西村純二×押井守『火狩りの王』の想像力を刺激する深い問題提起 現代社会を映す鏡の役割
WOWOWで放送・配信中のオリジナルアニメシリーズ『火狩りの王』第2シーズンが、いよいよ最終回を迎える。筆者はひと足先に試写で拝見し、希有な感覚を覚えた。主要登場人物たちといっしょに長い旅を続け、終着地へともにたどり着いた気分になったのだ。期待や予想どおりの部分と、逆に意外性に満ちた部分も多く、その相克がまた味わい深い。自分だったらどうしたのか考えさせられた部分や、未解決のまま終わった後にどうなるのか想像力をかきたてる部分も残る。そんな複雑な姿勢に、感銘を受けた。
WOWOWオンデマンドでこれから追う方も意識しつつ、この機会に作品の全体像を振り返ってみたい。
原作は日向理恵子による同名の小説である。おそらくファンタジー小説に分類されているだろうが、実はシンプルなジャンル分けを許さない作品だ。一読すれば分かるとおり、文体は重厚であって随所に目が向けられた描写ばかりで、読解するのにも歯ごたえを感じる。つまり「軽さ」を意味するライトノベルの趣向ではないのだ。
最後に待つ芳醇な読後感を期待させる質量を有しながら、随所に気を配りつつ話を進める緻密さとトーンは、アニメ化の方向性に大きく影響している。小説のカバーと本文イラストは小野不由美作『十二国記』で高名な山田章博が担当し、これもアニメ用のキャラクターデザインやシーンの構成に大きく影響している。
大衆に何となく共有されている「中世風世界観」とは抜本的な姿勢から異なるその世界設定は、特に大きな魅力だ。至るところに「和」のテイストが散りばめられていて、全体はいささか古風にまとめられている。いったいなぜ、こんな世界が……という疑問は、物語の進行にともなって少しずつ明らかにされる。その手つきはかなり理詰めであり、「原因と結果」を強く意識した理屈の補強がある。つまりサイエンティフィックにフィクションを語る姿勢があるのだ。
空想力ベースによる「何でもアリ」な華やかさ、派手な魔法のようなカタルシス表現に満ちたファンタジー作品には高い商品価値があり、それを次々と消費するのも良いだろう。しかし本作ではそうした要素は恣意的に抑制されている。それはこのイビツにも見える世界が、現実と深いつながりがあるからだ。
つまりファンタジーではなく「遠未来SF」(終末後を描くポストアポカリプス)なのだ。だから本作は、思索を誘発する「知的娯楽作」に位置づけられるし、エンターテインメント基準で評価しようとすれば、結果がスレ違うのは当然だとも言える。
SFに深く傾倒している押井守がアニメ用のアレンジに加え、全話の構成と脚本を手がけることになったのも、原作の世界と物語構築方法に強いSFマインドを感じたからではないだろうか。
そんな本作の世界設定や物語とは、具体的にどういうものなのか。
最終戦争を起こした結果、人類は衰退から絶滅の縁に立たされていた。戦争に使用された病原体の影響で、人びとの身体は自然の火が近づくと体内から発火するよう、体質を変化させられてしまったのだ。