『ゴジラ-1.0』にあってハリウッド版に足りないものは? 宮下兼史鷹が“泳ぐゴジラ”に感動

宮下兼史鷹『ゴジラ-1.0』映像表現に感動

 お笑いコンビ・宮下草薙のツッコミとして活躍する宮下兼史鷹。芸人としての顔以外にも、ラジオや舞台など多岐にわたる活躍をしている。おもちゃ収集が趣味、サブカルチャーに精通している無類の映画好きである彼の動画連載『宮下兼史鷹のムービーコマンダー』。第9回となる今回は、アカデミー賞視覚効果賞にノミネートされたことで話題の映画『ゴジラ-1.0』の魅力について語ってもらった。

「宮下兼史鷹のムービーコマンダー」第9回『ゴジラ-1.0』

『シン・ゴジラ』よりも“民間人の視点”に寄り添った『ゴジラ-1.0』

――まず、『ゴジラ-1.0』の簡単な印象からお聞かせください。

宮下兼史鷹(以下、宮下):僕は正直『シン・ゴジラ』より楽しめました。というのも、『シン・ゴジラ』は庵野秀明監督のやりたいことや特撮愛など、少しマニアックな部分がとても詰め込まれている作品でしたが、『ゴジラ-1.0』は観客に寄り添っているというか、ゴジラに詳しくない人でも楽しめるように作られている点で、ゴジラ入門編としてめちゃくちゃ良い映画でした。

――具体的に良かった点は何でしょう?

宮下:個人的にはゴジラの登場が早かったのがよかったですね。貯めて貯めて、「ゴジラまだかなー……出たー!」って感動もありますが、やはりゴジラを観に来ているんでね。ゴジラを早めに出してくれて「ゴジラだ!」ってなれるのって、なんていうかポップコーンを食べる手が止まるというか、すぐに集中できるんですよね。『シン・ゴジラ』は国とゴジラが戦っている話なので、民間人の視点で観ると少しゴジラが遠い存在なんです。しかし、『ゴジラ-1.0』に関してはすごく身近というか、民間人だからこそ恐怖してしまう映画の作りがとても印象的でした。戦争が終わって一度ゼロになった、ボロボロで立て直し中の日本に追い討ちをかけるかのようにゴジラがやってくる。当然、国にはゴジラと戦う兵器もなければ余力もないわけですよ。そんな中で民間人が立ち上がって、なんとかゴジラを倒そうとする。そのストーリーが僕は今の時代にとてもマッチしているように思います。監督もパンフレットで語っていましたが、やはりコロナウイルスの流行があって「政府が頼りないな」とか「これどうすりゃいいんだよ」みたいな、僕らが自分たちでなんとかしなきゃいけないんだって気持ちと背景が、民間人とゴジラが戦う設定に取り入れられているから、すごく共感しやすい。それが、国がゴジラと戦う『シン・ゴジラ』より『ゴジラ-1.0』のほうが大衆にウケやすいポイントなんじゃないかなと感じました。

――“民間人の抱く恐怖”というと、本作の怖さについてはいかがでしたか?

宮下:今回のゴジラは割とホラーとして作られているんですよね。これまでのゴジラを観ていても、建物を壊したり、人が中に入っている建物が崩れたりと、なんとなく死亡している人がいるんだろうなってことはわかっていました。ただ、本作はしっかりと逃げ惑う人々を潰すシーンがあるんですよ。血が出るわけでもないし、グロテスクな表現は避けられているのですが、すごく怖いんです。ちゃんとゴジラによる被害者が出ているってとこが強調されているんです。

――歴代のゴジラにも詳しい宮下さんから見て、本作のゴジラの特徴とは何でしょう?

宮下:今回のゴジラが特徴的だと感じるのは、足の太さですね。監督も言っていますがすごく獣的な足で、スーツアクターでやった時になかなかできない造形なんですよ。CGだからこそできるもので、だから監督も人々が踏みつけられるシーンにこだわったんじゃないかなと感じます。あと、印象に残っているのが“泳ぐゴジラ”ですね。これまでの作品でもゴジラが水中から現れる描写はよくありましたが、海の中でも地面に足がついている印象があったんです。ただ、本作のゴジラは絶対に足がつかないところから顔を出しているので、想像するとかわいい。「今、下で頑張って足を動かしているのかな」とか想像すると、かわいいんです(笑)。ホラーな描写も多いし、ゴジラの顔も怖いけど、なんかこうかわいいって思うシーンもちゃんと散りばめられていて、ああいう動きもスーツだと多分できないんですよ。口だけを開けて水の中を泳ぎながら船に乗った敷島(神木隆之介)を追うシーンとか、スーツだとなかなかできないものだし、CGならではなんですよね。言ってしまえば海のシーンが『ジョーズ』のオマージュだらけなんです。背びれだけ出ていたり、音楽が効果的に使われていたり。映画好きの観客にもアピールしている感じがよかったですね。重巡洋艦「高雄」の下を、潜ったゴジラが通過するシーンもめちゃくちゃ怖かったです。だって、高雄って登場シーンで「日本ってこんなすごい船を持っていたんだ」ってなる中で、それを遥かに上回る迫力でその下を通過していくゴジラの神々しさが象徴されていたように感じます。

――人間のキャラクター周りの物語についてはいかがでしたか?

宮下:『ゴジラ』シリーズの課題として、やはり人間ドラマを作りづらいなって印象があるんですよね。どうしても怪獣を見るのが気持ちいいジャンルなので、人間ドラマって薄くなったり、いらなかったりするんです。平成版だとベビーゴジラが出てきて、ゴジラがかわいがる場面がある。そこでゴジラにも親としての愛情や感情があることがわかるんですよ。そしてベビーゴジラが成長して、僕の一番好きな『ゴジラvsデストロイア』でデストロイアにやられちゃう。「うわあ、かわいそうに、なんてことをするんだよという作りになっているからこそ、ゴジラに感情移入して「ゴジラ、デストロイヤーを倒してくれ!」と思う。こんなふうに“怪獣ドラマ”が作られているんです。『ゴジラ-1.0』は主人公がゴジラに強い恨みを持っているからこそ、その恨みをこちらに共有しながら「ゴジラを倒そう」と一致団結できる。新しい設定ってわけでもないけど、そこが印象的に作られているのがよかったです。ゴジラの映画を観るときに、どう観たらいいかわからない人も多いかもしれない。僕は怪獣が好きだから怪獣が街を破壊していればそれで興奮して満足しちゃうけど、本作はちゃんと大衆に向けて感情移入できるキャラクターを主人公に据えてやっていたところが本当によかったと思います。

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