『続・続・最後から二番目の恋』はなぜ愛おしいのか 人生を“楽”にするヒントの数々

「いくつになっても、未来に恋していたい」
年をとることは、寂しくて、切ない。ここで言う「年をとること」とは、つきつめて言えば「老いていくこと」である。年をとって老いていけば、まわりから人がいなくなり、仕事もなくなる。心が動くことも少なくなる。筆者も初老を超えた年齢なので、実感としてよくわかる。
だけど、なんとかすることができるんじゃないか。もうちょっと頑張ってみようじゃないか。まもなく最終回を迎える『続・続・最後から二番目の恋』(フジテレビ系)は、ずっとそうやってエールを送ってくれている。
このドラマのメッセージは、第1話の千明(小泉今日子)のモノローグで言い表されている。
「寂しくない大人なんていない。大人は自分の時間が有限なことも、今から大きな素晴らしいことが起きないことも知っているから」

「寂しくない大人なんていない」――。シリーズ第1作『最後から二番目の恋』の第1話のサブタイトルである。あれから13年、作中の大人たちは、中年から初老に変わった(※かつては40歳が初老だったが、今では50代後半から60歳のことを言うらしい)。
「有限」とはすなわち「死」のことである。本作では死をあちこちにちりばめて、彼らの人生が有限だと意識させていた。第1話では、和平(中井貴一)の同期の元経理部長と、千明が会ったばかりの上司の死が描かれている。まだ40代後半だが脳の病気を抱えている真平(坂口憲二)も、死を意識する言動をとっていたことがあった。
スケベな隣人・一条(織本順吉)は亡くなっていた。千明の親・有里子(三田佳子)は、もはや死の話題を楽しみに変えている。千明の親友・祥子(渡辺真起子)は、やがて自分が千明と啓子(森口博子)を見送ることを想像するとやりきれないと冗談を飛ばしていた。真平の主治医・門脇(高橋克明)の死も語られる。門脇を演じた高橋は2024年に59歳の若さで急逝した。死は身近にある。だから、大人は寂しい。

「大きな素晴らしいこと」とは、いろいろ考えられるが、たとえば「恋」だったり、「ときめき」だったりする。子育てを終えた典子(飯島直子)は、もはや自分には価値がないと思い悩み、散らかった部屋で一日中寝そべっていた。最愛の妻を失った成瀬(三浦友和)は、心が動かない平穏な生活を送っている。亡くなった夫が愛人と子どもを作っていたことを知った律子(石田ひかり)は、実家に帰ってきて第二の人生を始めようとするが自信が持てない。万理子(内田有紀)は千明への思いを心の中に封じ込めている。恋もときめきもない。だから、大人は切ない。
それでも本作に出てくる大人たちは、千明が言っていたように、みんなもがいている。ちょっとでも有限の人生を輝かせ、ちょっとでも心にときめきを取り戻そうとしている。だから、彼らのことを愛しく感じる。では、具体的にはどうすればいいのか。ヒントはドラマのあちこちに描かれている。