宇多田ヒカルの楽曲はなぜ心地よいグルーヴを生む? 現役ミュージシャンが分析

 彼女のこのような能力は、R&Bから離れ、より広い音楽性を提示するようになってからの楽曲でも遺憾なく発揮されています。例えば中期の『光』のサビの前半で同じような表を作ってみます。

1 1.5 2 2.5 3 3.5 4 4.5
どん
ずっ
どん

 ゆったりと歌っていますが、1~3行目のリズムのフックがよく効いています。感覚的な言葉で言うと、1拍目の頭に休符を入れて、1.5拍目で踏み込んで、2拍目で広げて、3拍目からの3つのアクセントで畳み掛ける、というフレーズです。アクセントの位置だけを歌っても、“広げて~畳み掛ける”というおおよその意図は伝わりますし、その前後でアクセントのない音が細かい表現をしていることによって、グルーヴも生まれています。そして、このパターンのフックが効いているからこそ、最後に平坦に並べた「そばにいるから」にしっとりとした優しさがこもります。

 また、トラック全体で見ると、ドコドコした印象で前へ前へと進むリズムトラックに対してどっしり構えたベース、という比較的シンプルな構造で、宇多田さんのボーカルによって初めて生まれているグルーヴ感があります。「歌と伴奏」ではなく、歌も含めてひとつのトラックとしてアレンジやエンジニアリングが施されていることは、彼女の楽曲の大きな特徴のひとつです。

 さらに、宇多田ヒカルさんはブレス(息継ぎ)も必ず音符と同じようにきちんとした位置に入れます。ブレスもひとつのリズム表現になっている、ということです。「Goodbye Happiness」「桜流し」のように、ほかの日本のミュージシャンが歌っていても不思議でないような曲でも、どこか独特のグルーヴ感を感じさせるのは、そのような細かいところに宇多田さんの鋭敏なリズム感覚が表れるからでしょう。

 以前このコラムでスピッツについて書いた際に、「発音の強弱が多彩な英語はリズム表現で起伏を作り、発音が比較的平坦な日本語はメロディで起伏を作る」というようなことを書きました。しかし、宇多田ヒカルさんの場合は日本語の歌詞でも洋楽的なリズム表現を自然に表現しています。英語で歌わなくても、あるいは「英語みたいに」歌わなくても、細かな発音の強弱や譜割りに対する鋭敏な感覚を持っていれば歌でグルーヴを表現できる、ということでしょう。

 楽曲の中でのリズムトラックの存在やアレンジの方向性も含めて考えると、歌や作曲の技術もさることながら、グルーヴに対する感覚や音楽の捉え方そのものが宇多田ヒカルさんの最大の魅力で、それは彼女の登場によって日本の音楽シーンに持ち込まれたものなのかもしれません。いずれにせよ日本の音楽シーンにとっていまだに稀有な存在です。

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■小林郁太
東京で活動するバンド、トレモロイドでictarzとしてシンセサイザーを担当。
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