとのことだ。ブームのピークを象徴する意味で82年組と呼ばれる小泉今日子、中森明菜、早見優らはまだデビューしていない。
薬師丸の歌手活動はあくまで映画のプロモーションという位置づけだったため、他のアイドルに比べてテレビで目にする機会はぐっと少なかった。もとより角川春樹事務所は薬師丸の希少性を高めるためにメディアへの露出を制限しており、基本的にはスクリーンでしか会うことができなかった。その戦略が功を奏して、社会現象ともいわれた薬師丸ひろ子の爆発的なブレイクに繋がったことは間違いないだろう。『セーラー服と機関銃』の公開初日、関西の映画館で薬師丸の舞台挨拶が予定されていたのだが、押し寄せた人々が路上にまで溢れ返り、警察が出るわ機動隊が出るわの騒ぎが起こって中止になってしまった。それほどの人気だったのだ。
だが人気絶頂の最中、大学進学のため休業に入ってしまい、ファンは飢餓感をさらに募らせることになるのだった。
そんな独自の存在感だったため、82年組の登場も薬師丸の人気に影響することはほとんどなかったように思う。アイドルのような人気ではあったけれど、アイドルとは別種のスターだったのである。