YUKIはいかにして“永遠のガーリー”となったか ジュディマリ時代から最新SGまでを辿る

 ニューシングル『誰でもロンリー』の発売、そして9月には7thアルバム『FLY』、10月からは待望の全国ツアーと、YUKI関連のトピックが活発化している。近年は、シングルのリリースはコンスタントにあったものの、ツアーやオリジナルアルバムまでは、2年、3年とそれぞれ時間が空いており、どちらかというと余裕をもった活動スタイルを続けてきた彼女。今回のようにすべて1年以内に行うというのはかなりレアなケースだ。それだけに今年はアーティスト“YUKI”の新たな姿が観られるのではと、楽しみでもある。

 YUKIは1993年に「JUDY AND MARY」のボーカリストとしてデビュー。バンドはブレイク街道をひた走り、何枚ものミリオンヒットにも恵まれた。しかし、人気も絶頂にあった2001年に突然の解散。その後、ソロアーティストとしての活動を開始し、ここまで順調にキャリアを重ねてきた。間違いなく今のJ-POPシーンで最も成功した女性アーティストのひとりであろう。しかし一方で、そのスタイルは時代を経るごとにゆるやかに変化してきたことも事実。ここでは、その変遷をPVやアートワークなどから検証してみたいと思う。

 デビュー当時、YUKIは21歳。それまで、主だった音楽活動をしていなかったというが、それが逆に初々しく、自然体な魅力を放っていた。初期のジュディマリはパンクロックを意識した音作りがなされていたのに加え、YUKIの舌足らず気味の歌唱法やファッションも相まってロリータ・パンクと呼ばれることもあった。

 代表曲『そばかす』がオリコンチャート初登場1位を記録し、100万枚を売り上げたあとの『クラシック』では、初期のころのクセのある歌い方から、伸びやかな歌唱スタイルへと変わっていった。楽曲もベースの恩田の作曲から、ギターのTAKUYAへと徐々にチェンジ。

 1999年ごろは「B-52's」のケイト・ピアソンらと結成したスペシャルバンド「NiNa」にシンガーとして参加したり、CHARAとユニットを結成するなど、さまざまなチャレンジをしていた時期。アーティストとしての自身の可能性を試していたようにも見える。ここで得た刺激がのちのソロ活動への布石となったのかもしれない。

 楽曲の制作体制の中心がTAKUYAに移行し、難易度の高い曲が次々生まれていたころの「Brand New Wave Upper Ground」で、YUKIのボーカリストとしての力が最も高められたと言っても過言ではないだろう。PVでも髪を振り乱したり、胸をわしづかみにしたりと挑発的に歌う姿が印象的。このころ「真心ブラザーズ」の倉持陽一と結婚。翌2001年、ジュディマリは解散を発表する。

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