『屋根裏のラジャー』が果たしたジブリタッチの継承と卒業 スタジオポノック最良の快作に

『屋根裏のラジャー』スタジオポノックの快作

 スタジオポノックの最新作『屋根裏のラジャー』は、このスタジオがようやく達成した最良の成果といえる快作だ。同社代表である西村義明プロデューサーが脚本も兼任していることからも、並々ならぬ意気込みを感じる勝負作である。

 主人公は、少女アマンダの《空想上の友達》=イマジナリとして生まれた少年ラジャー。ある事件をきっかけに、自分以外にもイマジナリがたくさんいることを知ったラジャーは、彼らの住む町へと招かれる。だが、それは生みの親である友達との別れを意味していた。どうしてもアマンダに会いたいーー彼女の危機を救うため、そして正体不明の夢喰い男ミスター・バンティングを倒すため、ラジャーは危険をかえりみず現実世界へと帰還する。

 創造(想像)主が忘れてしまえば消え去るしかないイマジナリの儚さは、やはり“子どもたちだけの友達”を描いた『トイ・ストーリー』シリーズも思い出させる。それでも、友達との再会にすべてを懸けるラジャーの健気な奮闘、切実な思いが胸を打つ。想像力の大切さというテーマはこれまで数多の作品で描かれ、なんなら近年は説教くささや古くささすらまとっていたかもしれないが、本作は真正面からそのテーマに挑んでみせる。その愚直なまでの姿勢が感動的だ。映画の後半、幼いころの想像力がいかに自分を救ってきたか、現実社会に生きる大人もまた再認識するドラマ展開にも泣かされてしまう。

 イマジナリーフレンドが登場する物語といえば『ファイト・クラブ』(1999年)や『ビューティフル・マインド』(2001年)といった作品が思い当たるが、最初から「非現実の存在」であることを示したうえで、それが独立した主人公として物語が進んでいくケースはなかなか珍しい。『ジョジョ・ラビット』(2019年)のアドルフおじさんも、主人公の少年と常にセットのサイドキック的存在だった。『屋根裏のラジャー』も、これらの作品群にも比肩するほどのトリッキーな構造を持ちながら、あくまでシンプルに子どもが楽しめる冒険ドラマとして成立している。これは大した偉業だと思うし、決して容易な道程ではなかったはずだ。

 本作にはさまざまな挑戦がある。最も大きいのは「“想像上のキャラクター”による“空想世界での冒険”が、はたして観客の心をつかめるのか?」という問題だろう。つまり「どうせ夢だからなんでもあり=どうでもいい」という思考に導かれやすく、客席の子どもたちが興味を失ってしまう危険性を、企画自体がはらんでいるのだ。本作に限らず、過去にも『ふしぎの国のアリス』(1951年)や『ネバーエンディング・ストーリー』(1984年)などで作り手たちがぶつかった難題でもあるだろう。『屋根裏のラジャー』は、その点を注意深く考え抜いて乗り切ったと言える。先述の「イマジナリーフレンドに独立した自我を与え、彼らの物語として進行する」という際どい大技も含めて。

 この難題に真っ向から取り組んだ、日本のアニメーション史に残る伝説的企画がある。東京ムービー新社、テレコム・アニメーションフィルムの創設者である藤岡豊プロデューサーが実現を追い求め続けた企画『リトル・ニモ』である。その“呪われた”制作過程については、アニメーター大塚康生の名著『リトル・ニモの野望』に詳しい。藤岡プロデューサーはこれを「ディズニーにも負けない、世界に通用するエンタテインメント」として世に送り出すことに心血を注いだが、実のところ極めて難易度の高い企画でもあった。

 ウィンザー・マッケイの新聞漫画『Little Nemo in Slumberland』を原作とした『リトル・ニモ』は、大部分が主人公の少年ニモの「夢の世界」で展開する。つまり前述の「どうせ夢だから」というリスクを最初から背負った状態で物語が始まる。これをいかに手に汗握り心を鷲掴みにされるアドベンチャーとしてスリリングに見せるか、いかに子どもたちを夢中にさせるかという挑戦は並大抵のものではなかったはずだ。高畑勲、宮﨑駿、出﨑統といった錚々たる巨匠たちがこの企画に招聘され、そして撤退していった。ほかにもさまざまな制作体制の混乱が生じた作品でもあったが、何よりも「劇としての面白さ」を成立させづらい企画自体の困難さが大きく立ちはだかっていたのではないか。結局、この企画は『NEMO/ニモ』(1989年)として、波多正美とウィリアム・T・ハーツの共同監督により完成する。「難しいことなど最初から考えなくてよかったのだ」と言わんばかりの、そつのない冒険ファンタジー映画に仕上がったが、それまで費やした時間と労力と金額を考えると、まるで「夢のあとの寂しさ」のような印象は拭えない。

 夢か、それとも現実か、という余韻を宮﨑駿監督が作品に残し始めたのは、もしかしたら『リトル・ニモ』の影響もあるのかもしれない。『となりのトトロ』(1988年)、『千と千尋の神隠し』(2001年)、そして最新作『君たちはどう生きるか』(2023年)では、夢と現実の境界が失われること自体がスリルの源泉となり、観客をワクワクさせ、また切ない余韻さえ残す。冒険が終われば記憶から消えてしまうかもしれない『千と千尋の神隠し』や『君たちはどう生きるか』の世界は、まさにイマジナリの仲間だろう。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる