デビュー25周年記念作『SKA ME FOREVER』 インタビュー
「泣き笑いの感動をずっと追いかけてる」東京スカパラダイスオーケストラが語る、デビュー25年の歩み
谷中「亡くなった青木達之、クリーンヘッド・ギムラの夢を、僕らなりに実現させていく」
一一バンドの見せ方に関してはどうでしょう。まずはテレビやお茶の間に出ていって、90年代後半はどんどん男臭くスタイリッシュになっていった印象があります。そして今はもっとストレートな熱量を出していますよね。
谷中:ええ。98年ぐらいかな、確かに男気っていう言葉を出して『仁義なき戦い』のカバーをやったりしてましたね。ただ、スカパラのメンバーが持つ本来の前向きな感覚っていうのかな。斜に構えた格好良さじゃなくて、明るくて強いメンバーのキャラクターがもっと出てくるほうが自然で。それで今の、馬鹿なんだけど笑えて泣けるような方向に落ち着いて。
川上:今は自然だよね。海外でやるようになったのも大きいかな。もうその場で出す音で判断されるだけだから、斜に構えてる場合じゃない。やっぱり自分たちがまったく知らない国でも、どんなアウェイでも、音を出すなら掴みたいじゃないですか。
一一いま目指しているものを、「お茶の間にスカを」みたいなスローガンにするとしたら何になりますか。
川上:……「世界中にトーキョースカを」って感じですかね。スカの中でも、オーセンティック・スカからスカパンク、いろいろあると思うんだけど。スカパラはそれをいろいろやってきて、もう関係ないね、これがトーキョースカだよね、っていう領域に達していて。裏打ちも何も入ってないけどスカだよって言える曲も新作にはありますからね。
谷中:いろいろ取り入れて咀嚼するのが日本人は上手いっていうのもあるだろうし。結局、東京自体が地方の寄せ集めでできてる街ですよね。僕ら、インターネットが普及する前からいろんなレコード屋さんや洋服屋さんに行って、ネットでサーフィンするみたいに情報を集めて音楽を鳴らしてたから。そういうのも東京的だよね。いろんなものを寄せ集めて納得いくことを探してきた結果、非常に東京的な音楽、世界のスカにもないような「トーキョースカ」になっていたというか。
一一そこに今も満足しきっているわけじゃない。常に未来を見ているっていうのは、新作の歌詞からも強く感じます。
谷中:それは、生きているから(笑)。ずっとやっていくだけですよね。あんまり過去を振り返る余裕もなくて、単純に死ぬまでやりたいなって思う程度。もちろん25年前にこのバンドを死ぬまでやりたいとか、そこまで考えられなかったけど。今は思いますよね。音楽、ずっとやれてたらいいな。
一一今回の「Sunny Blues 7inch.」は、“あの頃”の“みんな”を振り返りつつも未来を見ているような歌詞で、とても印象的でした。
谷中:あぁ、これは敢えて25年と未来を繋げるように書いてみた曲ですね。振り返る余裕もないとは言いつつ、やっぱり関わってくれた人との思い出はあるし。関わったどころか、バンドのメンバーだった青木達之、クリーンヘッド・ギムラも亡くなってますからね。あの二人が見ていた夢も当然あるだろうし、それは僕らが、僕らなりに実現させていく。感謝を込めていろんな人の想いを振り返りながら、自分たちにできることをさらに探していく。それはもう限りのない作業ですよ。続けるしかないって、すごく強い動機になりますよね。
一一彼らの遺志を継ぐという気持ちもありますか。
谷中:僕はありますよ。俺、青木達之が亡くなった後とか、どっか飲みに行くたびに『あぁ、スカパラだったら青木さん知ってますよ!』って言われたんですよ。僕は初めて会う人なんだけど、必ず誰かにそう言われるのがすごく不思議で。青木は本当にいろんな人と交流していたんだなって思ったし、その青木が亡くなった今、俺がやんなきゃ、と思って。
一一あぁ。
谷中:もともと「いつか竹中直人さんと何かやりたい」って言ってたのも青木だし、高橋幸宏さんは昔から大好きだから、何か一緒にやりたかっただろうし。あとは「バーナード・パーディーと一緒にドラム叩きたい」って言ってたから、そういうのを少しずつ実現させていって。クリーンヘッド・ギムラも面白いこと言ってたんですよ。「海外で成功したい、海外で日本語英語みたいなものを流行らせて、そのうちアメリカ人がそれを真似するようになったら最高だ」なんて(笑)。ジャマイカ人がジャマイカン・イングリッシュで歌っているのをアメリカ人が真似するようになるようなイメージだったんでしょうけど(笑)、ギムラさんは「アメリカ人がみんな真似するようになるまでやろう、日本人として面白がられる存在になろうよ」とか言ってて。そういうのって、夢ありますよね。馬鹿馬鹿しいかもしれないけど、すごく夢がある。だから僕らもここで立ち止まってるわけにはいかないというか。