『虎に翼』の“原作”は判決文? 「原爆裁判」と老いの問題の描き方に若干残ったモヤモヤ
「始めは処女の如く、後は脱兎の如し?」というサブタイトルはNHK連続テレビ小説『虎に翼』の第23週のもの。「虎」と「兎」で脚本家・吉田恵里香の出世作『TIGER&BUNNY』を思わせる。というのは冗談で、このサブタイトルは、はじめのうちパッとしなくて周囲を油断させているが、あとになって手腕を発揮するという意味がある。マラソンで最初は後ろのほうにいた選手が後半、ぐんぐんごぼう抜きしていくようなものであろう。
第23週では8年に及ぶ原爆裁判の判決が下った。最初は遅々として進まない裁判であったが(準備に4年かかっている)、8年目にして、渾身の判決文が出された。
原爆裁判とは、被爆した方々が国家に賠償請求をしたもので、国家的にはこの1件を認めたら次々に賠償を求められると考えたようで(これは弁護側の推測)、訴えを聞こうとはしない。
原告側は圧倒的に不利な状態であったが、その弁護を引き受けたのは、人権派の雲野(塚地武雅)。だが、志半ばで彼は亡くなり、よね(土居志央梨)と轟(戸塚純貴)があとを引き継ぐ。この裁判に寅子(伊藤沙莉)は判事として関わる。裁判長は汐見(平埜生成)である。
弁護人3人(よね、轟、岩居)と判事2人(寅子、汐見)がわりと近い関係でいいのだろうか。関係性にも重要となってくる汐見の妻・ヒャンちゃん/香子(ハ・ヨンス)は朝鮮人であることを隠しているのもありなのだろうか。法の素人としてはいろいろ謎なのだが、ドラマとしては関係者が一堂に会して問題に当たるストーリーは盛り上がる。
結果的に請求は認められない。だが寅子は被爆者の苦しみを放っておけず、判決文のなかの判決理由を粘って書き加える。
最後の一文「我々は本訴訟を見るにつけ政治の貧困を嘆かずにはおられないのである」は痛烈である。これが実際、読み上げられたのだから、当時の裁判チームの思いはいかほどか。
共亜事件のとき、桂場(松山ケンイチ)が読み上げた「あたかも水中に月影を掬い上げようとするが如し」もモデルと思われる事件・帝人事件の判決文であった。事実は小説より奇なりじゃないが、事実は強い。これらの判決文を書くに至るまでに、ものすごく労力がかかっているからこその言葉が重いのである。『虎に翼』の原作=判決文という気さえする。
筆者が司法関連の取材を担当している清永聡さんに取材をしたら、国際法学者3人(ドラマではふたり)を招いて意見を述べることを決めたのは裁判チームであったという。
「当時の記録や記事などを読むと、最初は傍聴席がガラガラだったそうです。ところが審理の途中、国際法に違反するかどうかという最大の争点で裁判体が双方の国際法学者を証人として呼ぶことを決めます。これに当時の司法記者クラブの面々がざわめいたようです。どうやら裁判所は本気で国際法の判断をするらしいと。そんなことをしなくても判決は出せるわけです。『原告には賠償を請求する権利はありません』で済むところを、国際法学者を史実では3人採用しています。それをきっかけに記者がたくさん傍聴に訪れるようになったということです」(※)
原爆裁判のことを寅子のモデルである三淵嘉子さんは何も書き(言い)残していないが、裁判チームが国際法学者を呼ぶことを決め、世論の注目を集めたうえでの、判決理由、となかなか考えたなあという感じがする。このへんの裁判チームそれぞれの心理状態こそドラマで見たかった。だが、いくら空白であってもここを想像で描くことは、実在の人物に対して恐れ多すぎてできないものかもしれない。
少なくとも、8年かかった歳月を何か感じさせる演出はなかったか。浅い発想で恐縮だが、例えば資料が山積みとか、なんてことも思ったが、よねが国側の国際法学者に質問するところに思いが託されているようだ。「戦時中に、今の憲法は存在しません」と詭弁を弄する法学者(小松利昌)に「原告は、今を生きる被爆者ですが」と質問ではない訴えかけをするよね。このシーンには緊迫感があった。