映画『バクマン。』音楽の驚くべき手法とは? サカナクションが手がけた劇伴を解説
週刊少年ジャンプ掲載漫画原作の2015年映画『バクマン。』は、主人公である真城最高(サイコー)と高木秋人(シュージン)がコンビを組んで漫画家を目指していく過程を描いた物語だ。サカナクションの担当した劇伴と主題歌が、2016年度『第39回日本アカデミー賞』で最優秀音楽賞を受賞したことにより、映画と共に音楽の面でも話題になった。映画の場合、映像が先にできてから劇伴を作ることが多いが、この映画に関しては、先に劇伴を作り、それに合わせてシーンを考えたのだという。そのことを踏まえた上で、今回は、同作の中で使われている劇伴手法の一部を考察したい。
映像と音楽との対位法
この映画の中で使われている劇伴における全体的な傾向は、「メロディを聴かせていく」というより、「リズムパターンを繰り返すなかで変化をつけながら発展させていく」ものが多いということだ。そのなかで注目すべきは「感情が表に出るシーン」及び「相手に想いを馳せる心情系のシーン」。中盤以降、最高と秋人は、創作時間の確保に伴う睡眠不足と、ライバルに差をつけられることへの焦りからか、初めて衝突するという場面がある。このシーンに対し、一般的には下記のような劇伴を付けることが想定される。
1、2人の衝突や焦りの様子を、煽るような音楽で表現(説明的な劇伴)
2、少しメランコリーな音楽をつける(第三者的、見ている側の視点)
しかし、映画で実際に取られていたのは「劇伴を付けない」という方法だった。もちろん、映像がドラマティックな場所で、あえて劇伴をドラマ的にしない、または劇伴を付けないことも一種の「映像と音楽との対位法」といえるため、珍しいことではない。(参考:あえて映像とは異なる音楽を流すことも? 『新世紀エヴァンゲリオン』などの「劇伴」手法を解説)
だが、この映画ではほかにも、「真城最高が倒れたことによる、二人の漫画の連載の休載」を告げられた時など、感情的なシーンでも直後の劇伴が付いていないほか、「真城最高が想いを寄せる亜豆美保に『もう会えない』と告げられる」という心情系のシーンでも、ウェットに訴えかけてくる楽曲ではなく、あくまでドライな楽曲を使用している。おそらく、劇伴で過剰に説明しないことで、視聴者側に想像の余地を残しているのだろう。
「リアル」と「ファンタジー」
また、公開前から話題になっていた映画の見所として「実在する要素とCGを組み合わせた映像表現」というものがある。(参考動画:東宝MOVIEチャンネルより《「バクマン。」予告》)これについては、実在する要素を人間の行動などの「リアル」、CGを「ファンタジー」に置き換えると、同じような映像表現は、映画のなかで何度も登場するのだ。
まず、大きく印象に残るのは「音楽主体で進む劇伴」である。例えば、ほとんどセリフが無い日常シーンが描かれている部分では、音楽に主導権をもたせて、劇伴でありながらも「声」を取り入れて音楽に存在感をもたせている場面も見られた。
また、主人公とライバルとの競り合いを殺陣で描いたシーンでは、劇伴の盛り上がりに合わせて、CGならではのスピード感あふれる映像表現が用いられた箇所があった。そんな「CGバトル=リアル+ファンタジー」の映像につけられていた劇伴が、「生楽器(リアル的)+電気楽器、電子楽器(ファンタジー的)」という、共にリアルとファンタジーを要素として取り入れた楽器同士でハイブリッドな雰囲気を作り出し、漫画家の心の中を「CGバトル」といった形で表現するという、良い意味で「曖昧な映像表現」と劇伴との共通性も感じられた。